もうひとつの「黒と赤の夢」
真夜中の国道を快調に飛ばしながら、ラジオの液晶画面の隅に表示されたデジタル時計にちらりと目を走らせる。
うん、大丈夫。着いてからちょっと休憩するくらいの余裕がありそうだ。
山の中を縫うように走る国道は真っ暗で、街灯すら見当たらない。時折通りすぎるコンビニとガソリンスタンドが、夜道を明るく照らしていた。
オレがトラックドライバーになって、まだ半年も経ってない。ようやく運転に慣れてきて、ハンドルを操りながらペットボトルの蓋を開けて中身を飲み干したりすることができるようになったあたり。
今の会社は可もなく不可もなくというところ。同僚たちとはほとんど会うこともなく、どんな人が何人いるのかさえよく知らない。でも運送会社なんだし、そういうもんなんだろう。事務所に行くのは出勤したときだけで、あとは一人で仕事して帰るだけなんだから、親睦なんて深めようがない。
そんな会社でも、オレはとても満足していた。なにしろ中型免許を取ったばかりのまったくの素人を雇おうなんて言ってくれたのはここだけだったんだから、文句を言ったらバチがあたるってもんだ。
緩いカーブを曲がってアクセルを踏み込んだところで、前方に赤いテールランプが見えた。トラックじゃない。軽自動車のようだ。40キロくらいのスピードで、のんびりと走っている。
思わずまわりを見回した。暗い国道のどこにも、制限速度の標識は立っていない。アスファルトにもなにも書いてない。
ないってことは、ここは60キロ制限のはず。なのになんでこんなにゆっくり走ってんだ。
仕方なく少しずつ速度を落とし、オレは軽自動車の後ろについた。
カーブの多い山道のほとんどは追い越し禁止になっている。ここもセンターラインは黄色。はみ出し禁止。はみ出さなきゃ追い越せないので、どうしようもない。ため息をついてさらにスピードを落とす。
ゆっくりゆっくりついて走っていると、後ろから排気の音が響いてきた。バックモニターを覗くと、でかいトラックがすぐそこに迫っている。
「うわ、大型きた」
ずっと一人でいると、独り言を言うくせがついてしまう。オレもその例に漏れず、最近それが増えてきた。弟にはおっさんくさいと言われてしまったが、仕方ないと思ってくれないと。
とにかく、オレの後ろには大型トラックがくっついてしまった。オレの車が邪魔で、大型からは軽自動車が見えてないらしい。何度も排気音を響かせ、距離をつめて煽ってくる。
こんな時間に走るくらいだから、先を急いでいるんだろうとは思う。それはわかるんだけど、ちょっとこっちの事情も察してくれないかな。
オレはハンドルを揺らし、車を左右に振って見せた。そうすれば後ろの車にもオレの前になにがいるか見えるはずだ。対向車線にはみ出さんばかりに煽ってきていた大型にも、ようやく軽自動車の存在がわかったらしい。すっと離れていくライトに、ほっと息をついた。
と思ったら、吠えるようなエンジン音が聞こえてきた。慌ててサイドミラーを見ると、いったん離れていた大型がまた近づいてくる。
右にウインカーを出し、近づきながら対向車線に出ていく大型に、オレにもその意図がわかった。
二台まとめて抜く気なんだ。
急いでアクセルから足を離し、ウインカーを左に出してできる限り左側に車を寄せた。
つまり、降参します抜いてください、の合図。
大型は地鳴りみたいな音をたててオレの横を通りすぎた。真っ黒なキャビンに、真っ赤なマーカー。風圧でオレの車がふらついた。どうやら二人乗っているらしく、助手席側の誰かがこちらに向けて片手をあげて礼をする。
見ていると、大型はそのまま軽自動車も抜いた。車線に戻る際、わざと軽自動車の前へギリギリで割り込むように入っていく。驚いたらしい軽自動車がふらふらと蛇行したのを見て、ちょっと笑ってしまった。
真夜中はオレたちの時間だ。のんびり走りたければ、国道以外の道でヨロシク。
あれは大型からのそういう意味のメッセージなんだけど、気づいただろうか。
軽自動車はすっかり怯えてしまったようで、さらにスピードが落ちてしまった。真夜中の国道を30キロ前後で走るなんて自殺行為だ。
なので左右のミラーを見て赤いパトランプがないのを確認し、オレも軽自動車を追い越して、大型の後ろにつこうとする。
けれど、速い。大きくて重いはずの車体を振り回すようにして、カーブをすいすいと抜けていく。じきに大型は、テールすらも見えなくなった。
「……無理だぁ」
追うのは諦めて、オレなりの巡航速度に戻る。技量を越えた運転は事故の元だからだ。
真っ黒のキャビン、真っ黒のボディ。暗くてはっきりとはわからなかったけれど、会社名なんかは入ってなかったように思う。輝く真っ赤なマーカーが、目に痛いほど眩しかった。
「……見たことない車だったな……」
遠くから来た車だったかどうかもわからない。ナンバープレートなんて見る暇はなかった。
駆け抜けていった大型の運転技術も度胸も、今のオレにはないものだ。ほしくて仕方がないそれを持つドライバーは、どんな人なんだろう。
「あんな上手い人、初めて見たなぁ……」
また会えるかな。
そんなことを考えているうちに目的地である工場の明かりが見えてきて、オレは気持ちを切り替えた。
朝にならなければ入れないため、工場手前のコンビニに車を停めて休憩の体勢に入る。エンジンを切り、キャビンをカーテンで覆い、座席後部にある狭いベッドに毛布を広げた。常備してあるクッションを頭の位置に置き、これで寝る準備はOK。時計を確認し、携帯にアラームをセットし、毛布にくるまって目を閉じる。
ほんの2時間程度の仮眠だけれど、するとしないじゃ後が全然違うんだ。今日はあの黒い大型を追って走ったせいでいつもより早い時間に着けたし、少し長く寝れるかも。
暗くて静かなキャビンの中で、さっそく意識があちらに持っていかれそうになったとき。
こんこん、と窓を叩く音で、オレはこちらに引き戻されてしまった。
顔をあげ、周囲を見る。夜明けにはまだ早く、外は真っ暗。
静まりかえった中で、またノックの音が響く。
コンビニの店員が来たんだろうか。買い物もせずに駐車場の一角を占拠している中型に、迷惑だと文句を言いに来たとか?
けど、ここは毎日みたいに来ているけれど、今まで一度もそんなことは言われてない。買い物だって起きたらいつもしてるし、顔馴染みになってきた店員もおはようございますって挨拶してくれたりするんだ。迷惑なら最初にそう言われてるだろうし、店員も笑顔で挨拶なんてしないだろう。
考えてる間にもノックは続く。
返事をしたほうがいいのか。でもこんな時間にこんなところでノックしてくるような知り合いはオレにはいない。変な奴だったら困るし、面倒ごとなら関わりたくない。
ていうか。
頭をよぎるのは、よくある話。真夜中のトンネルとか、ひとけのない山道とか、誰もいない倉庫だとか、そんな場所が舞台のアレ。
トラック乗りは夜中に走ることが多いからか、そういう話をよく聞く。足音がしたとか、ライトが見えたとか、……ノックの音がした、とか。
その場合の登場人物は二人。一人はトラックドライバー。そしてもう一人は、どっかから出血してたり体のどっかがなかったり、もしくは体が半透明だったり足がぼんやり消えてたりするような、えーと。異界の方。
さらにノックの音。
オレが応えないから、だんだん強くなってる。
どうしよう。カーテン開けたら見たくない感じの誰かが虚ろな瞳でこっち見てたりとかしたら、オレ気絶する自信がある。
でも、このままの状態も怖い。音はやみそうにないし、オレはもう眠れそうにない。朝日が昇って明るくなるまでこの状態が続いたら、きっと恐怖とストレスでオレの頭はつるっぱげだ。
こんこん。
ごんごん。
ごんごんごん。
ドアがへこむんじゃないかと思うくらい強く、ノックがキャビンに響く。
毛布を被っていても意味がない。鉄でできた密室は音を反響させて、いくら耳を塞いでも聞こえてくるんだから。
仕方ない。
ちょっとだけ。
ちょっとだけカーテンをめくって、外を見てみることにしよう。暗いけどコンビニの明かりがあるんだから、まったく暗闇ってことはないはず。
ちらっと見て、誰がノックしてるのかわかったら、そんでそれが不審者でも異界の方でもなかったら、そしたら返事をしよう。
カーテンに手をかけ、ほんの少しだけめくって、隙間からそっと覗く。
そこには。
…………誰もいねぇよ。
悲鳴をあげたくなるのを耐えて、オレは改めてカーテンを開けて外を見た。暗い駐車場のアスファルトが見えるだけで、人の姿はない。
ないって。
いやいやいや!ちょっと待って!
焦ってキーをアクセサリーまで回して、窓を開けた。今までノックされていたドアの向こうに人影はなく、見える範囲には他に車も停まってない。
頭の中が真っ白になって呆然とするオレの耳に、次に聞こえてきたのは足音。
じゃり、じゃり、と靴がアスファルトを踏む音が無人の駐車場に響く。
それから、開けた窓に手が。
「こんばんは」
「ぎゃあああああああああ!!!」
周囲の山々にこだまして響き渡るオレの悲鳴を聞いて、コンビニから店員が飛び出して来る。
それから、もう一人。
黒髪の知らない男が、すごい勢いでこっちに走ってくるのが見えた。