魔法が使える人魚姫
王子は毎日現れる。隠れていることにうんざりして、エドワードはカーテンの陰から早くどっかに行けと念じるが、王子には通じない。
「くそ、なんでここばっか来るんだよ」
散歩コースなら毎日変えたほうが飽きなくて楽しいぞ。エドワードはため息をついて窓の向こうで輝く海を見た。
あんなおふれが出てしまっているなら、王子が来なくてもどこへも行けない。トリシャもアルフォンスも金瞳は他に見たことがないと言うし、だったら目立つに違いない。誰かが城に知らせてしまえば捕まってしまう。
「オレ、なんも悪いことしてねぇのに」
海に帰れば自由にどこへでも行ける。一人で気ままに泳ぎ回って、のんびり波間を漂って。
人間になってから初めて、エドワードは海に帰りたいと思った。
「ねぇねぇ、エド!」
アルフォンスが家に駆け込んできて、エドワードの手を引っ張った。なに?と目で尋ねると、外に出てくれと言う。
「あのさ、王子様は自分を助けてくれた子が好きになったんだって。だから、お嫁さんにしたくて探してるんだそうだよ。エドのこと話したら、会ってみたいって言うから」
外を見れば王子が立ってこちらを見ている。エドワードは焦ったが、アルフォンスは早く早くと腕を引っ張るばかりだ。
嫌だと首を振ってもどうにもならない。エドワードは渋々外に出た。
王子はエドワードをまっすぐ見つめた。黒い瞳に射ぬかれるような気分でエドワードは形だけお辞儀をした。
「この人がエドワードです。でも、さっきも言ったけど口がきけないんです。だから挨拶は……」
アルフォンスがかばうように言うと、王子は頷いた。
「はじめまして、エドワード。私はロイ・マスタング。わけあって人を探しているんだが」
王子ロイはエドワードの瞳から目を逸らさない。
「半年前の嵐の夜、きみは海にいなかったか?」
すかさずエドワードは首を横に振った。振りすぎてくらくらするまで。
「だが、私はきみのその瞳に見覚えがある。意識がはっきりしていたわけではないので確証はないが、きみじゃないかと思うんだが」
エドワードはまた首を振った。足元がよろけるまで振って、それから家に逃げ込もうと体を翻した。
「待ってくれ」
ロイに手を掴まれて立ち止まって、エドワードは顔を逸らした。ロイとは反対側を向いて、ちっと舌打ちする。なんだよコイツ、オレのツラ見てやがったのか。
忘れるまでボコるか。エドワードが思案している間もロイは必死だ。たぶんきみだと思う、いやきっときみだ、だから一緒に来てくれ、等々。
たぶん、で嫁を決めるいい加減な奴にもらわれたくない。エドワードは首を振り続け、ロイは口説き続けた。
膠着状態が続いたが、それを遮ったのは後ろからの声。
「なにしてらっしゃるんですか、ロイ様」
振り向くと、鮮やかな金髪の可愛い女がこちらに向かって歩いてくるところだった。
ロイは渋い顔をしてエドワードの手を離した。それを見て女はエドワードを遠慮なく眺め、ロイを見上げた。
「この方ですの?海でロイ様を助けたというのは」
「ああ、……たぶん」
エドワードは微妙な顔のロイを見上げ、また金髪の女を見た。上等なドレスを纏った女はきれいに結いあげた髪に宝石のついた髪飾りをさし、丁寧に化粧された顔でにっこり笑ってエドワードに会釈をした。
「はじめまして。私はウィンリィ。隣の国の王女よ」
あ、どうも。エドワードも会釈を返した。ウィンリィは値踏みするようにエドワードを見つめ、それからロイの腕をとった。
「行きましょうロイ様。お茶の時間ですわよ」
「いや、まだ話が終わってないから……」
「お呼びしてきなさいと言われてますの。遅れたら皆様気を悪くなさいますわ」
ウィンリィはぐいぐいとロイを引っ張って城に帰っていった。
………助かった。
エドワードはほっと息をついたが、アルフォンスは不満そうだ。せっかくいいとこだったのに、とかぶつぶつ文句を言っている。
目が合ったからまた首を振ってみせて嫌だという意思表示をしたエドワードに、アルフォンスは唇を尖らせた。
「だってさ、エドは行くあてがないんだろ?お妃様になればずっとここにいられるし、ボクや母さんといつも会えるじゃないか」
なんだか、エドがいつか遠くに行っちゃうんじゃないかって。そんな気がするから。
アルフォンスの言葉に嬉しくなったエドワードだが、いや妃になるにはあのアホ王子と結婚しなきゃならないんだけどそこらへんについてはオレの意志は無視なのか、と思うと微妙な気分だった。
あとからアルフォンスがトリシャに聞くと、あのウィンリィという王女は王子の婚約者だということだった。親が決めたことなので王子は嫌がっているが、結婚式の発表はもうすぐなんじゃないか。トリシャは慈愛に満ちた表情で、
「本人が嫌がってるのに結婚なんて、身分の高い人は可哀想ね。だから王子様、あんなに必死に人魚を探してるのね」
そうか、可哀想だねぇと同意するアルフォンスを睨んで、エドワードはどうしたものかと考えた。王子はしつこそうだ。結婚したあとでも来るに違いない。そしてアルフォンスは歓迎するに決まってる。絶対嫌だ。
消すか。
こっそりにやりと暗い微笑みを浮かべてエドワードは決心した。
記憶を操作する魔法はしっかり頭に入っている。鮫や海蛇から身を守るためによく使っていたものだ。自分のことを忘れさせ、どっかよそへ行っていただく魔法。
ボコるより確実。
エドワードは機会を窺った。
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