魔法が使える人魚姫




「あ、気がついた」

エドワードがぼんやり目を開けると、木の板でできた天井が見えた。
声がしたほうを見ると、金髪の少年が覗きこんでいる。
「大丈夫?」
エドワードは起き上がってまわりを見回した。
見たことのない空間。木や石でできたそこは、今まで外からしか見たことがなかった「家」の中のようだ。
寝ているベッドはふかふかで、優しい匂いがする。なにもかもが乾いていて、水に包まれていたときとは違う気持ちよさがあった。
気付けば自分もすっかり乾いている。持ってきた布ではない違うものが体に巻きついているし、生まれてから一度も乾いたことがない髪もさらさらだ。
「きみ、どこから来たの?名前は?ボクはアルフォンスっていうんだ」
「……………」
エドワードは答えようとした。だが、声が出ない。
焦ってなんとか絞り出そうとするが、ため息みたいな吐息しか出てこなかった。
そういえば、本に書いてあった。人間と人魚では呼吸の仕方が違うから、人間になるとしばらく声が出なくなる。エドワードは諦めて黙った。

「しゃべれないの?病気?」
アルフォンスは心配そうな顔をした。
その後ろから、もう一人の人間が覗きこんできた。やっぱり心配そうな顔のその人間は、アルフォンスによく似た面差しの女だった。
「アル、無理にしゃべらせようとしちゃダメよ。浜辺で倒れてたんだから、海で溺れたのかもしれないわ」
「ショックで声が出ないのかな。ねぇきみ、お腹すいてない?ごはん食べる?」

人魚が溺れるわけないだろ、と思ったが、今は人間なのでエドワードは黙って頷いた。ごはん、てなんだろう。食べ物だろうか。

今までいた海の底とはかなり違うらしい人間の暮らしに慣れるまで、しゃべれないことにして黙っていたほうがいいかもしれない。

女の人間はトリシャと名乗った。アルフォンスの母親らしい。生まれたらあとは勝手に生きていく人魚と違い、人間はいつまでも母親と一緒に暮らすんだな、とエドワードはちょっと羨んだ。この人間の親子はとても幸せそうで仲がいい。心が暖かくなるような優しいトリシャの笑顔に、なぜか涙が零れそうになった。

もしかしたら自分は、人間達が群れて仲良く暮らしていることに憧れたのかもしれない。暗い海底で、たまに出会う顔見知りや友達と話をすることはあっても一緒に暮らすことはなかったから。ずっと一人だったから。

エドワードは微笑んで、それから二人に向かって口の形だけで名前を伝えた。エドワード?エドワードだね、よろしく。そう言って手を差し出すアルフォンスに、こちらこそよろしくと笑って見せた。




行くあてがないエドワードを、アルフォンスとトリシャはそのまま家に迎え入れてくれた。小さな家から外に出てみると、そこは浜辺から見えていた城の広い庭の端に建っていた。

「父さんはここの門番だったんだ。死んでからはボクがやってるよ。母さんはお城で下働きしてるんだ」

貧しいけれど楽しくて暖かい生活の中で、本を読んだり二人の話を聞いたりして、エドワードは少しずつ人間世界を知っていった。常識や立ち居振る舞いや、風習や色々な道具の使い方など。
半年もするうちに、エドワードはすっかり馴染んだ。声は出るようになったが、どこから来たかとか家族はとか、答えられない質問が来そうな気がして黙っていた。人魚は人間にとってとっくの昔にお伽噺になっていたから、本当のことは言えなかった。








その頃から、黒髪の男をよく見るようになった。
アルフォンスによれば、しばらく病に臥せっていたこの国の王子だということだった。
「お医者様に散歩を勧められたんだって。でもまだお城から出ちゃいけないらしくて、庭を歩き回ってるんだそうだよ」
アルフォンスは王子とはずいぶん親しいらしく、姿を見ると傍に行って話をしていた。それを見るたびエドワードは王子の気がアルフォンスに逸れている間に家の中に逃げ込む。あの嵐の夜に、意識が朦朧としていたとはいえ顔を見られているのだ。覚えているとは思えないが、それでも一応逃げなくては。
「まぁでも、生きてたんだな。よかった」
助けた甲斐があるってもんだ。エドワードはカーテンに隠れてこそっと覗いて見た。
すぐに目が合って、慌てて隠れた。まさか、本当に覚えてるんだろうか。
確かめる方法もないまま、エドワードは王子から隠れ逃げ回り続けた。






「ねぇエド、今日こんなおふれが出たのよ」
ある日トリシャが城から帰ってきて、エドワードに一枚の紙を見せた。

『嵐の夜、海で王子を助けた娘を探している。見つけた者には謝礼あり。特徴は金髪と金瞳』

エドワードは目眩がして倒れそうになった。
なんだこれ。お尋ね者じゃあるまいし。
「エドは口がきけないから違うわよね」
トリシャは紙をしまうと、窓の外の夜の海を見た。
「嵐の夜に海で人を助けて泳ぐなんて、人魚でなきゃ無理よねぇ」
エドワードはぎくりと肩を揺らした。それに気づかず、アルフォンスとトリシャは顔を見合わせてまさかねーと笑う。人魚なんて昔話の妖精だ。本当にいるわけがない。

いるんだなコレが。今あんたらの目の前に。

しゃべれないことにしといてよかった。エドワードはなるべく外に出ないようにしようと決心した。



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