魔法が使える人魚姫




ようやく浜辺にたどり着いて、エドワードはぐったりと倒れこんだ。布を身につけたままの男は重くて泳ぎにくい。潜ればもっと速く楽に泳げるのに、人間は海の中では呼吸ができないから死んでしまうと聞いているので潜るわけにもいかなかった。
「疲れたー………」
引っ張りあげた男はまだ気絶したままだ。隣に寝転んで顔を近付け、まだ息をしていることを確認して、エドワードはきょろきょろとあたりを見回した。
このままほっておけば、男は死ぬかもしれない。誰か人間が通れば、声を出して来てもらって、そしたら連れてってくれるかも。
だが真夜中の浜辺に人間がいるはずもなく、声をあげて聞こえそうな範囲に家もない。遠い岬の向こうに大きな城が見えるが、エドワードにはそこまでまた男を連れて泳ぐ気力は残っていなかった。
「どうすっかな……コイツ、早く目ぇ覚まさねぇかな」
呟いて男を見るが、瞳は固く閉じられたまま。エドワードはため息をついた。

そのエドワードの吐息が男の顔に当たったらしい。
閉じられた目蓋が、ほんの少し開いた。
「あ……!」
エドワードは男の顔をさらに覗きこんだ。
「おい、大丈夫か?生きてっか?」
男は声が出ないらしい。ぼんやりとした黒い瞳でエドワードを見つめ、薄く唇を開いた。
なにを言いたいんだろう。エドワードが聞こうと顔を寄せたとき、誰かの話し声が聞こえてきた。
はっとしてそっちを見ると、松明がいくつかこちらに向かって歩いて来るのが見えた。それと共にまた話し声。

男はまだ声が出せない。エドワードは松明に向かって大声を出した。
「助けて!死にそうなんだ!早く!」
松明はゆらゆら揺れて、それからスピードをあげてこちらに向かって来る。
男を見ればまだ自分を見つめていたが、その瞳はさっきよりもしっかりとしていた。
「じゃあな!風邪ひくなよ!」
エドワードは急いで水に戻り、男を振り向いてから一気に跳躍して飛び込んだ。
月明かりにきらきら光る鱗が、男の薄く開けた目に映った。






「1日1善てやつ?いいことしたあとは気分がいいなー」
上機嫌で滑るように水の中を走り、エドワードは住みかに帰り着いた。
洞窟を飾るものはなにも持って来れなかったけど、人間を一人助けたのだ。満足な1日だった。
にこにこして中に入り、岩に海藻を敷いたベッドに潜って、さて寝ようかなと目を閉じかけ。
「あ、そうだった。人間になる魔法ってどれだっけ」
エドワードは起き上がり、洞窟のあちこちを掘って作った棚に並べた魔法書を漁った。
どこかにあったはず。どれだっけ。
頭にあるのは、さっき助けた人間の男。
水の中で生きられないなんて不便だけど、2本の足がついていて、あんなきれいな布を体につけて。あの沈んだ船に乗ってパーティに参加していたのだろう黒髪の男は、死にかけていた以外はエドワードの人間世界における理想像だった。
羨ましくて、憧れる。
自分もこの暗い海の底から出て、太陽の光を浴びて地上を歩きたい。洞窟じゃなくて「家」に住み、働いたり遊んだり。
とにかく、もう海の底生活には飽き飽きしていた。






数日後、真夜中の浜辺にきらきら光る金色が現れた。
海から出てきたエドワードは尾ヒレを引きずってなんとか浜に上がると、手にした魔法書をぱらぱらとめくった。
人間になる魔法。それは人魚が地上に用事があるときに使用される魔法で、1年だけ尾ヒレの代わりに足を得ることができるというものだ。人間世界との交流が途絶えて何百年も使われることがなかった魔法で、人魚の中でもすでに存在を忘れられていた。
かろうじて古い魔法書の片隅に残っていた呪文を、エドワードは早口で唱えた。

1年以内に海に帰れば人魚に戻れる。
海に帰らなかったら、あとは人間の姿のまま、短い一生を地上で終えなくてはならない。
どっちでもいいや、そんとき決めれば。



エドワードの体が光に包まれ、そして金色の鱗が消える。
浜辺に立ち上がったエドワードの腰から下には、2本の足ができていた。

…………あれ。

足を見て、足の付け根を見て、胸元を見る。

………これって、「女」じゃねぇ?

人魚に性別はない。だから意識しないまま魔法を使ったのだが、できあがったエドワードの体は人間の女になっていた。

………えーと。
まぁとりあえず成功だよな。

エドワードは昔海で拾った布を適当に身につけた。裸の人間は見たことがない。きっとなにか体につけるのが人間の風習なんだろう。

ま、男でも女でも、どっちでもいいか。

エドワードは魔法書を海に投げた。人間が見てもなんの本やらわからないはずだが、一応用心しなくては。
遠くにぽちゃんと水音がしたのを聞いて、エドワードはよしと頷いて歩こうとした。

だが、足はいうことをきいてくれない。

あれ?と思ったときには、体がぐらりと傾いていて。

エドワードはその場に倒れ、気を失ってしまった。



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