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魔法が使える人魚姫




波に体を預けてふわふわ漂っていたエドワードは、遠くから風に乗って流れてくる音に気付いて顔をあげた。
月明かりに輝く水面をたどって遠くを見ると、船が見えた。

大きな船らしく、たくさんの灯りがともっている。音と共に話し声もわずかに聞こえてきて、エドワードは興味がわいてきた。ぱしゃんと尾ヒレが波を打ち、エドワードの姿が海に消える。
暗い海の中を裂くように素早く泳ぐエドワードの下肢には金色に輝く鱗。

人間達に人魚と呼ばれる種族の、数少ない生き残りであるエドワードは、好奇心旺盛な子供だった。皆が恐れて近づかない浜辺や岩場に顔を出しては、人間の子供が遊ぶのを見、大人が働くのを見ていた。自分にはない2本の足で地を踏みしめて歩く姿はエドワードにとって不思議で、たいそう羨ましいものだった。人魚は海の中では弾丸のように速く泳げるが、地上に立つための足はない。あんなふうに直立して歩く人間達の目線にはどんな景色が見えているんだろうか。エドワードはいつも人間を観察し、憧れて暮らしていた。

海上に顔を出してみると、船は思った以上に大きかった。どこかの国旗を風になびかせながら停泊し錨をおろして、なにかの音楽があたりに響いていて料理らしき匂いも漂っている。
幾人もの人間達が歩き回っているのが見えた。裸のままの人魚とは違い、人間はいつも布でできたなにかを身につけている。今船にいる人間達のそれは、浜辺で見かける人間のとは違い煌びやかで重そうだった。

「パーティ、てやつかな」

エドワードは呟いて空を見た。雲が流れていく。潮のうねりが速い。
「もうすぐ嵐だってのに、のんきだな」
エドワードはゆっくり泳いで近寄った。ますます大きく聞こえてくる喧騒に耳を澄ませ、体を船体にくっつける。
羨ましいな、とエドワードは思った。
海の底でひっそり暮らす自分達は、こういうものには無縁だ。友達や顔見知りはたくさんいるけど、大勢で群れて遊ぶこともない。退屈で単調な暮らしは、人間達より寿命が長い分永遠にも思えて。

「……オレも人間になろうかなー……」

人魚の中には魔法が使える者が何人かいる。昔は人間にもそういう者がいると聞いたが、文明の発達と共に忘れられ廃れていったらしい。人魚には文明がないので、魔法はいまだ生活に必要なものとして研究され使われていた。
エドワードも多少なら使える。確か人間になる魔法もあったはずだ。
どんなんだったっけ、とエドワードが海底の自分の住みかにある書物を頭に浮かべようとしたとき。

強い風が顔に当たり、濡れた髪を乱した。

「嵐だ」

エドワードは身を翻して海に沈んだ。
潮のうねりも海底までは影響が少ない。水を切り裂く勢いで潜り、目についた手ごろな岩の傍に座った。嵐が去るまで、ここに座っていよう。
それにしても、人間の船は嵐がきても大丈夫なんだろうか。エドワードはちらりと上を見上げたが、弱い月明かりしかない今は海底はほぼ暗闇だ。夜目がきく人魚の目にも、はるか海上にある船の様子は見えなかった。

強くなる潮の流れにもっていかれないように岩に身を寄せて、帰ったら魔法書をもう一度見てみようかなとかのんびりエドワードが考えていたとき、頭上からなにかがばらばらと降ってきたのが見えた。

取りに行けば潮にさらわれるためひたすらそれに目をこらすエドワードの傍に落ちてきたのはガラスの器。
人間達が液体を飲むときに使うものだ。
では、やっぱりあの船はダメだったんだろうか。
なーんだ、人間の文明もたいしたことないのな。エドワードは無造作に器を拾い、上を見た。
「…………げ」
頭の上から、巨大な影がゆっくりとこちらに降下してきていた。

慌てて岩から離れ、潮に乗って素早く逃げた。船はあたりに鈍い音を響かせて海底に着地し、傾いて動かなくなった。まわりの水がそれに巻き込まれ、エドワードにもまったく読めない海流を作っている。
「わわわ………」
強い海流に体を呑まれて振り回される。どこかに打ちつけられれば無事では済まない。エドワードは必死に泳いだ。
渦をまく流れから逃れて、ようやく海面に浮かびあがった頃には、エドワードはすっかり疲れ果てていた。

海面はまだ強い風と波で時化ている。散らばる木片は船の欠片だろうか。人間達が身につけていた布が流されて散らばっていくのを眺め、もったいないなとエドワードは肩を竦めた。集めて持って帰ろうか。時々人間達のそういったものを持ちかえる人魚がいて、その道具や布は住みかである洞窟を飾るオブジェになるのだ。
あの布ならいいかもしれない。エドワードは近くを漂っていた黒い布に手を伸ばした。こないだ新しく棚を作ったから、それの目隠しに吊っておこうか。

だが、その布にはまだ人間がくっついていた。

「…………げ。まだ生きてるしコイツ」

人間は黒髪の男だった。青白い顔で唇は紫になり、瞳は閉じたまま。だが木片に縋りついていたおかげか、沈まずにまだ息をしている。
「なんだよ、人間て水ん中だとすぐ死ぬんじゃなかったんかよ」
ぶつぶつ言っても仕方ない。まだ生きているものを、身ぐるみ剥いで放置するのはさすがに気がひけた。

迷った挙げ句、エドワードは渋々男を引っ張って泳ぎ始めた。


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