赤ずきんお使い放棄




見慣れた森に駆け込んでも、狼達の動揺は変わらない。匂いにそこまで敏感ではないエドワードにもそれは伝染した。奥へ続く道を不安そうに眺め、それから道からはずれた木立の中を探るように見つめてみる。

なにも見えない。
それが余計に不安を煽って、エドワードはロイにしがみついた。

「なにがいるの?」
囁くような声になる。情けないと自分で思うが、どうにもならなかった。
「わからん。知らない匂いだ。傍を離れるなエドワード」
ロイの声は低いがしっかりしていて、そこに恐怖や不安は見当たらない。エドワードはほっとして、さらにロイに身を寄せた。

「どうやら今日は農場の家畜ではなく、こっちを襲うことにしたようですね」
リザが呟いた。茶色の瞳が小道の向こうを見つめている。
「あっちから来ます」
エドワードは思わず言われたほうを見た。薄暗がりの中の道には動くものは見つけられない。エンヴィーを見ると、リザと同じ方向を見つめていた。その顔にはもう怯えた様子は見られない。どうやら正体不明の獣より狩人のほうが怖いらしかった。

ロイが低く唸る。狼達は音もなく獣の姿に戻った。
離れろ、と言われる間にも、小枝を踏み折る音が聞こえてきた。
やがて森の奥から、大きな姿の獣がゆらりと姿を現した。
黒い塊のように見えるそれが大きな咆哮を響かせる。
どうやら狼がいることに気付いたらしい獣は、姿勢を低くして足を止めた。

「な、なにあれ」
金縛りにあったように動けないエドワードの前へかばうようにまわりこんで、リザが唸った。
「熊よ。ここで見るのは初めてだわ。餌を探して山を降りてきたのね」
「く、熊……?」
話には聞いたことがあるが、見たことはなかった。エドワードは茫然と闇に溶け込む巨体を眺める。足が動かない、なんて生まれて初めてだとエドワードは他人事のように思った。

エンヴィーがゆっくりと前に出た。いつもの優しくてどこか抜けたようなとぼけた表情は消えていて、赤い瞳が凶暴な光をたたえて熊を睨んでいた。

熊は体を起こし、鼻をひくひくさせてからまたこちらを向く。夜に光る目がまっすぐにエドワードを見つめているのに気付いて、ロイは振り向いた。
「エドワード、きみが狙われているようだ」
「………え?」
「奴はその食い物の匂いにつられている。それを捨てろ」
エドワードは手に握った袋を見た。
ロイを見ると、優しい黒い瞳が自分を見つめている。

うん、と頷いてエドワードは袋を熊に向かって投げつけた。途端に大きな咆哮がまた響き、熊の視線がそちらへと逸れた。その隙をついて、ロイとエンヴィーが巨大な敵へと風のように走り出した。
「エドワードくん、狩人を呼んできて」
リザの声にはっとしたエドワードがそっちを見ると、リザは真剣な目でエドワードを見ていた。
「私が囮になって呼んできてもいいけど、エドワードくんのほうがいいと思うの」

ロイとエンヴィーは熊に飛びかかり、喉を狙っているようだった。だが熊の大きな腕がそれを払いのけ、エンヴィーが派手な音をたてて茂みに放り出された。
「…………エン…」
慌てたエドワードが名前を呼ぼうと一歩踏み出したが、エンヴィーはすぐに茂みから飛び出てきてまた熊の顔に向けて跳躍する。

ここにいてもなにもできない。
エドワードはリザを見た。
「行ってくる!リザ、気をつけてね!ケガしないで」
「あら」
人間に心配されたのは初めてだわ、とリザは笑った。
「大丈夫よ。エドワードくんも気をつけて」
「わかった!待ってて!」

エドワードは身を翻して駆け出した。後ろでは猛獣達の咆哮や唸り声と地響きが聞こえ続けている。
森を飛び出したエドワードは村はずれの農場へ向かって必死に走った。

早く、早く。

頭から血を流していたエンヴィーの顔がちらつく。

誰か、助けて。




農場に通じる道を走って行くと、向こうからこちらへ向かって走って来る人影が見えた。
エドワードは立ち止まった。人影は昼に森に来た狩人に間違いなかった。背にかついでいた猟銃を今は手に持っている。
「助けて!早く!」
叫んで手を振ると、狩人は手を振って応えて走る速度をあげた。
振り向けば、森の向こうで猛獣達が戦う声がいまだ響いている。

「はー…全力疾走はキツいわー。年かなー」
ようやく狩人が傍まで来て止まった。膝に手をついて荒い息をつく狩人の腕を両手で握り、エドワードは必死に訴えた。
「早く来て!友達がケガしてるんだ!殺されちゃうよ」
「まぁ待てって、お嬢ちゃん。落ち着け。誰か襲われてんのか?」
呑気な口調でタバコをポケットから出して、狩人はエドワードの頭をぽんと叩いた。
「オレは雇われ狩人のジャン・ハボック。お嬢ちゃんは?」
「誰がお嬢ちゃんだ殴るぞコノヤロー!てかそんな暇ないんだ!えーと、オレはエドワード、今あっちで友達が熊と戦ってんだ!すげぇでっけぇんだ!早く行かないと友達が」
「なんだ男か」
ハボックは小さく舌打ちして、咆哮が響く森を見た。
「やっぱ熊か。で、戦ってんのは狼か?1頭や2頭じゃねぇな、あの声は」
遠吠えと唸り声が聞こえる。一瞬悲鳴が聞こえたのは誰の声なんだろう。エドワードは焦ってハボックの腕をぐいぐい引っ張った。
「待てって、行くから」
ハボックはタバコに火をつけてから銃を抱えなおして走り出した。



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