知らない世界の、知らないきみと
◇◇◇◇
乗り心地の悪い車、しかも荷台に揺られて、着いた先はいかにも怪しげな倉庫街。外国の映画でギャングとかが秘密の取引をしたりするようなところだ。目的の倉庫は、ドアやシャッターの隙間から光が漏れている。
「待っててください」
短く命じたリザが、素早くトラックを降りる。あとに皆が続き、残ったのは私とフュリーだけになった。フュリーは荷台の中で無線機のようなものを操作していて、そこからは皆の声が聞こえている。
「皆、小さなイヤホンマイクをつけてるんです。戦闘中はのんびり話ができないから、これを使って連絡を取り合うんですよ」
「………エドワードもつけてるのか?」
「いえ。エドワードくんは軍人ではないし、普段ボクたちの作戦に参加することがないので、作ってません」
申し訳なさげなフュリーに頷いて、皆が行ったほうを見る。倉庫の大きなシャッターの脇についたドアのまわりに陣取って、中の様子を探っているようだ。街頭もない夜の闇の中で、倉庫からのわずかな明かりを受けてその姿が影のように動く。エドワードは一歩離れ、リザの後ろにいた。
『用意はいい?』
リザの声。皆が頷く。
『3、2、1』
それに合わせて、黒い影がゆらりと動いた。
『GO!』
同時にハボックとブレダが力いっぱいドアを蹴る。
弾け飛ぶドアと一緒に、明かりのついた倉庫内へ飛び込んで行った皆のあとを、エドワードが追って行った。
「エドワード……!」
思わず腰を浮かしかけた私を、フュリーが止めた。ヘッドフォンを耳に当てたまま、ダメですと首を振る。
「あれが聞こえませんか?」
倉庫の中からは、早くも銃声が響いてきている。
「だが、」
「ダメです。ボクにはあなたを守る義務がある。行かせることはできません」
眼鏡の奥の強い瞳に、諦めてまた座った。同じ顔をしていても、こちらのフュリーはやはり軍人だ。厳しい表情は、あちらのフュリーにはないものだった。
それでも、気になる。
ちらちらと倉庫を見て、無線機から聞こえる声に耳を澄ませた。おとなしく投降しろと促すリザと、それに応える銃声。エドワードの声は聞こえない。
ふと思い出して、ポケットから手袋を出してみた。奇妙な絵が描かれた白い手袋は、今朝出勤するときにエドワードが持たせてくれたものだ。
「……こちらの私は、これをどう使っていたんだ?」
問いかけに振り向いたフュリーが、手袋を見て微笑んだ。
「なんだか、それを持ってると本当の准将みたいですね」
「いつも持っていたと言われたが、どう使うのかさっぱりだ」
「それはですね、まず手にはめて」
フュリーが教えてくれたところによると、この手袋は発火布という特殊な布でできているらしい。擦れば簡単に火花が散る。そして、描かれているのは焔を操る錬成陣なのだそうで、私はその陣で錬金術を発動させ、手袋から散った火花を導火線にして対象を爆破もしくは炎上させる、とかなんとか。
…爆破やら炎上やら、なんでそんな物騒な術しか持ってないんだ私は。どっかのタヌキロボットが腹のポケットから出してたみたいな、どこにでも繋がるドアとかどこでも通り抜けができる輪っかとか、そういうのはないのか。役に立たん奴だ、将軍のくせに。
だが、この手袋を使うには錬金術というものを知らないとダメなんじゃないだろうか。そういうものにまったく無知な私にとっては、これはただの手袋(しかもちょっと痛い系)に過ぎないのではないか。
考え込んでいると、無線機から知らない男の大声が響いてきた。
『てめぇら、これが見えねぇか!銃を捨てろ!』
「まずい、」
フュリーが焦った顔で私を見た。
「誰か、捕まったようです。イヤホンの近くからじゃないと、敵の声はこんなに大きく入ってこない」
「…………!」
頭に浮かぶのは、エドワードだけ。
私は荷台から飛び降りた。
「准将!待ってください!」
慌てたフュリーの声が追いかけてくる。
「おまえは持ち場にいろ!」
怒鳴ってから倉庫を見る。銃声は相変わらずで、人質がいるらしいというのに収まる気配がない。
犠牲が出ても仕方ない、と言った顔のハボックを思い出し、私は意を決して手袋を握りしめた。
敵だろうと味方だろうと、そんなものが出て事件解決だなんてあり得ない。悪人をちゃんと全員捕まえて、みんな一人残らず無事に生きていて。そうして初めて、解決したということになるんじゃないのか。
誰も、犠牲になんてさせない。絶対。
「准将!」
荷台の幌からフュリーが顔を出す。
「なにかにつかまってろ!」
「へ?な、なにかって」
驚くフュリーに、構っている暇はない。
トラックの運転席に飛び込んで、エンジンをかけた。ライトをつけ、頭を倉庫に向ける。
「フュリー、落ちるなよ!」
開いた窓から怒鳴ると、荷台のほうから悲鳴が聞こえた。
ギアを入れ、めいっぱいアクセルを踏み込む。
トラックはタイヤを鳴らして急発進し、そのままシャッターを破って倉庫の中に突っ込んだ。
「な、なんだ!」
「うわ、危ねぇ!」
中にいた連中が、敵も味方も慌てて逃げ惑う。いまの今まで銃とか撃ちまくっていたくせに、どっちが危ないんだか。
アクセルは床までベタ踏み。倉庫の中央まできてハンドルをいっぱいに切って、サイドブレーキを思い切り引く。トラックはその場でスピンし、敵と味方のちょうど真ん中にぴたりと停まった。
ドアを開け、降りる。
そこにいる全員が私に注目している。
ゆっくりと手袋を出し、右手にはめた。
「……銃を捨てろ」
テロリストとやらいう数人を見る。
「私はロイ・マスタングだ。名を知っているなら、素直に投降するのが身のためだとわかるはずだが?」
言って、右手を敵に向けて伸ばした。それから指先を擦り合わせる。
いまにも火花が散りそうな、そんな様子を、敵も味方も緊張して見つめている。
沈黙。
「………バーベキューの具になりたいなら、遠慮はせんぞ?」
そう言って、睨む。
テロリストの一人が、持っていた銃を投げて両手をあげた。
それにつられるように、敵全員が投降する。見回したところ、誰も怪我をしている者はいないようだった。
「エドワードは、……」
人質になっていたエドワードはどこだ。
急いで、もう一度名を叫ぶ。
「エドワード!どこだ!」
無事なのか。
怪我は。
かすり傷ひとつでも負っていたら、テロリストだけじゃなくこの場にいた全員を絶対許さない。
「エドワー」
「ここだよ」
声のしたほうを見る。
エドワードが、ブレダの後ろから顔を出して私を見ていた。
「恥ずいからあんま呼ぶな」
「……エドワード……!」
「ぐえ」
突進して抱きしめると、可愛いエドワードから蛙が潰れたような声が聞こえた。
「怪我はないか?どこか、痛いところはないのか?よかった、無事で!本当によかった!」
「……あんた、大げさすぎ」
「だが敵に捕まってたんだろう、心配するのは当たり前だ!リザ、人質を取られたというのになぜ攻撃をやめなかった!?もしものことがあったら、」
「あら。申し訳ありません」
リザが、無表情に私を見る。
「敵に捕まって人質にされたのはハボック少尉でしたので、問題ないかと思いまして」
「………は?」
腕の中の金色を見ると、真っ赤な顔で私を睨んでいる。
「だから、最初に言ったじゃないですか……」
荷台から這い出て床にへたり込んだフュリーが言う。
「エドワードくんは、無線を持っていませんって……」
「…………あ、そうか」
そういえばそう言ってた。
無線を持たないエドワードが捕まっても、敵の声は無線機には入らない。
「准将、オレ嬉しいっス!」
ハボックが泣きながら私の肩を叩く。
「オレのために危険をかえりみず飛び込んでくれるなんて!オレ、感激したっス!一生ついて行きます!」
「……来なくていい。ていうか来るな」
一生ついてきてほしいのはエドワードだけだ。捕まったのが貴様だと知っていれば、あんな芝居などしなかったのに。
「全員確保!」
リザの命令に、ブレダたちが走る。テロリストたちは手錠をかけられ、トラックの荷台に押し込まれていった。
「准将、お疲れさまでした。いま車を回させていますので、しばらくお待ちください」
敬礼とともにそう言ったリザが、トラックの運転席に乗り込む。荷台にはファルマンとブレダが上がり、そのままシャッターの大きな穴から走っていった。
「私たちは帰っていいのか?」
残ったハボックに聞くと、首を横に振られた。
「報告書や調書の作成なんかがありますんで」
「めんどくさいから任せる。よくわからんし」
「いやいや、逃げようったってそうはいきませんて。書類はオレたちが書くから、あんたにはチェックとサインを」
「またサインか……」
いったい、一日に何万回自分の名前を書かせれば気が済むんだ。サインを判子で作っちゃダメなのか。書くよりきれいだし早いはずなのに。
「それにしても、さっきの。どうやったんスか?」
「さっき?」
「ほら、トラックで。オレ、軍用トラックがあんな動きするとこ初めて見ましたよ」
「スピンターンか?あんなの、おまえだって…」
できるじゃないか、と言いかけてやめた。こいつは私が知っているハボックじゃなかったんだった。
「すげぇっスね、プロドライバーって」
ハボックが笑う。
「そっちのオレも、おんなじ仕事してんでしょ?さすがオレ!カッコいいなぁ」
なんか、変な誤解を受けた気がする。プロドライバーといっても私たちは運送のプロであって、レースやラリーのプロじゃないんだが。だいたいあんな運転したら、一瞬で荷が壊滅する。
荷、といえば。
今日の荷物、どうなっただろう。ていうか私のトラックは無事なんだろうか。
不安にかられて黙った私を、エドワードが見上げて唇を尖らせた。
「オレ、まだなんもしてなかったのに。いいとこ持ってくとか、さすがたいさだよな。演技が堂に入ってて、一瞬ほんとのたいさかと思っちまったぜ」
「え、あれ演技だったの?」
驚くハボックに頷いた。錬金術を知らない私が、そんな気軽にポンポン花火なんか出せるか。
「花火じゃねーよ、火花だよ」
「似たようなもんだろ」
「全然違う!てめ、錬金術なめんな!」
怒るエドワードを宥めて、外に出る。澄んだ空気を吸って、倉庫の中の空気が埃と硝煙で濁っていたことに気づいた。
守れた、のかな?
怪我ひとつなく元気に歩くエドワードを見て、ほっとする。
将軍なら、もっと早く確実にエドワードを守ることができたんだろうか。
同時に浮かぶ、私の金色。
今すぐ会いたい、と強く思う。
このままでは、今目の前にいる金色に囚われて、どこにも行けなくなりそうだ。