新しい風
「ごちそうさまでした」
丁寧に頭を下げるアルフォンスに、ハボックとリザは笑顔を向けた。
「じゃあ、また明日ね」
「遅刻すんなよ?」
「はい!よろしくお願いします!」
そのまま帰っていくハボックのやかましい車を見送って、ロイが自分の車のドアを開ける。
「送るよ。乗りなさい」
「ありがとうございます」
「………ありがとう」
アルフォンスは高校を卒業したばかり。大学はまだ始まっていなくて、時間のある日は会社に出て見習い事務員をすることになった。
複雑な顔のエドワードをよそに、弟はとにかく上機嫌。母さんに報告しなきゃ、と言うのを聞いて、家族にはすでに相談済みだったのかとまた落ち込む。
連れられて帰った自宅がなんとなくよそよそしく見えるのは、自分の気のせいなのだろうか。
久しぶりに顔を合わせたロイに、トリシャが嬉しそうに奥へと招く。結婚には微妙でもロイのことは気にいっているらしい父親が、にこやかな笑顔でとっておきの洋酒の瓶を出した。
「いや、車ですので……」
「あらぁ、泊まっていけばいいじゃないですか。ね、あなた」
グラスを出したトリシャが、つまみの支度をしにキッチンに引っ込む。迷っていたロイも、義理の両親になる二人には逆らえないようで、リビングに腰を据えて父親のグラスに酒を注ぎ始めた。
「母さんを手伝ってくる」
酒が飲めないエドワードは、居場所がなくてキッチンに移動した。弟はさっさと風呂に入ってしまい、話をする暇もない。
キッチンに入ってため息をつくエドワードに、手早く料理を作りながらトリシャが微笑みかけた。
「どうかした?エド。明るいことしか取り柄のないあなたが、ずいぶん暗いわね」
それ、悪口だよね?
と思ったけど口には出さず、かわりに気になっていたことを切り出してみる。
「…………アルがうちで働きたいって。母さん、知ってたの?」
「ええ、知ってたわよ。かなり前から考えてたみたいだわ」
「なんで。なんか知ってる?あいつ、なに考えてんだ?」
「あら。仲良しなのに、わからないかしら」
くすくす笑いながらいくつかの皿に料理を載せたトリシャが、早くも賑やかになってきたリビングにそれを運んでいく。
戻ってきて、エドワードの頭を撫でて、本当にわからない?と笑うトリシャに、お手上げだと肩を竦めてみせた。
「アルはね、寂しかったのよ」
「寂しかった?」
「そうよ。だってあなた、ロイさんとお付き合いするようになってから、家にいることも減ったでしょう。就職してからはもっと減ったし、いても寝てるし」
「………そりゃ、まぁ。だってこれでも、それなりに忙しかったんだよ」
「わかってるわよ。アルもわかってたから、なんにも言わなかったの。でも、寂しかったのね。小さい頃からいつでも一緒にいて、なんでも話し合ってたエドが、気がつくとさっさと恋人を作っていて、仕事も一人で決めてさっさと就職してたりして。それでほとんど話もしなくなったし、置いてきぼりになったみたいな気がしてたのよ」
ロイのことは、なんて言えばいいかわからなかったから言わなかった。自分を本当に恋人だと思ってくれているのかすら、あのときは自信がなかったから。
仕事のことは、自分の悪い癖だ。なにかに夢中になると、他のことが全く目に入らなくなる。ようやくやりたい仕事を見つけ、皆に追いつきたくて、そればかりで。
「最初のきっかけは、それだったみたいね」
「………きっかけ?」
「最初はね、寂しかっただけだったみたい。でもね、あなたが毎日仕事に出かけるのを見ていて、気になって知りたくなったみたいなの。疲れ果てて帰って、休日なんてほとんど寝て終わって、なのになんであんなに楽しそうに出勤していくんだろうって、不思議そうに言ってたことがあったわ」
「…………………興味を持った、ってことかな」
「ええ、そうね。あなたの会社に皆で行ったことがあるでしょ?あのとき見たトラックや小さな事務所や、優しくて頼りになりそうな皆さんを思い出して、あなたがそこまで大好きになれる会社なら、きっと自分も好きになれる。就職するならそんな会社に入りたいって。あなたや皆が大好きな会社の一部に、自分もなりたいって思った、って、これはあの子が私に言った言葉よ」
「オレの会社の、一部に……?」
「で、今日一緒に見て、やってみて、考えたようだわ。私に電話してきてね、やっぱりドライバーは向いてない気がするって。でも、頭を使うことなら自分でもできるし、あの会社には事務を専門にする人がいない。だから、自分がそれをやりたいって」
「でも、大学せっかく入ったのに。運送会社に大卒のやつなんてほとんどいないよ?学歴関係ない仕事だし、」
「経済をお勉強するんだって言って選んだ大学は、確かにドライバーには必要ないかもしれないわね。もしかしたら、経理や事務のお仕事が最初から頭にあったのかもしれないわ」
最初から。
受験する大学を具体的に決めたのが期限ギリギリだったということは知っていた。
弟なりに迷い、悩んで、考えていたのかもしれない。そうして出した答えにどんな知識が必要かを考えた末に、選んだのが経済だったのか。
「…………そうか………」
「それだけが目的じゃなかったみたいだけどね。お仕事で行ってるお店がなくなるって言ってあなたが悲しそうだったから、っていうのもあったみたいよ」
「………そんなに湿気た面、してたかなオレ」
「すごく寂しそうだったわよ。兄さんには自分がついてなくちゃ、ってあの子昔からよく言ってたじゃない」
やっぱりそうか、と思うと、照れくさくなった。
自分はどれだけ感情が顔に出やすいんだろう。弟に心配されるなんて、恥ずかしくて居たたまれない。
それはそれとして。
確かに、アルフォンスは肉体労働よりは頭脳労働のほうが得意だ。
リザも事務とドライバーを兼務していて、本当に大変そうだ。パソコンを持ち帰って遅くまで仕事をしているのも知っている。
弟がそれをしたいと言うなら、リザもロイもずいぶん助かるに違いない。
そうか、とまた呟いて、料理に戻る母親の背中を眺めた。
自分がやりたいことを見つけて仕事を決めたとき、弟もこんな気持ちだったんだろうか。
寂しい気持ち。
諦めの気持ち。
そして、自分の道を見つけてそれへ足を踏み出した弟に感じる、誇らしい気持ち。
リビングからは父親と恋人が歌い始める声が聞こえる。なにを歌っているのかさっぱりわからないし、音程もめちゃくちゃ。
風呂から出てきた弟が、キッチンにスマホを持ってきて検索を始めた。調べている内容はというと。
「社会保険労務士?」
「うん。あと税理士と、それに整備士も最低ラインは取りたいな。それから、」
「………いや、運行管理だけなんじゃ………」
「なに言ってんだよ。全部できればその分経費も手間も浮くんだよ?それに運送会社として車庫を構えたら、整備士の資格を持ってる人が一人は必要なんだって。皆取る暇ないだろうから、ボクが取るか整備士を一人雇うか……」
ああ、だからうちに車庫がないのか。作ろうかって話を聞いてから変化がないから不思議に思っていたけど、そういうことか。
「名前だけ登録してもらうって、できないのかなぁ。整備が必要なときだけきてもらうっていうの」
考え込む弟は、もうすっかり会社の一員になった顔をしている。ハボックやリザにどんな話を聞いたのかわからないが、やる気になっているようだ。
「あ。そういやウィンリィが整備士の勉強してたよね。資格取れたか聞いてみようかな」
自宅が整備工場だから、あとを継ぐとは聞いたけど。
「いや、あいつはやめたほうが………」
なんか気に障ることしたら工具が飛んできそうな気がする。
けれど、弟の真剣な顔を見るとなにも言えなくなってしまって。
これから先が、なんだか楽しみになってきて。
弟が、明日から同じ会社に来る。もしかしたら魚屋もそのうち来るかもしれない。ウィンリィも出入りするようになるかもだし、他にもいろんなことがどんどん変わっていくのかも。
ヒューズが来て職場が明るくなって、仕事も楽になったように。
新しい風が入ったら、また素敵な変化が起こるのだろう。
そうしていつか、ロイが目指す理想が形になって実現するのだ。
自分は、そこでなにができるだろうか。皆の一部として、なにか力になることができるのだろうか。
以前ならそう考えたら落ち込んでいたけれど、今は違う。少しずつでも前へ向かって着実に歩いている今なら、自信を持って言える。
きっと力になれる。皆と一緒なら、ロイと一緒ならきっと。
そのために、今頑張ってるんだから。と、そこまで考えて気がつく。
明日から、自分はなにをすればいいんだろう。何時に出勤すればいいのかもわからないのだが、どうすればいいのか。
リビングを覗いてみたけど、二本めの瓶を開けながら意味も脈絡もなくへらへら笑っている父親と恋人に、諦めて風呂へ向かう。言葉が通じる者は、あそこにはもういない。
アルフォンスが、明日会社に行くんだった。
だったら、それと一緒に出ればいいか。なんて思ってから、つい笑ってしまう。
大好きで、毎日とても充実していて楽しい会社が、またさらに楽しくなる。
今までしていた仕事がなくなったことの寂しさなんか、きっとすぐに忘れてしまう。
そうしてそれが思い出になって、経験値のひとつになって。
いつか懐かしくなる頃には、少しだけ成長した自分に気づくことになるのだろう。
「………ロイ、お風呂どうすんだろ」
そこでふと思い出し、リビングを振り向いた。自分のベッドで寝かせるなら、汗をかいたままは勘弁してもらいたい。
調子外れの歌声がいまだ響く廊下で少しの間考えたエドワードだったが。
「まぁいいや。あの調子なら、きっとあのまま寝ちまうだろ」
着替えを抱えて風呂へと足を向けて、あとはもう気にしないことに決めたのだった。
END,
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