新しい風





「おかえりエドワード。少しだけ待っててくれ、今これ終わらせるから」
パソコンの画面を睨んでいたロイが、エドワードに笑顔を向けてくる。ついでに恋人が座っている椅子をさらに近くに引き寄せるロイの手を、エドワードがぱしんと叩いた。
「真面目に仕事しろ」
「冷たいな。まぁそんなきみも可愛いんだが」
頭大丈夫なのかこいつ。
「このあとのオレの仕事だけ教えてくれたら、あとは用事はないから。好きにしろ」
「さらに冷たいな!一緒に仕事に連れてって、とかそんな言葉は」
「ない」
「くそ。なにがなんでも連れて行ってやる」

ロイが見ているのは、あちこちの荷主から入ってきたメールだった。どこでなにをいくつ積んでどこへ持って行く、等の指示書のようなもの。リザはそれを見て伝票を作るが、ロイは物量を見る。いくつあるか、パレットにすると何枚になるか、トラック一台に積みきれるか。過積載になりそうなら、追っかけを出すかどうか考えなくてはならない。
そしてその物量によって、エドワードがどこへ誰の手伝いに行くかが決まるのだった。

「今日は、ハボックの荷が多いな……」
嫌そうに呟くロイ。このままではエドワードをそちらに回さねばならなくなる。
「あのぅ、ボク行きましょうか」
手をあげたアルフォンスに、全員が注目した。
「いや、オレが積むの野菜だぜ?モノによっちゃ相当重いし、無理をさせて怪我でもされたら……」
眉を寄せて首を振るハボックに、ロイが顔を上げた。
「いや、今日はおまえは葉物だけだ。重さはたいしたことない。できるか?アルフォンス。軽いものでも、数があると結構きついぞ?」
「はい、頑張ります!」
にこやかに答える弟に、エドワードのほうが不安になってくる。ハボックは葉物野菜ばかりと聞いて、安心したようだった。
「ま、葉物ならな。かさばるばっかで荷は軽い。けど、気を抜くなよ?マジ怪我されたらオレ社長に殺されるからな」
「はい、気をつけます!」
「ちょ、アル」
慌てて弟の側へ行き、エドワードはなんとなく小声になった。
「大丈夫かよ。今日のオレの荷は特別少なかったんだぞ。ハボックさんのは大型車だから、あれの何倍も積むんだぞ?」
「大丈夫だよ。ていうかお店なくなるって言ってたじゃん、閉店するお店にそんなたくさん荷物あるわけないって、いくら素人のボクでもわかるよ」
「けど、」
「普通はどれくらいあるのかなって、見たくなっただけなんだ。邪魔にならないようにするから」
アルフォンスがそこまで言ったとき、事務所の外で大型車のエンジンが唸る音がした。ハボックが予冷をするためにかけたようだ。暖かい日が続くようになったこの季節からは、積み込む前に先にしっかり箱の中を冷やしておく必要があった。
「あ、行かなきゃ。じゃあ兄さん、帰る頃また連絡するね!」
言うなり返事を待たずに駆け出して行った弟に、エドワードは困った顔でロイを見る。
「もー、あんたがあんなこと言うから。すっかりその気じゃん、アルのやつ」
「意外に過保護なんだな、きみは」
肩を竦めて笑ったロイが、画面を見ながらヒューズを手招きする。
「おまえはこっちへ行ってくれ。多分パレットに10枚程度だと思うが、増えるようなら連絡を頼む」
「オーライ社長。フュリー、鍵貸してくれ」
フュリーはさきほど帰ってきたところで、夜の出発までしばらくトラックは使わない。その空いた時間、ヒューズがその車を使うことになっていた。
「ブレダとファルマンはいつもの定期便だ。荷はそこそこだが、重いぞ」
「はい」
「了解っス」
指示を得て、皆がそれぞれに散っていく。リザも素早く出ていき、フュリーも手荷物を抱えて立ち上がった。
「じゃ、ボク帰ります」
「ああ、お疲れさま。今夜も頼んだぞ」
「はい。お疲れさまでした。エドワードくん、また明日ね」
「うん!お疲れさま!」
事務所を出ていくフュリーに手を振って見送って、そうして改めて事務所を見回す。
あとに残ったのは、自分とロイの二人だけ。
「二人きりだな、エドワード」
「…………オレの仕事はどうなったんですか、社長」
じりじり迫ってくるロイに、後退するしかないエドワード。じきに壁に突き当たり、逃げ場を失ってしまう。
「きみの仕事は、今からここで私とピーでピーをピー」
「伏せ字だらけだぞ、セクハラ社長」
「なんとでも。さぁエドワード、今すぐ私とピーを」

「忘れ物をしました」

ばたんとドアが開き、リザが入ってくる。

「社長、」

「ごめんなさい」

言われる前に頭を下げた社長に、リザが肩を竦めた。

「さっさと出ないと遅れますよ。エドワードくん、大変だろうけど頑張ってね。困ったら電話するのよ」
「うん。ありがとう」
机から書類を出した姿のまま動向を見守るリザに、ロイがそそくさと鍵を握った。
「仕方ない、行くぞエドワード」
「………仕方ない、はこっちのセリフだよ………」
三人で事務所の戸締まりをし、外に出る。ドアに鍵をかけながら、リザがくすっと笑った。
「アルフォンスくん、頼りになる弟ね」
「なに考えてんだか、全然わかんねぇよ」
正直に言って、ため息をつく。
本当に、なにを考えているんだか。ドライバーになる気なんて、ないはずなのに。




夕方を過ぎ、すっかり暗くなった頃、ハボックのトラックが戻ってきた。
先に戻っていたエドワードたちが出迎えに出ると、あとからリザの車も入ってくる。他の皆は少し距離のあるところへ行っているため、帰りはまだ遅くなるはずだった。
「飯でも食いに行くか」
事務所の机に伝票と日報を放り出したハボックが言うと、リザが気遣うようにアルフォンスを見た。
「おうちに食事の支度ができてるんじゃないの?それに疲れただろうし………」
「あ、大丈夫です。家には連絡をしておきましたから」
多少疲れた顔で笑ったアルフォンスに、エドワードはまた不安になる。
なにか考えがあるのだろうが、いったいなんなんだろう。
「じゃ、国道のファミレスにするか。二人とも、帰りは私が送るよ」
ロイに肩を押されるようにして、ロイの普通車に乗せられる。アルフォンスはなにも言わないままハボックの車へと行ってしまった。
「ほんと、なに考えてんだアルのやつ」
ぶつぶつ言うエドワードの隣で、ハンドルを握ったロイが苦笑する。
「あの子ももう大人なんだよ、エドワード。言わないうちは放っておいてあげなさい」
「…………うん」
わかってる。
わかってるけど。
もやもやした気持ちのまま、ハボックの車がたてる騒音のあとに続いてファミレスの駐車場に入った。
ドアを開け、弟を見る。
弟は笑顔でこちらに手を振っている。けれどその顔は、なんだかなにかを決意したような表情に見えた。


「ボクを、雇ってほしいんです」

料理の注文がすむとすぐに、アルフォンスが口を開いた。
ひたすら驚くエドワードの側で、ロイは落ち着いた様子で頷いている。
「うちでバイトをしたいと、そういうことかい?」
「最初はバイトで。大学を卒業したら、ちゃんと社員で入社したいです」
「学生が片手間でできるほど楽な仕事じゃないのは、今日見てわかったと思うが」
「ボクはドライバーになりたいんじゃないです。事務全般をやりたいです」
「じ、事務?」
思わず声をあげて、慌てて黙る。
運転にはさほど興味がなさそうに見えたのは確かだけど。
でも、事務なんて。
「必要な資格は、さっきリザさんに聞きました。運行管理とか、すごく難しい試験があるって。それ全部、学生のうちに取ります。だから、」
運行管理者は国家試験に合格しなければ得られない資格だ。それを持たない者は、運送会社で配車をすることができない。配車とはロイがしていたような、荷物や車やドライバーの状況を見ながら仕事を振り分けること。簡単なようで、じつはとても難しい仕事だった。ロイの会社では、ロイしかその資格を持っていない。
「経理も教わりますし、資格も取ります。それなら、雇ってもらえるでしょうか」
真剣な顔で聞くアルフォンスに、ロイはちらりとエドワードを見た。
「それだけの資格を揃えて来るとなると、私には断る理由が見つからないな。だが、お兄さんはあまり賛成ではないようだが」
「え。いや、オレは……」
アルフォンスはもちろん、その場にいる皆の視線が集まってきて、エドワードは俯いた。
「反対、てわけじゃないけど。でも、今までそんなん全然言わなかったのに、なんで急に……」
「急じゃないよ。結構前から考えてはいたんだ。今日は、そういうの見たいのもあってついて来たんだよ」
料理が来て、皆が箸を取り、話はいったん終了した。
けれど、考えるのは止められない。

前から、考えていた?
そんなこと全然知らなかった。
でも、それじゃなにを考えていたかとなると。
ロイの会社に正式に入社してからこっち、そういえば家族とほとんど会話らしい会話もしてなくて。
忙しかったから。覚えることがたくさんありすぎて、毎日ひどく疲れていたから。
弟がどうしていたかすら、思い出せない。

ハンバーグを美味しそうに頬張る弟を眺めながら、なんと言えばいいのかわからないエドワードは途方に暮れるしかなかった。



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