新しい風
「聞いたか?ここ、閉店するんだって」
「パートやバイトの人は、もう次を探してるよ」
「オレどうしようかな」
どの店に行っても、話といえばそれだった。昨日突然通達があったようで、店員は皆そわそわしていて落ち着かない。店の入り口には昨日まではなかった張り紙がしてあり、閉店のお知らせが書かれている。
それらを回って最後に配送に来た店には、なにも貼られていなくて少しほっとした。店員は時折顔を寄せてひそひそと話をしているけれど、異動などの話は聞こえてこない。一番大きな店だから、ここは残すんだろうな、と一人で納得する。
他の会社のトラックの運転手との話も、今日はそればかりだ。
「こういうの、何ヶ月か前から知らせて準備するのかと思ってた」
エドワードが言うと、市場から荷を持ってきている魚屋が肩を竦めた。
「店によるけどさ。たいていは急だよ。中には明日からもう荷は要りません、て夕方連絡が来たりするとこもあるんだぜ」
「そっか。仲卸のお店も大変だな」
店先の自販機の側で休憩中。ロイは車の中で電話中で、エドワードたちは座り込んでおしゃべりしていた。魚屋の他にも、パンを運んで来るトラックや雑貨を持って来たトラックの運転手も側で缶コーヒーを飲んでいる。
「坊主はどうするんだ?他の仕事に行くのか?」
パン屋が聞いてくる。辞めるか、ではなく他社の仕事に回るのか、という意味だ。エドワードは首を傾げ、ロイのほうを見た。
「今朝、青果のバイヤーさんから今月いっぱいでって話は聞いたよ。そのあとのことはまだわかんねぇけど、ここの仕事はもうしないみたい」
「そうか。じゃあ坊主に会うこともなくなるかなぁ」
寂しげに笑ったパン屋に、雑貨屋も頷く。
「朝おまえに会うと、なんか元気になる感じがして嬉しかったんだけどな、仕方ないなぁ」
「え、そうなの?」
そんなに毎朝会っていたわけではなく、会話も挨拶程度だったのに、そんなふうに思ってもらえてたんだ。嬉しくなると同時に寂しくなって、エドワードは俯いた。
「ま、次にどこに行くにしろ、みんな食品運んでんだからそのうちまた会うこともあるさ」
魚屋が、エドワードの頭にぽんと手をのせた。
「それにエドのことは、エドんとこの社長がどうにかしてくれる。大丈夫だよ」
「社長……………」
朝から電話でリザに来月からのエドワードの仕事は自分の車の助手席に乗ることにすると言って鼻で笑われて、それからずっと交渉を続けている、あのアホのことだろうか。
「あれがエドんとこの社長だったのか。若いのに貫禄があるな、とは思ったが」
パン屋の言葉に、魚屋が大きく頷く。
「そうなんだ。立派な人でさ、オレ超尊敬してんだ」
「あの社長の噂なら聞いたことがあるぞ。北の女王の会社から独立したんだったよな?」
「ああ、そうそう。あの女王に逆らうやつがいたのかって、みんなびっくりしてたな」
まわりの皆が口々に言う。オリヴィエ社長のことを女王と呼ぶのは社員だけじゃなかったのか。
「北?」
「そう、ほら女王んとこの本社は街の北側にあるから。みんなそう呼んでる。ちなみに西の女王はエドの会社のリザって人だ」
「へぇ。エドのとこって、そんな人もいるんだ」
「北の女王もたいがいだが、リザとかいう女も相当怖いと聞いたぞ。エド、もし辛かったらうちに来てもいいんだからな?」
「へ」
魚屋とパン屋の会話をぼんやり聞いていたエドワードは、いきなり話を振られて驚いて顔をあげた。
「つ、辛いって。そんなこと全然ないよ!みんないい人ばっかで」
「そうか?なんか、マスタング社長がよそから選んで引き抜いてきた社員ばかりで、腕はいいけど癖のある連中が揃ってるって話だが」
「そ、そうかな」
引き抜いたのではなく、みんな自分からついてきたと言ってたけど。噂って、一人歩きするものなんだな。そう感心するエドワードの背中を、魚屋がばしばし叩いた。
「やっぱエドんとこってすげぇ会社なんだな!オレますます興味わいた!今度見学行っていい?」
「………えーと、」
自分はかまわないけれど、勝手に返事をしていいものなんだろうか。考えていると、雑貨屋が空き缶をゴミ箱に放り込んだ。
「有名人揃いの会社じゃ、新米は居づらいものがあるんじゃないか?ハボックってやつの噂も聞いたことがあるぞ。もとは暴走族で、短気でおっかねぇやつだとか」
「あー………そういや、そんなん聞いたことがあるかも………」
けれど、単にバイクや車が好きなやつが集まった部活みたいなもんだった、とハボックは笑っていたような。短気かどうかはわからない。ハボックは社内では主に社長へのツッコミ要員で、よく大声は出すけど、本気で怒ってるところなんて見たことがないから。
「しんどかったら、うちも空きはあるからな。いつでも来いよ?」
雑貨屋は本当に心配そうにエドワードを見て、自分のトラックに戻っていった。
「エドんとこ、そんな怖い人がいるのか?」
「え?いやいや!」
不安そうな顔になる魚屋に、慌てて首を振る。
「優しい人ばっかだよ!?ハボックさんだって、いつも明るくて賑やかで、オレ大好きなんだ!」
「………ほう。大好き、なのか」
いきなり会話に混ざった恋人の声に、びくんとして振り向く。電話を終えたらしいロイが、引きつった笑顔で側に立っていた。
「ロ……じゃなくて社長、電話は………?」
「リザが強情でな。帰ってからまた話すことにした。それよりエドワード、いま聞き捨てならんことを話してただろう。なんのことだ?」
「いや………えと、ハボックさんのことで、色々噂があるみたいだから………」
「ハボックの噂?」
怪訝な顔のロイに、座り込んでいた魚屋が立ち上がった。
「暴走族の怖い人がいるって噂ですけど、大丈夫なんですか?エド、いじめられてたりしませんか?」
「いじめ?エドワード、なにかされたことがあるのか?なんか卑猥なこととか」
卑猥って。
「ないよそんなん」
それはあんただろう。自覚は当然ないだろうけども。
「ないけど、なんかうちの会社って色々言われてるみたいで………」
「ああ、そんなことか」
肩を竦めたロイが、側の自販機の前に立った。
「女王ともめて独立したことは誰でも知ってることだからな。色々言われてるのは承知の上だ。エドワード、なにか飲むか?」
「いやもう飲んだし。腹たぷたぷになっちゃうよ」
「そんなきみも可愛いと思うんだが」
「どんな変態だよあんた」
自分の缶コーヒーを選んだロイは、それを持ってエドワードの隣に割り込んだ。
「まぁ、皆好き勝手言うものだ。噂なんぞ放っておけ」
「ただの噂なんですね?いじめとか、ないんですよね?」
こだわる魚屋に頷いて、缶を開ける。
「そんなことをするやつはうちにはいないな。新人いじめなんて、よほど暇なやつのすることだろう?」
「そうなんですね。よかった、安心して見学に行けそうだ」
ほっとする魚屋。黙って聞いていたパン屋が、エドワードを見た。
「聞いた噂とは色々違うみたいだな」
「あ、うん!全然違うよ、怖い人とかいないし」
笑顔で答えるエドワードに、ロイも頷いた。
「ハボックのことなら、やつは単なる無害なバカだ」
他に言いようはないのか。
「じゃ、社長さん。オレ今度お邪魔していいですか?見学に行きたいんです」
手をあげて言う魚屋にも頷いて、
「いつでも来なさい。仕事ができる者なら大歓迎だ。仕事ができる者なら」
二回言った。ほんとは来てほしくないのか。
「またな、坊主。月末までにまた会えたらいいな」
「うん、また!」
「じゃあなエド、また明日!」
「うん、明日!またね!」
パン屋も魚屋も、それぞれの車に戻っていく。それらが出て行くと、駐車場にはエドワードの黒いトラックだけが残った。
「さて、帰るか。リザに話の続きをしなくては」
ロイが空き缶をゴミ箱に捨てながら言う。聞いてもらえないと思うけど、こういうときは本当にしつこいなこの人。
車に乗り、店の建物を見上げる。
月末まではまだ少しあるのに、なんだかすでに別れを惜しむ雰囲気だ。
なんだか、寂しい。
半月もしないうちに、もうここに来ることはなくなるんだ。
毎日会って話をした人たちとも、もう会うこともなくなる。
「飯はどこで食うかな。いったん会社に戻って車を乗り換えてから………」
予定を考えながらエンジンをかけるロイを、ちらりと見る。
今日、ロイがいてよかった。
一人だったら、きっともっと寂しかった。
通勤ラッシュの渋滞を眺め、エドワードは短いため息をついてから、気分を変えようとお菓子の袋に手を伸ばした。