野菜、運んでます





空がすっかり明るくなった頃、エドワードのトラックは最後の店に到着した。
小鳥の声がして、表の道路を小学生たちが賑やかに歩いていく。爽やかな早朝の澄んだ空気の中、その店に先に着いていた小さなトラックの運転手が、疲れきった笑顔でこちらに手を振った。
「おはよう、エド。今日は助手つきか?」
「おはよ!助手じゃなくて監督っつーか。うちの社長なんだ」
余計な自己紹介をされないうちにと、エドワードが素早く言ってロイを見る。
「市場の魚屋さんなんだ。毎日ここで会うんだよ。初めて来たとき、納品の仕方を教えてくれたんだ」
「毎日、か」
気になるらしいところを復唱し、ロイが笑顔を作る。
「やあどうも。うちのエドワードがお世話になったようで」
「あ、いやどうも…はじめまして」
社長と聞いて狼狽える男に、エドワードは小さくため息をつく。普通、こんな平社員に社長がついてくるなんてことは滅多にない。戸惑うのが当たり前だ。
「エド、台車とっといたぜ。使うだろ?」
男が指す方をみれば、畳まれた状態のカゴ台車が数台、隅に置いてあった。
「ありがとう!助かるー!」
喜んでそっちへ駆け寄るエドワードに、ロイが怪訝な顔をした。
「台車なんていくらもあるだろう。取り置きが必要なのか?」
「ここは店が大きいから」
横から魚屋の男が言った。
「来る荷も多くて、いつも台車は奪い合いなんです。全然ないってときもあって、そしたら奥へ行って台車が空くのを待って借りて来るか、でなきゃひとつずつ荷物抱えて走って往復しなきゃなんなくなって」
「そうなのか」
説明を受けてロイが頷いている間に、エドワードが台車を引っ張ってきた。滑車のついた台の三方に柵がついたカゴ台車と呼ばれる台車は、手押しの台車よりもたくさんの荷が積める。これなら全部入るね、と明るい笑顔を向けてくるエドワードに、つられてロイも魚屋も笑顔になった。

エドワードがトラックの荷台に上がり、積んであったすべての荷物を後ろへと持ってきて、ロイがそれを台車に移す。それを魚屋が青果の作業場まで押して行ってくれて、10分もしないうちに作業が完了した。

「お疲れさま!手伝ってくれてありがとう!」
恋人が魚屋に向ける笑顔はおもしろくないが、礼はしなくては。そんな顔で、ロイが側の自販機から缶コーヒーを三本買ってきた。
「すいません、ありがとうございます」
嬉しそうに受け取った魚屋が、そうだ、とエドワードを見た。
「朝ここに来る、パン持ってくるトラック知ってるか?」
言われた社名に、エドワードが頷く。
「たまに見るよ。いつも忙しそうで、めっちゃ急いでるよね」
「そうそう。その運転手だけどさ、昨日から入院してるらしいぜ」
「入院?なんで…」
先日見かけたときはいつも通り元気で、たくさんのパンが乗った台車を走るように押してたのに。
「昨日の朝、ゲートから台車ごと落ちたんだって」
「ゲートから……」
トラックの後ろに付いた、台車を上げ下げするための装置。エドワードのいる会社にはそれが付いた車はなく、他社のドライバーが操作する様子を見て少し羨ましかった。
一枚の大きな鉄板が後ろに付いているタイプと、観音ドアの下に折り畳んで格納されているタイプがある。パンを運んでくるトラックのゲートは折り畳み式のもので、それを使って荷台に上がったドライバーが台車を下ろすのを見るのは興味深かった。

ていうか。
エレベーターみたいなアレがあれば、荷台によじ登ったり飛び降りたりする必要がなくて、すごく楽そう。

「……でもあの人、ベテランみたいだったけど……」
初老のドライバーとは挨拶くらいしかしたことはないが、操作ミスをするようには見えなかった。リモコンや台車の扱いは慣れたもので、何台分ものパンを納品するのもあっという間。そんなドライバーが、入院するような怪我なんて。
「ベテランでも怪我はする。気をつけなければ、ゲートは本当に危険なんだ」
ロイは頷いて、入院程度ですんでよかった、と魚屋に言った。魚屋もそれへ頷いてみせる。
「市場にもゲート車がたくさん入ってきますけど、いつだったかすげえ事故があったんです。魚積んだ台車を積み込んでた人が、やっぱゲートから台車ごと落ちて。台車には魚とか氷とか、いっぱい入ってて……それの下敷きになっちゃって」
下敷き。
エドワードは声も出せず、初めて聞く話に戸惑った。
「……死にはしなかったけどさ。大怪我して長いこと入院することになって、そのドライバー仕事辞めちゃったんだってよ」
男はトラックドライバーではなく、市場の魚屋のルート配送をしている。普通の会社でいえば営業マン。それでも毎日トラックに乗って仕事をしていることで、気持ちはトラックドライバーなんだと笑って言ったことがあった。
それだけに、ドライバーの事故や怪我は他人事ではないのだろう。実際にその仕事をしているエドワードにとってはもう、自分のことのように思える話だ。
「……また、治ったら他の会社に行くかもだし、そしたら市場にも……」
「いや。腕が一本なくなっちゃったら、もうドライバーはできないだろ」
「……………腕が、………」
重い台車に押し潰されて、切るしかない状態になったらしい、と男が言った。他にも肋骨も何本も折れて、足も。
そんなすごい怪我を。エドワードが言葉をなくした横で、ロイが肩を竦めた。
「それでも、命があっただけ儲けものだ。ゲートから落ちて、台車に潰されて死んだやつはたくさんいるからな」
「た、たくさん」
怯えた顔になるエドワードと魚屋に、ロイは真剣な顔を向けた。
「おまえたちもこれから先、ゲート車に乗ることもあるかもしれん。だから言うが、いいか。もしもゲートに乗せた台車がバランスを崩したり、車止めを越えて下に落ちそうになったりしたら、すぐに手を離せ」
「え。離したら、台車が落ちて荷物が…」
思わず、といった顔で反論した魚屋にも、ロイは表情を変えない。
「荷物なんぞどうでもいい。とにかく、止めようとするな。手を離し、ゲートからも離れろ。荷を積んだ台車は数百キロ、もしくはそれ以上になることもある。そんなのが倒れたり落ちたりするときに巻き込まれたら、どうなるかわかるだろう」
「………………」
「ゲートの操作はもちろん、台車を扱うときも。常に周囲の安全を確認し、万一のときに自分や周囲の人が巻き込まれないようにしなきゃいけない。これは重量のある荷を扱う者の義務だ」
「はい!」
魚屋はどうやら、ロイの言葉に感銘を受けたらしい。きらきらした瞳を向け、素直に頷いている。ロイもすっかり上司の顔で、並んで止まっている二人の車を見た。
「ゲートだけじゃないぞ。トラックの荷台は高さがある。おまえたちの車は小さいが、それでも地上からは1メートル近い。降りるときはもちろんだが、荷を後ろに持ってくるときも、気をつけなくては。踏み外したら痛いじゃすまない怪我をするぞ」
「あ、オレ時々焦って下ろすとき落ちそうになる」
魚屋が言い、エドワードも頷く。急ぐときはどうしても足元が疎かになるのは、自分も同じだ。
「とにかく、気をつけろ」
表情が和らいだロイが、二人の頭をぽんと叩いた。
「荷物も台車も、壊れたってどうにでもなる。だが、おまえたちの代わりはいないんだ。自分の安全を最優先に。あとのことは二の次だ」
言い置いてトラックに戻るロイの後ろ姿を見て、魚屋はため息をついた。
「エド、おまえんとこの社長ってすげえいい人だなぁ。うちの社長なんか急げ急げしか言わなくてよ。あんなこと言ってくれたことねぇよ」
「うん………」
そう、社長としてのロイは尊敬できる。
なんでもできて、なんでも知っていて、社員のことを一番に考えてくれて。
「オレ転職しようかなぁ…オレもあんな人がいる会社で働きたいなぁ」
本気で悩みながらトラックに戻る魚屋に苦笑して、エドワードも運転席へと歩き出した。

ちらりと駐車場を見る。
広い駐車場には、まだ客の車はない。がらんとしたそこに、一台のトラックが入ってきて止まった。
乳製品を運んできたその車は、エドワードもたまに見る。台車ごと積んできた荷物を、ゲートを使って下ろす車だ。
離れたところに止まってこちらを見るドライバーの行動に、エドワードは今やっとわかったと頷いた。
あの車はいつも、離れたところからこちらを見ている。搬入口を塞ぐ小さなトラックが邪魔で、早く出ろなんて思われてるんだろうな、と思っていた。でも、そうじゃなかったんだ。
その車へ駆け寄って、エドワードは大声を出した。
「ごめん!もう終わったから、すぐ出るね!」
ドライバーはちょっと驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「おう、急かしてるわけじゃねぇから!ゆっくりでいいぞ!」
「大丈夫!お先にー!」
手を振って車に駆け戻ろうとしたが、それより早く自分のトラックが動き出すのが見えた。ロイが気を利かせたらしい。
ゲート付きの車が、ゆっくりと搬入口に向かう。
あのドライバーは、側に人がいなくなるのを待ってたんだ。少しでも危険を減らすために、周囲の安全を確かめてたんだ。
そういえば。自分があとから来たときに、ゲートの側を通り抜けようとしたら、動かしている途中でもリモコンから指を離して、ゲートを止めて通過を待ってくれていた。

命の危険は、どんな仕事にも付き物だろうと思う。

けれどこの仕事ほど、それが身近な仕事もそうたくさんはないんじゃないか。

リモコンを使ってゲートを出すドライバーが、こちらに向かって手を振った。
それへ振り返して、自分を待つトラックへと走る。

荷物も車も、自分も。
安全に運ぶためには、いろんなことに気をつけなくちゃ。




トラックに戻り、助手席に乗り込んだ。運転席にはロイがいて、さっきの残りのコーヒーを飲んでいる。
「おまたせ!」
ドアを閉めると、ロイが仕分け表を指した。
「もう荷はないが、市場に戻るのか?」
「いや。この仕事はこれで終わりだから、会社に戻るよ」
「そうか。じゃあどこかで朝飯でも」
ひょいとハンドルを切って、ロイはそのまま国道に向かった。その横顔に、エドワードは魚屋の言葉を思い出す。
自分はたまたまこの会社に入ったけれど、他の会社に入ってたらどうだったんだろう。
自分の安全を最優先しろ、なんて言ってくれる会社が、他にもあるんだろうか。
「……なんだ?」
視線に気づいたロイが、怪訝な顔になる。エドワードは急いで首を振った。
「な、なんでもない!」
頬が勝手に熱くなる。どうしよう、と困ったとき、ロイが真面目な声を出した。
「エドワード。話があるんだが」
「な、なに」
「さっきの男だが。きみ、妙に親しげだったが仲がいいのか」
「え。まぁ、あっちもあそこが最後だから、もう急がないし…コーヒー飲んでおしゃべりしたりとか、たまに」
「だからきみは危機感が足りないと言うんだ。あんなひとけのない場所で二人きりなんて、もしなにかあったら」

……また始まった。

延々と続くロイの小言を聞き流しながら、エドワードはため息をついて窓の外を眺めた。

ロイに憧れたらしい魚屋の顔が浮かぶ。

転職って言ってたけど、うちに入ってこれ見たら、後悔するんじゃないかなぁ。

空は快晴。
通勤ラッシュで混み合う国道を、黒いトラックが駆け抜ける。

「聞いてるのか、エドワード!」

「はいはい」

「ああ心配だ!明日からまたきみが一人だと思うと!」

「はいはい」

「明日の仕事はキャンセルしよう!やっぱり私が一緒にいなくては」

「はいはい」

リザさんに殴られても知らないよ。

エドワードは自分のスポーツバッグからお菓子を取りだした。

今日もお疲れさま。

明日も、安全に。

たくさんのことに気をつけて、事故のないよう、頑張ろう。



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