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野菜、運んでます




「おはよう、エドワードくん」

「……おはよ………」

夜明けが近い、まだ暗い時間。
たくさんのライトに照らされて昼間のように明るい青果市場の一角で、小さな黒いトラックを停めたエドワードは疲れた声で挨拶を返した。
「どうしたの?今朝は元気ないねぇ。寝不足かな?」
「………いやぁ。ははは……」
柔らかな物腰でいつも笑顔のこの相手は、とあるスーパーの青果担当のバイヤー。
大手チェーンなら専用の荷物集積センターがあるが、小規模なスーパーにそんな経費のかかるものはない。なので市場で品物を買いつけたバイヤーは、空いてる一角を借りてそこに荷を積み上げ、やってきたトラックに積み込んで各地に点在する支店に直接運んでもらっている。
もちろん小手なのでたくさんの車を雇うわけにはいかず、バイヤーも自分の小さなトラックに積めるだけ積んで、自ら支店を回って配送していた。
「今日の荷はこれだけ?」
周囲に置かれたパレットを見回しながら聞くと、バイヤーは苦笑しながら頷いた。
「連休も過ぎて、あまり商品も動かなくなってきたしね。どの店も発注が少なくて…」
予算も厳しくて、と笑うバイヤーに、同情の目を向ける。各店舗から送られてくる発注と本社から提示される予算を見比べながら、少しでも発注どおりの品数を揃えようと市場と交渉を繰り返すバイヤーの頭は、ストレスからか若くして頭皮が透けて見えていた。
「あ、白菜が揃わなくてね。こっちとこっちの数を減らして、そのぶんあっちの店にまわすから…」
店舗ごとに品名と数を書いた表は、すでに何度も書き直されてごちゃごちゃ。苦労してんだなぁ、とエドワードはまた同情した。
「足りないのは白菜だけですか?」
声をかけたのはロイ。エドワードの後ろで荷を見回しながらも、恋人に笑顔を向ける男にちらちらと牽制の視線を送っている。
「あ、いえ。葉物野菜は全体的に値上がりがすごくて、じつはほうれん草も…」
答えつつバイヤーが戸惑ったようにエドワードを見る。
「………うちの社長だよ」
「えっ!あ、これは挨拶が遅れまして…!」
慌てたバイヤーが差し出す名刺を受け取ったロイが、自分の名刺を取り出した。
「いやいや、今日はちょっと時間が空きましたのでね。こちらの仕事はどんなものなのかと、以前から気になっていたので見学に来させていただきました」
人当たりのいい愛想笑いを浮かべるロイに、エドワードが小さくため息をつく。

リザが決めてきたこの仕事に、ロイはまったく関わっていない。リザが関わらせないようにしていたのもあるが。なのでエドワードがこれを担当して走るようになった当初から、ロイはずっと気にしていた。積み荷はどんなものでどれくらいあるのか、どんなところでどんなふうに下ろすのか。
そして、行った先にはどんな男がいるのか。
『まだ暗いような時間に、たった一人で走るなんて。なにかあったらどうするんだ』
『大丈夫だよ、お店にはもう人がいるから。多いときには手伝ってくれたりもするよ』
『下心がないとは言い切れんだろう。きみには危機感がなさすぎる。迂闊に二人きりになんてなったらどうなるか』
『どうもなんねぇよ』
『いや安心できない。休みがとれたら、私も行ってみなくては』
『え。代わりにオレ休んでいいの?』
『いやいや、きみがいなくては意味がない。それに、運転にも慣れたか確認しなくては』
『………………』
そんな楽しくない会話のあと、やっと今日休みがとれたと嬉しそうに助手席に乗るロイと、市場までの疲れるドライブをしてきたのだった。
「右行け左行け、ウインカーが遅い信号が赤だ自転車がいるぞ……っとにうるせぇってば。わかってるっつの」
ぶつぶつと思い出し文句を呟くエドワードをよそに、バイヤーとロイは天候が原因の野菜不足と価格高騰について盛り上がっている。
「まいりますよ、予算は変わらないのにこう値段が高いと…品物が揃わないと、店から文句もきますしね」
「だからって安く買い叩いたものは、あまりよくないものも多いですしね」
「そうなんですよ。返品されても、市場では交換なんかしてくれないし…」
愚痴を聞いてくれる相手を見つけたバイヤーは、生き生きと愚痴り続けている。本社と現場の間を取り持つ立場は、いろいろと気苦労が多いらしい。
「ねぇ、荷物これで終わり?」
あらかた積んで、残りを見回す。担当は5店舗なので、表を見て数えながらの積み込み。トマトが30、人参が15、等々。表にあった品物はすべて積んで、あとはバイヤーの指示待ちだ。
「あ、ごめんごめん。エドワードくん、積むの早くなったねぇ」
「ほんと?」
ぱあっと笑顔になるエドワードを見て、ロイは複雑な顔になる。一人前にはなってほしいが、なったらなったで置いてきぼりにされるような寂しい気持ち。そんな心境らしい。
「調子に乗るなよ、これだけの荷にこんなに時間がかかるようではまだまだだ」
ついそんな言葉が口から出てきてしまうロイに、エドワードが唇を尖らせた。
「別に、乗ってねーし」
むくれたエドワードの頭を軽く撫でて、ロイはバイヤーから伝票を受け取った。
「じゃあ行くか」
「ちぇ、偉そうに」
バイヤーに手を振って自分の車に乗り込んで、エドワードはハンドルを握った。

荷を積むと、目が覚める。
頭の中にあるスイッチが、仕事モードに切り替わる。
いつものその瞬間が、エドワードは好きだった。

市場を出て国道に向かう。街はまだ眠っていて、行き交う車も少ない。
「ウインカーは早めにな。しっかり左右を見て出るんだぞ」
自動車学校の先生みたいなセリフを言うロイに適当に返事をする。言われなくてもわかってるっての。
ほどなく国道に出たトラックは、そのまま隣街を目指してスピードをあげていった。



「一軒目はここだよ」
国道から一本奥に入った、住宅街の中。小さなスーパーの脇に、搬入口がある。
それを一度通りすぎ、そこで止まる。ハザードを出し、ギアをバックに入れ、バックモニターで後ろを確認してからゆっくりと車庫入れ。道路を塞ぐ形になり、走ってきた原付が仕方なさげに停まった。
「これはまた狭いな…店が小さいから、こんなもんなのか?」
感心したように呟くロイに、エドワードが肩を竦めてみせた。
「じゃねぇの?他もだいたいこんな感じだぜ」
「もっと大きいトラックも来るだろうに。皆路駐か?」
「うん。もっと早い時間に、道路で下ろしてるみたい」
青果と鮮魚以外は、市を待たずに荷が揃う。それを運んで来るトラックは、住民の交通の妨げになりにくい真夜中に来て、さっさと納めてさっさと出て行く。なので明け方に来るエドワードは、他のトラックとは滅多に会うことがなかった。
「それなら、まぁいいか」
うんうん頷くロイを無視して、エドワードは搬入口にトラックを停めた。クラッチを踏み込んでギアを抜き、サイドブレーキをしっかり引いてからエンジンを切る。夜明け前の寝静まった街では、トラックのエンジン音が響きすぎるためだ。
「バックするときのピーピーいう音でも、どうかすると苦情が来るんだって。変だよね、自分たちだって買い物には来るくせに。店に荷が届かなかったら困るだろうに、来たら来たでうるさいって文句言うとかさ」
到着時間を日報に書き込みながらぶつぶつ言うエドワードに、今度はロイが肩を竦めた。
「そんなもんさ。買い物に来る一般客は、目の前にある品物を誰がどうやって持ってきたかなんて気にしないものだ」
「ここは特にまわりがうるさいらしいんだ。クレーマーみたいなのがいるらしくて、台車の音とかもダメなんだって」
「ちょっと待て。それじゃどうやって下ろすんだ」
「とにかく静かに、ひたすら静かに。って、最初に来たとき店の人に言われたよ。外じゃおしゃべりも厳禁なんだ、声に苦情が来るから」
「…………」
呆れたように黙るロイを促して、エドワードが車を降りた。
そっとドアを閉め、店の入り口の側に置いてある台車をそっと持って来る。後ろの観音ドアを開き、積んで来た野菜を仕分け表を見ながら下ろしていく。
そっと、そーっと。音をたてずに、そーっと。
「これではまるきりこそ泥じゃないか」
「しー!」
素直に感想を口にするロイに、エドワードがひそひそと抗議する。
「店に入るまで、声出しちゃダメなんだってば」
「………難儀な仕事だな……」
そっと入り口を開け、忍び込むような足取りで台車を中へ引っ張り込む。
店内に入って、ようやく二人は大きく息を吐いた。
「おはよ、エド!」
そこにいきなりかけられた声に、驚いて振り向いた。ひっそりこそこそしていた後だけに、普通の声でもやけに大きく聞こえてしまう。
「おはよ。てか脅かすなよ、びっくりしたー!」
振り向いたエドワードが文句を言うと、制服姿の若い男が声をあげて笑った。
「おまえ毎回驚いてくれるから脅かし甲斐があるよ」
「わざとかよ!心臓止まったらどうしてくれんだ」
軽口を叩きながら台車を引いて行こうとすると、男が持ち手をひょいと引っ張った。
「いいよ、オレ運ぶ」
「でも」
「いいって。なんか、おまえに重たいもん運ばせてると罪悪感が沸くんだ。子供に無理やりやらせてるような気になるっていうか」
「…………それ、もしかして小さいって言ってる?」
眉を思い切り寄せて睨んでくるエドワードにまた笑って、男はそのまま奥へ行こうとした。
そこで立ち止まり、こちらを見る。
「…ところでエド。その人、誰?なんか怖ぇんだけど」
「え?」
振り向いて後ろを見る。
ロイが、ものすごく不機嫌な顔で男を睨んでいた。
「あ、あの、この人は」
社長だよ、と言おうとしたエドワードを遮って、ロイがにこやかな愛想笑いを作る。
「エドワードの婚約者です。いつもうちのが世話になっているようで、どうも」
「へっ………あ、いや、こちらこそどうも」
慌てた様子で頭を下げて、男がエドワードを見る。その物言いたげな視線から目を逸らし、エドワードは小さくため息をついた。



「きみは何度言ったらわかるんだ!男はみんな狼なんだとあれほど」
トラックに戻ってドアを閉めると同時に始まったロイの説教は、聞き流しながら次の店へと向かうが、止まる気配がない。
「だって、客だし。毎日会うんだし、話さねぇわけにいかねぇだろ」
運送屋にとっては、荷主であるバイヤーも荷を受けとる店員も顧客になる。無愛想な態度では仕事もやりにくい。そう至極真っ当な意見を言ったつもりなのだが、ロイには通じないらしい。
「いくら客だからって必要以上に愛想をまくことはないだろう!挨拶だけしてさっさと出て来ればいいじゃないか!」
ああもう、うるせぇ。


次の店に行っても、またその次へ行っても、やはり顔馴染みになった店員はいて。

過熱するばかりでおさまる様子のないロイの説教に、エドワードは本気で乗せてきたことを後悔した。



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