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はじめまして、相棒






日曜日の昼間。
平日や夜中はトラックがひしめく市場の構内も、このときばかりはガラガラ。駐車場にも車はほとんどなく、いつもの喧騒が嘘のように静かだった。
その市場の中を、エドワードの黒い2トン車がゆっくりと走っている。本当にゆっくり、今にも止まりそうな速度で。
「もう少しアクセル踏んでもいいと思うぞ」
助手席に座ったヒューズが苦笑するが、エドワードには返事をする余裕がない。生まれて初めて運転するトラックの車高の高さに、足が竦んで力が入らなかった。
大型車の横に乗っていて、高さには慣れているつもりだった。が、助手席に座るのと実際ハンドルを握るのとではやはり感覚が違う。
カーブを曲がろうと、大きなハンドルをゆっくり回す。それに集中しすぎてギヤを変えるのを忘れて車ががくがく揺れ始め、慌ててブレーキを踏むと車はエンストして止まった。
「……ブレーキじゃなくて、クラッチを踏むべきだったな」
「……………」
エドワードはハンドルに突っ伏した。

「ダメだ。オレ、運転できる気がしねぇ」
市場の奥、中央棟の前に止めた車から降りて、エドワードはため息をついた。ぴかぴかのトラックはとても調子がよくて、ヒューズの運転で市場まで来たときには快適に走っていたはず。なのに自分が乗ると、ちっとも言うことをきいてくれない。
「才能、ねぇんかも…」
項垂れるエドワードの肩をぽんぽん叩いて、ヒューズが笑った。
「誰でも最初はこんなもんだよ。気にすんな」
「でも…ヒューズさん、休みなのに出てきて付き合ってくれてんのに、オレちっとも上達しねぇし…」
「気にすんなって!ほら、昼飯にしようぜ。今日は人が少ねぇから、きっと弁当いろいろ余ってるだろ」
ここの市場には様々な店がある。ガソリンスタンドはもちろん、床屋もあるし喫茶店や定食屋、服を売る店、銀行や郵便局まで揃っている。市場が休みの日はそのほとんどが閉まっているが、一軒だけ、年中無休を謳うコンビニのみが普段と変わらず営業中だった。
たくさんのトラックが来る平日にはすぐになくなってしまう弁当やサンドイッチも、今日はずらりと棚に並んでいる。エドワードはそこから弁当をひとつ選び、飲料の棚へ移動した。ヒューズは菓子パンのコーナーを眺め、いくつか手にして見比べている。
「ヒューズさん、弁当は?」
「ああ、オレはいい。弁当持って来てるから」
笑顔で手を振るヒューズに、そういえば奥さんがいるんだった、と思い出す。
同時に、せっかくの休日を潰した上仕事でもないのに奥さんに弁当まで作らせてしまった、と軽く落ち込んでしまう。
「しけたツラすんなって。ほら、行くぞ」
促されてレジへ行き、支払いをすませて外へ出る。そこでヒューズが思い出したように立ち止まった。
「あ。トイレ行こうと思ってたんだった」
「いいよ、待ってるよ」
悪いな、と苦笑して店に戻るヒューズを見送って、エドワードは店の前の小さな階段に座り込んだ。
休みでも、いくらかのトラックは止まっている。夜中の積み込みを待つ車が、あちこちでカーテンを閉めて停車していた。そのほとんどは、遠くの街のナンバーをつけている。いったん帰ることもできず、知らない街を大型でうろつくわけにもいかず、なので市場で止まったまま時間が過ぎるのを待っているのだろう。そんな車のドライバーのために、市場のコンビニにも酒やDVD、ゲームソフトなどが揃えてあった。
「……みんな、遠くから運転して来たんだよなぁ……」
今までは当たり前のことのように思っていたその事実に、またため息が出る。自分がそんな仕事をこなせるようになるのは、いつのことなんだろう。

「なに暗い顔してるの?」
はっと顔を上げると、目の前に作業着を着た女性が立っていた。
「あなた、さっきからあの車で市場をぐるぐる回ってたわよね。練習中?」
化粧した顔をエドワードに近づけて、女性は親しげに笑った。
「はぁ、まぁ……」
見られていたのか。消えてしまいたいような気持ちに、エドワードはますます萎縮してしまう。
「トラック運転するの初めてなの?なかなか上手いじゃない」
にっこりする女性から目を逸らす。そんな、慰めてくれなくてもいいのに。
「………スピード出すの、怖くて。エンストばっかだし、オレ才能ねぇよ」
呟く声は、我ながらかなり情けない。エドワードは俯いた。
「そんなことない。ずっと見てたけど、走るラインはなかなかよかったわ」
女性の手が伸びて、エドワードの頭をさらりと撫でた。
「それにね。あれは、エンストする車なのよ」
「………へ?」
意外な言葉に、エドワードが真ん丸な目を向けると、女性は真面目な顔で頷いた。
「あのメーカーの車はね、他のよりクラッチが浅いのよ。だからエンストしやすいの」
「そ、そうなの?」
「そうよ。私も前はあのメーカーの車だったから、よくエンストしたわ。だから気にしなくて大丈夫」
「……うん」
気遣ってくれてるんだろうか。それでも嬉しくて、エドワードは笑顔になった。
「ありがと、おねーさん。ちょっと気が楽になった」
「だったらよかったわ。とにかく、エンストなんか気にしなくていいから、どんどん乗りなさい。車っていうのはね、大きくても小さくても同じよ。慣れたら自然に上手くなるから」
「うん」
頷くエドワードを優しい笑顔で見つめていた女性が、ふと顔を上げた。その視線を辿ると、コンビニからヒューズが出てきたところだった。
「おまたせエド!って、なんでおまえがいるんだよ」
驚くヒューズに、女性が媚びるような笑顔を向ける。
「え、知り合いなの?」
戸惑うエドワードに、ヒューズが肩を竦めた。
「まぁ、たまに会う程度の顔見知りだ」
「あらぁ、それはちょっと冷たいんじゃない?」
エドワードに話しかけたときとは違う色気を含んだ声音にも、ヒューズは苦笑するだけ。そんな反応を無視した女性は、振り向いてエドワードのトラックを見た。
「似てるなぁと思ってたけど、やっぱりあんただったのね。いつあの会社に入ったの?」
「こないだだよ。ま、いろいろあってな」
「じゃあ、あの人は今どこにいるか知ってるわよね?今日はお休みなの?」
あの人?
エドワードが眺めている間にも、女性はヒューズに詰めよっていく。
「いや、あいつは今日はよそ走ってるよ。こっちには来ねぇ」
「えー?せっかく私が来てるのに。いつ戻るの?」
「さぁな」
「もう、役に立たないわね。久しぶりに会えるかと思ったのに」
がっかりした様子の女性が、エドワードのほうを見た。
「ね、あなたもこの会社の社員でしょ?私が会いたがってるって、伝えてくれない?」
「……えと……誰に…?」
聞きながらも、エドワードの頭には自分の婚約者の顔が浮かぶ。女性関係が派手で、とにかくモテると噂の、顔だけはいい黒髪の男。
この女性とも、付き合いがあったんだろうか。
不安そうな表情になるエドワードに、女性は妖艶な笑顔を作った。

「もちろん、ブレダに」

「…………はい?」

意外な名前が聞こえた気がする。

聞き間違えたか、とエドワードはもう一度女性の美しい顔を見た。

「…………誰、って?」

「だから、ブレダだってば。ラストが会いたがってるって、伝えてちょうだい」

「………ブレダさんに、……ラストさん、が?」

「そう。自己紹介が遅れたわね。私はラスト、あれに乗ってるの」

指指す先を見ると、大型のトレーラーが少し離れた場所に止まっていた。

「約束ね、ぼうや。私、明日の昼くらいまではここにいるわ」

「………はぁ」

呆然として頷くエドワードに満足したのか、ラストはもう一度笑いかけてからコンビニに入っていった。

「………あの人、ブレダさんの彼女……?」

「いや。ずっとあいつに片想いしてんだよ」

「ブレダさんに?」

「ああ。なんでも以前、初めてこっちに来たときに車が故障したらしくてな。そんときたまたま通りかかったブレダが、なんかいろいろ助けてくれたんだと」

「………ああ、なるほど……」

ブレダはぶっきらぼうだが面倒見はいい。知らない街で困っているときにそんな出会いをすれば、好きになる気持ちもわからなくはないと思った。

車に戻り、助手席に乗ろうとして慌てて運転席側に走る。まだそれが自分の車だと実感できないエドワードに、ヒューズが笑った。

「ラストさんも、エンストしてたんだって」

「ああ、オレもだよ。最初はみんなそんなもんだ」

「このメーカーの車はエンストするんだって言ってたけど」

「あー、クラッチ浅いからな。けど、別にエンストしやすいわけじゃ…」

言いかけて、ヒューズはにやりと笑った。

「そうだな。エンストするもんなんだよ、このメーカーは。だから遠慮なく、何度でもエンストしていいぞ」

普通に普及しているトラックがそんなにエンストしやすいとは、エドワードも思っていない。
けれど、そう思っていたほうが気楽に乗れるのも確かで。

「うん。頑張る!」

笑顔で頷くのと、ヒューズの携帯が鳴り始めるのは同時だった。

『ヒューズか!エドワードは無事か!?なにかあったら貴様の命はないと思え!』
他の仕事で忙しい婚約者の怒鳴り声がエドワードにまで聞こえてくる。
「大丈夫だって。市場でまだ練習中だよ」
落ち着いた声で答えるヒューズにも、ロイは止まる様子がない。
『ああくそ、行けるものなら今すぐ私が行くのに!エドワードは運転中なのか?』
「いや、昼飯食って」
そこまで言うと、ヒューズは顔をしかめて携帯を閉じた。
すぐに今度はエドワードの携帯が鳴る。
「…ロイ……仕事、してんのか?」
呆れて呟くエドワードに、ヒューズも肩を竦める。
「さぁ。手につかねぇんじゃねぇの?」

ポケットから携帯を出しながら、エドワードは前方を見た。ラストがトレーラーのドアを開けて中へ入っていくのが見える。

エンストばっかりしてたっていいんだ。
頑張れば、いつかあんな大きな車にも乗れるようになるはず。

うん、頑張ろう。

だって、自分は今一歩を踏み出したばかりなんだから。

『エドワードぉ!なぜすぐに出てくれないんだ!なにかあったのか!?くそぅ、どうして私は今こんなところを走ってなきゃいけないんだ!』

「それは、仕事だからじゃないかと思う」

ロイの泣きそうな声に苦笑しながら、エドワードは片手を伸ばしてハンドルを握った。

よろしく、相棒。

上手くなるまで、ちょっとだけ我慢してくれよな。

「おい、どうでもいいから仕事しろって社長に言っとけ」

呆れたヒューズの声を聞いて、電話の向こうのロイがさらに文句を言う。

人もまばらな休日の市場が、一気に賑やかになった気がして、エドワードはくすくす笑った。

やっと、緊張がほぐれた気がする。次は、もっと上手く走れそうだ。

肩の力を抜いてシートにもたれかかって、大きなサイドミラーを見る。

太陽の光を受けた真っ黒なボディが、きらきらと輝いていた。




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