春、桜の中で





妙にさっぱりとした事務所の中で、ホークアイはそこにいる全員に微笑んだ。
去年から出しっぱなしの扇風機は片付けた。散らばっていた書類や新聞、社長のジャンプも隠した。机も拭きあげ、新しいカップがお揃いの皿とともに洗って伏せてある。ケーキもお皿も準備万端。
「じゃ、みんなわかったわね?笑顔を忘れず、明るく快活に」
「はーい」
ロイを含めた全員が返事をした。ホークアイが笑えと命ずるということは、要するに笑顔を消したらおまえを消すということだ。緊張の面持ちで皆がお互いの顔を見回した。
「ブレダさんは?」
「原料行ってる」
「運がいいですね、あの人」
会話をしながら窓を見た。夜になった空に星が輝いている。
「……まぁ、ブレダがいなくてよかったかもしれん」
ロイが呟いたのを聞いてハボックが顔をあげた。
「なんでですか」
「トラック乗ったらみんなあんな腹になるとか思われたら大変だ」
「ひでぇ」
「それで言ったら、」
ロイが振り向いた。ハボックはいつもの通りタバコをくわえてソファに足を投げ出すように座っている。
「トラック乗りはみんなやくざか暴走族だと思ってる者も多い。おまえも隠さなきゃならんな」
「ちょっと、なんでですか。オレは今は別に…」
「数年前まで暴走族やってただろう。なんか雰囲気からそれがバレたらまずい」
「ひでぇなぁ」
ぶすくれたハボックが煙をふかすのを見て、ホークアイが灰皿を出した。
「ご両親はタバコは吸われないかもしれないわ。入って来られたら禁煙ね」
「…………ちぇ。帰ろうかな、もう」
拗ねたハボックにはお構いなしに、ロイは駐車場の入り口を見た。見慣れない車のライトが砂利を照らしている。
「……………来た」
全員に緊張が走った。
白いセダンの普通車が、ゆっくりと砂利を踏んで駐車場の隅にとまった。











事務所に入ってきた一家を、全員が笑顔で迎えた。エドワードはきまり悪そうにロイを見るが、ロイもひたすら笑顔。ようこそ、さぁどうぞとソファに案内するファルマンもひたすら笑顔。ハボックがにこにこと、テーブルの上にまだあった灰皿を手に取って背中に隠した。
「すいません、突然お邪魔して」
父親はすまなそうに頭を下げ、母親はにこにこと回りを見回している。アルフォンスはフュリーと一緒にトラックを眺めて歓声をあげていた。
「どうぞ。なにもありませんが」
ホークアイが笑顔でコーヒーとケーキを出し、エドワードを見た。
「弟くんも呼んでいらっしゃい」
「はい」
なんとなく皆の緊張が伝わって、エドワードも固い笑顔で頷いた。

「社員はあと一人います。あいにく今出ておりまして」
ロイが笑顔でコーヒーカップを口に運んだ。
「いやいや、お忙しいところに押し掛けて申し訳ない。送ってすぐ帰るつもりだったんですが」
父親がちらりと妻を見る。母親はケーキにフォークを刺し、にっこりと笑った。
「とても片付いた事務所ですのね。まるでお掃除したばかりみたい」
「いえ、散らかっていてお恥ずかしいですわ」
対するホークアイも笑顔で応じる。
「カップもお皿も新品みたいですわね。お手入れなさってるの?」
「まぁ、とんでもない。あまり使う機会がないだけですの」
「あら、会社なら来客は多いのかと思ってましたわ」
「みんなあまり事務所にいませんもので。お仕事のお客様は直接ここにはあまりいらっしゃらないんですの」
ほほほほほほほほほ。
その微妙な攻防から目を逸らし、母親の応対はホークアイに任せたロイは父親を見た。父親はハボックとなにやらおしゃべりしているエドワードを見つめている。
「なんだか、息子はこちらにずいぶん馴染んでるんですね」
「ええ。何度か来て、皆の仕事について行ったりしましたから」
ロイが頷くと、父親は微笑んでロイを見た。
「安心しました。いい方ばかりなようで」
「私の自慢の社員たちですからね」
ロイが言うと、隣のファルマンが窓を見た。雨が降るんじゃないかと言いたいらしい。
「母さん、そろそろ帰ろう。邪魔になるよ、皆さんももう仕事がある」
「あら、そうね」
母親は時計を見て、それからホークアイを見た。
「ごめんなさい、私ったら時間を忘れてましたわ」
「いえ。私こそすっかり話し込んでしまって」
ホークアイは笑顔のまま。手にしたカップは冷えかけていた。母親は無邪気な微笑みを崩さずにホークアイを見て、その隣のロイを見た。
「マスタングさん、こんな素敵な方がいるのにうちの子のほうがいいなんて不思議だわ」
「へ」
意外な言葉にロイが間抜けな声を出した。
「だって、とてもきれいだし。どうしてかしら、って思ったの」
にこにこしたままの母親の考えは読めない。どうしてと言われても。ロイはどう答えるべきかと考えた。
怖いから、なんて言えない。
そこにハボックが片手をあげて口を出した。
「すんません、その人オレのなんで」
率直な言い方に珍しくホークアイが頬を染めた。
「あら、そうでしたの」
母親がハボックのほうを向いた。ハボックは動じる様子もなく、笑顔を貼り付けたまま肩を竦めた。
「それに社長はエドに一目惚れですからね。よそにどんないい女がいたってちら見もしませんよ」
母親はくすくす笑って、立ち上がった。
「ごめんなさいね、変なこと言って。じゃああなた、帰りましょうか」
「あ、ああ」
父親は立ち上がりながら、ロイにすまんと頭を下げて見せた。

やはりこの母親は強敵だ。

ロイはひきつる頬を抑えてにこやかに立ち上がった。




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