遠い、知らない街へ
ごん。
「いったぁ!」
ロイが持っていたトレイの角が頭に直撃して、オリヴィエは悲鳴をあげた。
「なにやってるんですか。ちょっかい出すなと言ったでしょう」
「ちょっと味見をしただけだ。なんだマスタング、やきもちか」
頭を擦りながらにやりと笑うオリヴィエに、ロイは不機嫌な目をぷいっと逸らしてエドワードの隣に戻った。またしても足がぴったりくっつく距離に戸惑うエドワードに、トレイから天ぷらうどんの丼を取って差し出す。
「マスタング、私のは?」
「自分でどうぞ。ここはセルフサービスです」
けちだなおまえは、とぶつぶつ言いながらオリヴィエが席を立った。ロイはすぐにエドワードに向き直り、その額を見て顔をしかめる。
「赤い口紅が。ったく、マーキングのつもりか、悪趣味な」
おしぼりでごしごし拭かれ、エドワードは痛いと文句を言った。
「なにをするんだ、マスタング!せっかくつけたキスマークを!」
戻ってきたオリヴィエが抗議をするが無視をして、ロイは割り箸を取ってエドワードに割ってやった。
「エドワード、いいか。この人のことは忘れなさい」
「はぁ?」
目の前にいるのに、どうやって忘れるんだ。エドワードが目を丸くすると、ロイは自分の割り箸を取りながらちらりとオリヴィエを見た。
「この人はな、女が好きなんだ。面食いでね、美人と見たら節操なしの変態なんだ」
「おい、ずいぶんな言い方じゃないか」
オリヴィエはむっとして眉を寄せた。
「私はレズじゃない。バイだ!美しくて可愛ければ女でも男でもいける!」
声が大きかったらしい。狭い店内のあちこちからつゆを吹き出す音やむせて咳き込む音が響いた。
「美人と見れば節操ないのはおまえだろう、マスタング」
「昔の話ですね、それは。今は私はこの子だけです」
「ああ、やっぱり貴様と私は好みが似ている。私もその子は気にいった」
「冗談じゃない。私はこの子と結婚するつもりです。邪魔するなっていうか消えろ」
「マスタング、誰しも心変わりはある。他に素晴らしい相手が現れたら、婚約だの結婚だのどうでもよくなるものだ。エドワードを責めてはいけないよ」
「なんで私がすっかりふられてることになってるんだ!エドワードは私のものだ、絶対渡さんぞ」
「仕方ないじゃないか、なぁエドワード。こいつより私のほうが金もあるし、魅力的なんだから」
ああ言えばこう言う。相変わらず流し目を送ってくるオリヴィエにも激昂して恥ずかしい言葉を連発するロイにも困りきって、エドワードは携帯を開いて魔法の言葉を呟いた。
「助けてリザさん」
それを聞いて二人は黙った。耳を澄ましていた店内の客たちも黙っている。
水を打ったように静まる店の中に、強くしっかりした声が響いた。
『社長、まだ夜の配送もございますが。どこまでお帰りになりましたか』
「………な、なんでリザが」
呟いたオリヴィエの声を耳聡く拾ったらしいホークアイの声がまた店内に響き渡る。
『あら、アームストロング社長もご一緒ですか。ご無沙汰しております』
「あ、いや。うん、久しぶり」
『相変わらずおバカな遊びをなさってるんですか?いい加減にしないと会社潰れますわよ』
可愛らしい声で冷たく辛辣な言葉を吐くホークアイに、オリヴィエはなぜか額に汗を浮かべて視線をさまよわせている。
『エドワードくん、変態二人に遊ばれているのね。可哀想に』
「……リザさん、オレ怖い」
『大丈夫よ。なにかあったらすぐ電話してね』
「うん」
携帯に向かって頷くエドワードに、ロイがぎこちなく振り向いた。
「え、エドワード。早く食べないと冷めるよ」
肉うどんに箸を挿したままのロイには食欲はなさそうだ。
『社長、寄り道ばかりしてるから余計なものに遭遇するんです。さっさと帰ってきてください』
それを聞いてオリヴィエが顔をあげた。
「ちょっと待てリザ、余計なものとは私のことか」
『他になにがありますか』
抗議しようとしたオリヴィエを黙らせて、それじゃあねと優しい声でホークアイは電話を切った。風の音がしていたから運転中だったのかもしれない。悪かったかなとエドワードはちょっぴり反省しながら携帯を閉じた。
あとはほぼ無言。オリヴィエもおとなしくラーメンを啜っている。ロイは素早く食べ終えて、水をひとくち飲んで思い出したように口を開いた。
「社長、今日は自分で運転して来たんですか?」
「ん?ああ、まぁたまにはな。だが積み降ろしはやりたくないから、一人社員を積んでいる」
オリヴィエがちらりと駐車場を見た。エドワードがその視線を追うと、派手に飾った白い大型トラックの助手席に男が乗っているのが見えた。無口そうな褐色の肌のその男は、どうやら弁当を食べているらしい。
「飯くらい食わせてやってもいいんじゃないですか?社長でしょう、あんた」
「いいんだ。愛妻弁当だから」
オリヴィエは眉を寄せてラーメンのスープを飲み干した。
「やつの女房、美人なんだ」
「……関係あるんですか」
「ある。ムカつくだろう、しかも若いんだぞ!そんな美人な妻が作った弁当なんて!」
羨ましい!そう言ってオリヴィエは立ち上がった。呆れた顔のエドワードに微笑んで、また会おうと言って髪を撫でる。流れるような仕草に、本物のタラシだとエドワードは思わず感心した。
「そういえば今朝、キンブリーに会いましたよ」
エドワードの頭からオリヴィエの手をはたき落として、ロイが言った。
「奴もエドワードをひどく気にいったようでした。うるさくつきまとわないように釘刺しといてください」
「なに、あいつがエドワードを」
オリヴィエは目線をきつくした。
「この子と会話をするなど、奴には10万年早い。よく言っておこう」
オリヴィエは店を出ていった。胸を反らして早足で歩く姿は堂々として、美貌も相まって皆が振り返る。変な人ではあるが、さすが大会社の社長だ。エドワードは見惚れて見送った。
「………あの女、器を返して行かなかった……」
セルフだと言ったのに。ロイはため息をついた。
「キンブリーさん、あの人の会社にいるんだ」
エドワードはトラックに乗り込むオリヴィエをガラス越しに眺めて言った。
「そうだよ。社長がアレだから、ろくな社員がいない」
ロイがトレイに器を集めて返しに行く間、エドワードはオリヴィエのトラックを見つめていた。あちこちに電飾。大きな箱には夕陽に輝く海が描かれている。煙突のように空に突き出したマフラーから派手な轟音が響いていて、ゴールドで統一された内装のキャビンの中にはシャンデリアがきらきらと揺れていた。
「……あれ、デコトラ?」
帰ってきたロイに聞くと、ロイは眉をしかめた。
「どちらかと言うとアートトラックかな。女王専用の車だよ」
地響きをたててゆっくりと駐車場を出ようとするトラックを目で追っていたら運転席のオリヴィエが投げキスを送ってきて、エドワードは赤くなって俯いてしまった。