リビングでゆったりと頼重の腕に包まれながらも、八代の心は徐々に「お風呂」に向かっていた。撮影で長時間ライトを浴びたせいか、身体が少し汗ばんでいるのが気になって仕方がない。

「……頼重さん、そろそろお風呂に行きたいんですが。」
八代が後ろを振り返りながらそう言うと、頼重は微動だにしない。むしろ腕の力をさらに強め、八代をソファに押し留めるように抱きしめた。

「行くな。」

その短い一言に、八代は「またですか」と苦笑する。こうして頼重が素直に甘えたり拗ねたりするのは珍しいことではないが、相手にするのはなかなか大変だ。

「行かなきゃ気持ち悪いんですよ。撮影で汗もかきましたし。」
そう言いながら八代は腕を解こうとするが、頼重の拘束は予想以上に固い。

「別に気にならない。お前がどんな状態でも、私にとっては同じだ。」
さらりと口にする頼重に、八代は思わず笑い声を漏らす。
「いやいや、あなたがそれで良くても、私が気になるんです。」

「それでも行くな。」

頑なに放そうとしない頼重に、八代はため息をつきながら彼の顔を見上げた。その表情はどこか拗ねた子供のようで、八代の心がくすぐられる。

「……そんなに私を抱きしめていたいんですか？」
八代が冗談めかして言うと、頼重は真顔のまま「そうだ」と即答する。

「可愛らしいことを言いますね。でも、本当にお風呂に行きたいんです。」
八代は再び腕を解こうとするが、頼重の腕はさらに強くなるばかりだ。

「もう少しでいい。せめてあと五分、このままでいてくれぬか。」
頼重の低い声に、八代は「あと五分って……そんなに惜しいですか？」と苦笑するが、彼の顔を見て少しだけ折れることにした。

「……五分だけですよ。」
そう言いながら、八代は頼重の腕の中に身を委ねた。その柔らかい体温を感じながら、頼重は満足げに目を閉じる。








――しかし、その五分が過ぎても頼重は八代を解放する気配を見せない。

「もう五分過ぎましたよ。」
八代が促すと、頼重は静かに目を開けた。

「まだだ。」

「いやいや、約束したじゃないですか！」
八代は困り果てたように笑いながら、頼重の腕をこじ開けようとする。だが、相手は体格差もある大人の男だ。そう簡単にはいかない。

「頼重さん、本気でこれ以上は困りますよ。」
軽く睨むような視線を送るが、頼重は全く動じない。それどころか腕の力を少しだけ緩め、八代を見下ろしながらニヤリと笑う。

「そう簡単には逃がさない。」

その言葉に、八代は心の中で「これは長引きそうだ」と判断した。そして次の瞬間、彼の顔に作戦的な笑みが浮かぶ。

「それなら……仕方ありませんね。」

頼重が勝利を確信したように微笑む中、八代は突然体をひねり、スルリと頼重の腕をすり抜けた。まるで猫のように俊敏な動きに、頼重は目を見張る。

「……八代！」
頼重が驚きの声を上げたときには、八代はすでにソファから立ち上がり、リビングの出口に向かっていた。

「すみません、頼重さん。でもこれ以上はお付き合いできませんので。」
振り返りながらにっこりと微笑む八代。その表情に頼重は呆然としつつも、悔しそうに唇を噛んだ。

「……八代のくせに……。」
独り言のように呟きながら、ソファに腰を落とす頼重。その背中には明らかないじけたオーラが漂っていた。

一方で、リビングを出て行く八代は心の中で「ふふ、頼重さんったら子供みたい」と微笑んでいたが、どこか愛おしさを覚えている自分にも気づいていた。

彼らしい余裕と、頼重の拗ねた様子にくすりと笑いながら、八代は浴室へと向かった。リビングには、頼重の「八代……」という小さな声がいつまでも残っていた。