6ペンスの唄
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*五話:不機嫌な王様*
部屋で侑士くんへの課題を作っている私の横。ソファの上で、景ちゃんは今日もむすっとしている。
「……景ちゃん、退屈ならどこか出かけたら?」
「そんな気分じゃねぇ」
「……今日は生徒会の仕事もないんでしょ? 何もこう毎日家に来なくても……」
私が半ば呆れてそう言うと、景ちゃんはそっぽを向いてしまった。
私が侑士くんの家庭教師になった、と伝えた日から景ちゃんは毎日家に来るようになった。部活で遅くなった日も試験期間も休日も、特に用があるわけでもなさそうなのに家に来て私の部屋に入り浸る。というか、私の後をついて回る。
まるで大きなわんこを飼っているような気分だった。しかもそのわんこは大抵不機嫌なのだ。
「景ちゃん、何でそんなに不機嫌なの?」
「……不機嫌じゃねぇ」
「でもご機嫌じゃないでしょ?」
「…………」
景ちゃんの無言は肯定の意だ。
私はため息をついて手を止めた。景吾に向き直り、艶やかな髪を撫でる。
「……ねぇ、何を心配してるの?」
「…………。…………希々が……」
髪を撫でると僅かながらに機嫌が直ったのか、景吾はぽつりと口にした。
「うん。私が?」
「…………忍足にセクハラされてねぇか心配で、近くにいねぇと安心できねぇ」
「………………景ちゃん。心配性もそこまで来ると最早親バカとかシスコンの域だよ?」
景ちゃんは何を怖がっているのだろう。私は困ってしまった。
「景ちゃん。景ちゃんのことを跡部と関係なく見てくれる人は、私以外にも必ずいる。景ちゃんに告白してくれる女の子全員がお金目当てなわけないって、景ちゃんだってわかってるでしょう?」
「……んなことどうだっていいんだよ」
「よくない。景ちゃんが私にこだわるのは、私がいなくなったら自分を自分として見てくれる人がいなくなると思ってるからでしょ?」
初めてこの王様が私の胸で号泣した日のことを、忘れたわけではない。けれど私以外にも信頼できる誰かを見つけなければ、景吾は私が結婚した時や遠くに就職することになった時、耐えられなくなってしまうのではないだろうか。
「心を見せるのは怖いよ。勇気が必要だよ。景吾がそういうの苦手だってわかってるよ。……だけどいい加減、私以外にも信頼できる人を作らなきゃ」
景吾が悲しそうに目を伏せる。
「…………希々だけでいい。希々以外いらねぇ」
「そういうのが駄目だって言ってるの。もう少し大人にならなきゃ。景吾も来年は大学生になるんだよ?」
景吾は何故か縋るような視線で私を見つめる。
「俺は希々が好きなんだ。他の女なんかいらねぇ」
私はいつもと同じ台詞を返す。
「私も景吾が好きだよ。でもこんなに私にべったりじゃ、景吾がこれから先困ることになる。だから……別に恋愛じゃなくていい。私以外の誰かとも、ちゃんと信頼できる人間関係を築いてほしい」
「……っ」
「今なら景吾が傷ついても、私が近くにいてあげられるから。一緒に乗り越えてあげられるから」
私は真剣に言っている。心から景吾を心配している。心から彼の幸せを願っている。
なのに景吾はふと泣きそうな顔になった。
私は景吾のこの顔……というか、誰かの泣きそうな顔に弱い。反射的に手を伸ばし、彼を抱きしめた。
「……ごめんね、急ぐことじゃないよね。私の方が親目線っていうか姉目線でぐだぐだ言っちゃって、ごめん」
景吾の方からもぎゅっと痛いほど抱き返される。
「……馬鹿希々…………」
私といる時以外の景ちゃんはいつも完璧だ。ご両親の前でさえ、道行く他人の前でさえ。
私に甘えることで緊張を緩和しているのなら、やはり私からこの手を離すわけにはいかない。
ああ、早く誰かこの孤独な王様の心を溶かしてくれるお姫様か、優秀な隣人が現れればいいのに。
景ちゃんの背を宥めるように撫でながら、私は今日何度目かのため息を漏らしたのだった。