6ペンスの唄
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*四話:ゲーム*
この俺に落とせない年上なんているわけがない。
そんな俺のちっぽけな自尊心がきっかけで俺の家庭教師になった藍田希々。
彼女は氷帝のOGで、跡部の幼なじみだという。
なるほど、あの跡部の顔を見慣れていれば耐性もつくというものだ。
しかし俺がどんなにムードを作っても、この女はまったく気付かない。毎回お手製のやたらわかりやすい資料を持ってきて俺に古文を教えるだけだ。
今日も今日とてそれは変わらない。
「……藍田先生」
「なぁに?」
肩を抱き寄せて、
「…………希々先生って呼んでもええ?」
吐息混じりに囁いても動揺の欠片もない。
「その方が仲良くなれるもんね。もちろんいいよ!」
「…………」
ここまで来たら最早意地だった。どうにかして俺を意識させたい。
しかし抱きしめても髪に触れてもくすぐったそうに笑うだけ。空気を読まないのか読めないのか、恋愛のれの字も始まる気配がない。
「そうだ、侑士くんもうすぐ期末だよね。古文いい成績取れそう?」
「……!」
俺は名案を思いついた。
「正直自信はあらへんけど……希々先生がご褒美くれるっちゅうなら、死ぬ気でええ点数取ってくるで?」
「ご褒美? ご褒美なんてなくても侑士くんならちゃんと勉強してくれそうだけど……何か欲しいものでもあるの?」
きょとんと首を傾ける希々の前で眼鏡を外し、俺は大抵の女が落ちる笑みを浮かべた。
「俺が欲しいんは…………希々先生や」
さすがの希々も赤くなるやろか、という俺の期待を裏切り、何故か希々は俺の頭にチョップを入れた。
「…………は?」
いや、チョップて。この雰囲気でチョップて何やねん!
瞬きを繰り返す俺を前に、希々は腕を組んだ。
「こら! 思ってもいないこと言っちゃ駄目でしょ!」
「怒るとこそこなん!?」
教師を口説いたことでも褒美をねだったことでもなく?
読めないにも程がある。
いや、俺はこの女を落としたいんだ。思っていないわけじゃない。
「せやかて希々先生、何したって俺のこと意識してくれへんやん」
「意識なんてするわけないでしょ? 恋愛ゲームをしたいなら自分で買いなさい。さすがに教え子に買ってあげるわけにはいかないもの」
……?
…………?
何や話が噛み合わん。
俺が今までの家庭教師にしてきたことを“恋愛ゲーム”と呼ぶのなら、“買う”という表現はおかしい。
それ以前にこの女が俺の過去の恋愛を知っている理由も説明がつかない。
「まったく…………あのね侑士くん。私はきみより2年だけ人生の先輩だから教えてあげる」
希々は俺の両肩に手を置いて、気の毒そうに告げた。
「恋愛ゲームに夢中になるのは個人の自由だけど、現実とゲームを混同しちゃ駄目だよ」
「現実とゲーム、て…………はあああ!?」
最悪だ。
この女の頭の中で俺は現実とゲームの区別がつかないオタクと認識されていたらしい。
「ふざけんなや! 誰がオタクやねん! 俺はギャルゲーなんてやらんわ!!」
「あれ、そうなの? でもオタクって素敵じゃない?」
「素敵!? オタクが!? 何をどう解釈したらそうなんねん!」
俺は未だかつて女相手にこんな大声を出したことはない。
希々はのほほんと笑って口を開く。
「だって好きなものに一途って、素敵じゃない」
俺は大きなため息をついて、椅子の背もたれに沈んだ。
「…………もう疲れたわ。ほんま、あんたみたいな先生初めてや」
「今までの先生とは喧嘩したことないの?」
いや本来生徒と教師が喧嘩をすること自体おかしいだろう。なんてツッコミを入れる気力もなかった。
「……意地張ってた自分が何や阿呆らしゅうなってきたわ」
「? 侑士くん、意地っ張りなの?」
俺はいい子の仮面をぶん投げて、希々を横目で見やった。
この女の容姿が俺の好みなのは変わらない。が、どうやってもいい雰囲気になる想像ができない。
幸い古文の資料は役に立つし、もう少し教えてもらうのもやぶさかでない。
俺は背もたれにギィ、と体重を預けたまま目を閉じた。
「希々せんせ」
希々は不思議そうに「うん?」と言った。
「正直あんたには先生とか呼ぶほどの威厳があらへん。かと言って呼び捨ては角が立つ。ここは折衷案でええやろ? 希々せんせ」
希々はしばらく動かなかった。威厳がないと言われてしょげているのかと薄目を開けた俺は、驚きのあまり声を飲み込んでしまった。
「希々せんせ、なんて景ちゃんにも呼ばれたことない! 可愛い呼び方考えてくれてありがとう!」
「…………っ!」
満面の笑みが、胸に刺さった。心拍数が一気に跳ね上がる。顔に熱が集まる。
そうだ、この女は見かけだけは好みなんだった。今さら思い出して予防線を張ろうにも、時すでに遅し。俺の心臓は甘く締め付けられていた。
俺はこの女が好きなわけやない。断じて違う。そうや、この女が跡部とイチャついてるところ想像してみ?
ほら見ろ何とも思わ「侑士くん、眉間にすごいしわ寄ってるけど大丈夫?」
「…………」
嘘やろ。
こんな天然記念物を、俺が?
面倒の塊みたいなこの鈍感女を、俺が?
「侑士くん?」
「……………………」
俺の理性と知性と左脳右脳はそれを否定した。しかし俺の感情と心臓と欲求は、認めたくないそれらを殊更強く意識させてくる。
相手を意識させるつもりが逆に意識させられるなんて、それこそ俺のプライドが許さなかった。
ちょっと可愛くてちょっと年上でちょっと頭が良くてちょっといい匂いがするだけの女だ。笑顔が可愛いとか柔らかい声が好きだとか、そんなことは思っていない。
今までの女と違ってまだ手を出していない理由はこいつが鈍すぎるからであって、俺が本気になったからではない。
俺は深呼吸して希々の目を見つめた。
あかん。茶色の大きな瞳に吸い込まれる。
「侑士くん、なんか元気ない? 今日はこれくらいにしておこうか」
「……っ待ちぃや、希々せんせ」
「? うん」
俺は俺に言い聞かせる。
これはゲームだ。
俺が落ちるのが先か、希々を落とすのが先か。前者は既に成立しているのではないかと言う脳内の自分は蹴り飛ばしておいた。
「苦手な古文やけど……8割取れたら、デートしてくれへん?」
希々は困ったように眉を寄せた。
「侑士くん。デートとか簡単に言っちゃ駄目だよ。そういう台詞は本当に好きな子に言わないと駄目。……じゃないと言葉の重みが風船みたいに軽くなっちゃう」
誰のことを考えているのか、希々は悲しそうだった。
ただのゲームにもかかわらず胸の片隅が痛んで、俺はその後の口説き文句を引っ込めた。
仮にこの女が泣こうが俺が軽蔑されようが何の問題もない。しかしこちらは一応学問を教わっている身だ。これからの授業時間が気まずくなるのは避けたい。そう、これは勉学を円滑に進めるための妥協だ。決してそれ以外の理由など存在しない。
俺は髪をがしがしかいて、目を伏せた。
「……デートっちゅう表現がまずかったか。……実は姉貴の誕生日が近いんやけど、何買えばええかわからんくてアドバイスが欲しかったんや」
嘘だが。
聞くや否や、希々はぱっと表情を明るくした。
「そういうことなら一緒に探しに行こう! 8割超えたら一緒に行ってあげるけど、8割切ったら助言のみだから頑張ってね!」
「……っ! ……頑張るわ」
別に、その笑顔が鼓動を速くしたわけではない。
その笑顔を可愛いと思ったわけではない。
それでも勝手に上がる体温に、俺は内心舌打ちしたのだった。