6ペンスの唄(跡部vs.忍足)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*二十三話:滅茶苦茶にしたい*
家庭教師の日はいつもそわそわしていた。
早く希々に会いたくて、話したくて仕方なかった。
実際に希々の顔を見ると、話そうとしていた内容なんて消えて“可愛い”という単語ばかりが浮かんでしまう。そしてそれを伝えるたびに赤くなる希々をまた好きになった。
今までの女とは違う。大事にしたい。恋愛経験がないならなおのこと、優しくしたい。
柄にもなく自制してきたが、何事にも限度というものがある。
偶然見えてしまった。
跡部がリムジンに乗り込む前に、何かを首から外しているのを。露わになった首筋にいくつかのキスマークがくっきりと浮かんでいるのを。
跡部は見なくても場所がわかっているようで、幸せそうな顔でその所有印に触れていた。
――跡部があんな顔をする印なんて、希々のもの以外あり得ない。
俺だって付けてもらったことないのに。
何なん?
ファーストキスもあいつで、初体験未遂もあいつで、希々が自分からキスマーク付けるのもあいつ?
プライベートで一緒に居るのも弱っとる時に手を差し伸べられるのも、全部全部。
幼なじみやろうが何やろうが、あまりにも贔屓が過ぎる。
跡部のこと好きになったんと違うって言うとったのに。
俺にドキドキする言うてくれたのに。
――なぁ、俺、そろそろ我慢の限界なんやけど。
希々せんせ?
***
勉強時間は課題で満点を取るまでにして、それ以降は侑士くんに決めさせてあげる。そう言ってから数日が経った。今日も満点を取られてしまい、私は苦笑しながら侑士くんに向き直った。
今日は何を聞かれるんだろう。聞かれて困ることなんてないけれど、恋愛偏差値の違いばかりはどうしようもない。
最近、私は侑士くんとのやり取りを楽しんでいることに気付いた。私に質問した後、侑士くんは自分のことも話してくれる。私は侑士くんの新しい一面を知るたび嬉しくなる。大切なコレクションが増えた時のような感覚。
勉強に関係ない時間が発生する事実に申し訳ない気持ちはあるけれど、教え子のモチベーションを上げるためだと自分に言い聞かせた。
……私はどうして、侑士くんと話したいのだろう。
そのくせ家庭教師以外で彼と関わることに少し怯えていて、LINEの交換もしていない。
侑士くんと勉強以外の時間を一緒に過ごしたら、幻滅されてしまうかもしれない。それが怖いから。
……どうして?
どうして怖いの?
近頃の私は侑士くんと会うたびに、知らない自分と直面している。
「今日も課題満点! すごいよ、お疲れ様! もう私が教えることなんてなさそうだね」
「……今なら文系にシフトできそうなくらい勉強したからなぁ」
「うん。侑士くんは頑張り屋さんだよね」
「…………」
侑士くんは本当に努力家だ。受験で使わない古文の勉強までして、今では過去問まで解けるようになった。
私との会話のためだとしても、素直にすごいと思う。地頭が良いんだろう。
いつもなら私に好きなもの等をきいてくる侑士くんが、今日はふと、真顔で私を見つめた。感情の読めない瞳。なんとなく、胸がざわついた。
「……希々せんせ。今日は俺の話聞いてくれへん?」
侑士くんから話したいなんて珍しい。当然私は頷いた。
「うん、もちろん! 私も侑士くんの話聞きたい。何があったの?」
しかし次の瞬間、
「俺、彼女できたん。せんせ、喜んでくれる?」
「………………え………………?」
頭が真っ白になった。
侑士くんの声がどこか遠くに響く。
「せんせが好きやけど、いつまで経っても跡部のことばっか見とるんやもん」
「、」
声が出ない。
言い訳できない。
待たせてしまったのは私だから。
景吾と一悶着あったのは事実だから。
「せんせに無理矢理迫っとったの、困らせてたんかな思て」
「っ、」
違うよ。
私が誰かを好きな気持ちを知らないから。
待たせて、心配させて、侑士くんに独りで頑張らせて。
挙げ句愛想を尽かされてしまっただけのこと。
「、」
わかっていたじゃない。
侑士くんは恋愛マスターで、私はちょっとからかわれていただけ。それを真に受けて右往左往して、馬鹿みたいだ。
私、好きだってストレートに言われたことが初めてだから、嬉しくて舞い上がってたんだ。
少し考えればわかることなのに、何を一人で勘違いしてたんだろう。
私にショックを受ける資格なんてない。
だって侑士くんは、傷つきながらも好きだと言ってくれた。たとえ一時の戯れでも、私は嬉しかった。侑士くんは何も悪くない。好きな人が変わるのは、きっと悪いことじゃない。
ここは私が穏便に収めなきゃいけない。
年上として、先生として。
振り回してごめんね、って言わなきゃ。
少しの間でも好きになってくれてありがとう、って言わなきゃ。
応援するよ、って。これからもずっと侑士くんの先生だよ、って言わなきゃ。
頭をたくさんの言葉がよぎった。
でも、喉の奥に張り付いた声は音にならなかった。
「……俺に彼女できたら、せんせは喜んでくれ、――――――」
侑士くんが言いかけて、やめた。
「……せんせ…………?」
「――――」
私は何も、言えなかった。
侑士くんの切れ長の目が、丸く見開かれていく。彼の瞳に宿る感情は何なのだろう。驚愕、動揺、後悔、そんなものが混ざった色。
……侑士くんが何を考えていたとしても、もう関わらない方がいい。
私は必死に笑顔を作った。
「せんせ、」
何か言いかけた侑士くんの台詞を遮る。
「そうだよね。恋愛マスターは、時間を無駄にしちゃダメだよね。うん、嬉しいよ。私、喜ぶよ。クラスの子かな? 家庭教師相手よりよっぽどいいよ。おめでとう、侑士くん」
どうにか絞り出した返事は、支離滅裂だった。頭は混乱の極みだった。
どうしてこんなに悲しいのかわからない。可愛い教え子に恋人ができたことを素直に喜んであげればいいだけなのに。
笑顔で“応援するよ"と言えない理由がわからない。
自分で自分のことがわからないなんて、初めてだった。
「良かったね侑士くん。これで受験も頑張れるよね」
「ちょい待って。せんせ、聞いてや、」
「私と侑士くんの関係は何も変わらないから心配しないでね。ただの先生と生徒だし、むしろそれがあるべき姿? って言うか関係だよね。あはは、今さらでごめんね」
正しいことを言えているかわからない。頭が回らない。ただ、上手く笑えない顔を隠したくて俯く。
「せんせっ! 聞きぃや、」
「もうすぐ!! ……受験だし、そもそも古文は侑士くんの選択科目じゃないし。ちょっとからかっただけの相手とは言え、女の人が家庭教師だなんて彼女さんからしたらいい気分にはならないよね。……彼女さんに申し訳ないから私、家庭教師のバイト辞めるね」
見慣れたフローリングの床がぼやける。涙を見せたくない。
余計な心配をかけたくないのに感情がコントロールできない。
どうして。
どうして?
「っ希々、」
侑士くんが私を呼び捨てで呼ぶなんて初めてだと思いながら、下手くそな笑顔を向けた。その拍子に涙がこぼれ落ちた。
「、……ごめん、ちょっとお手洗い借りていいかな…………っ」
「っ希々!」
息苦しいほど強く抱き締められて、私は身を捩った。
「や……っ、離して!」
「彼女なんて居らん! 嘘や!」
「知らない! 離して……っ!!」
涙が後から後から溢れてきて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
逃げ出したくて本気で暴れた。でも侑士くんの腕からは抜け出せなかった。
男の子の力は強いんだと実感したのも、初めてだった。
私は今日初めてのことばかり経験している。
……もう、心が悲鳴を上げていた。
「離して!! 触らないで!! ……っもう、これ以上私に関わらないで……っ!」
叫ぶと、僅かに拘束が緩んだ。
とにかくこの部屋を出ようとした時。
「……っ聞いてくれへんなら、教えたるわ」
侑士くんが何故か私の手首を掴んでヘアゴムを奪った。
え、なんでヘアゴム?
予想外の行動に動きが止まる。
私の思考が止まっている間に侑士くんは髪を後ろでまとめた。
男の子のヘアアレンジなんて初めて見た。
呆然としていたら涙も引っ込んでいた。
ショートヘアみたいな侑士くんが私に手を伸ばす。
「ゆ、」
「――好きや」
唇に噛み付かれた。
キス、なんて生やさしいものじゃない。舌を吸われて咥内を蹂躙されて、まるで捕食されているみたいだった。
「ん……っ、んぅう…………っ!」
立ったままきつく抱き締められて、後頭部を抱え込まれて、まったく動けない。
経験のない激しい口づけに、呼吸ができない。
「んんぅ……っ!!」
スマートな侑士くんのイメージとは全く違う。歯が当たっても私の足が力を失っても、侑士くんは離してくれなかった。
唾液が吸われて口内の水分が枯渇する。侑士くんは喉を鳴らしてそれを飲み込んでしまう。喘ぐ私に与えられるのは侑士くんの唾液だけで、飲み干せないものが唇の端から落ちた。
「んぁ……っ! んんっ、ゅ、うし、く、……っんんん……っ!」
意識が飛びかけた。酸欠で頭がくらくらする。
気づけば侑士くんらしい器用な舌が歯列や上顎を刺激してきて、快感が背筋を走った。
ぞくぞくした感覚が腰から首筋に上がってくる。
「ふ、……ぅ、ぁ……っん…………っ」
「は……っ」
息荒く、頬を紅潮させた侑士くんが唇だけ解放してくれた。抱き締められていなければ倒れているであろう私は、薄ら目を開いた。酸素を必死で取り込みながら、目の前の生徒を見つめるしかない。
余裕のない、剥き出しの欲望が宿る眼差し。いつも冷静で大人びていて、安心させてくれる侑士くんとは全然違う。
足にも腕にも力が入らない。座り込むことすら許されず、ほぼ全体重を預けることになってしまっている。そんな私を容易く支える侑士くんは、部活で鍛えているからかやっぱり力が強いんだなと思う。
侑士くんは何かを堪えるように私を見て、唇を開いた。
「、……っ」
「……?」
何か言ってくれるのかと思いきや、不意にまたキスをされた。密着した身体から高い体温が伝わる。後頭部に回された手が口づけを深めつつ、髪を掻き乱す。
今度はゆっくりと舌が絡め取られた。敏感なところを探るように、頬の内側も下顎も、歯列の隙間さえなぞっていく舌先に上擦った声が漏れた。
「ぁん……っ、ん…………っぅ、ふぁ…………っ」
「ふ……」
唇の間で熱い吐息が混ざり合い、どちらのものともつかぬ唾液を飲み込む。舌を好き放題弄ばれ、咥内が甘く痺れた。
「ん……っぁ、…………ん…………」
侑士くんに全身を預けて、何分が経っただろう。
部屋のドア越しにガチャリ、と小さく玄関の音がして、忍足さんの「ただいまー」という声が聞こえた。お母様は外出していたらしい。私が叫んだのは聞かれていなかったのだろう。そうでなければあれだけ騒いでいたのだから、保護者が部屋に入って来ないわけがない。
そんなことを考えていると、ようやく唇が離された。言うまでもなく、私の視界はぼやけているし焦点が合わない。肩で息をするのが精一杯だ。
もう倒れさせて欲しいのに、侑士くんはまだ私を全身で抱き締めている。正確には抱擁ではなく、拘束と言うか羽交い締めに近い。
「……希々、好きや。これでも我慢しとるくらい……好きや」
「ふ……」
「……彼女なんか作らん。あんたのこと、滅茶苦茶にしたいくらい好きやっちゅうのに……他の女で満足できるか」
話の内容が頭に入ってこない。
とても大事なことを言われている気がするけれど、苦痛なのか快楽なのか判別できない衝撃に全部持っていかれてしまった。
「嘘ついたのは俺が悪い。ちっとは俺を意識してるんか確かめたくて、彼女ができたなんて言うてみた。…………泣くほど、嫌やったん?」
「ぁ…………」
「……希々せんせ」
額、頬、鼻先と順番に柔らかいキスが落とされた。
「……希々」
「ん、」
「…………希々」
「……ふ…………」
あやすような優しいキスを繰り返されるうち、ようやく意識が戻ってきた。
「ゅ……し、く…………」
「俺は希々が好きや」
「……ゆ、し、くん」
「……俺に彼女ができたって嘘、泣くほどショックやったん?」
侑士くんは右手を私の後頭部から離し、濡れた唇を拭ってくれた。
そっと頭を撫でてくれて、ふわりと抱きしめてくれる。
もう、いつもの優しい侑士くんだった。
何故か、涙が滲んだ。
「ゆ……しくん、」
「……おん」
「ゆう、し、く……ん、……侑士、くん、」
「おん」
先刻までと逆で、勝手に口から声が漏れた。でも、侑士くんの名前しか出てこない。
「侑士く、ん、侑士くん……っ」
「……おん」
「侑士くん……っ!」
苦しい力で抱き締められるのが、嬉しくて仕方なかった。
嘘とかどうでも良かった。
また好きだと言ってくれたことが、何より嬉しかった。
「侑士くん……っ!!」
「おん」
「侑士、くん…………っ」
ひたすら侑士くんの名前を呼んで、ひたすら頷いてもらう。それだけのやり取りに胸が熱くなった。
侑士くんは苦笑していた。
「おん。……俺はここに居るよ」
私は泣きながら笑った。
かつてない程胸を揺さぶるこの感覚は、初めてだけれど怖くはなかった。