6ペンスの唄(跡部vs.忍足)
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*十八話:運命の午後7時*
あれは一月ほど前のことだったか。体感はもう半年近い。
『希々せんせ、俺にドキドキする言うてくれたんや!』
『――――』
嬉しそうな忍足の顔を見てからの記憶が曖昧だ。
希々が男を意識しないことこそが、俺の防波堤だった。
あの日、希々にとって忍足は男で俺は違うのだと理解した瞬間から、俺は言い寄ってくる女と次々関係を持った。
誰に聞いても俺は男だった。
頼りになる、格好良い、抱かれたい、好き、愛してる。
囁かれる言葉はどれも望んでいたもののはずなのに、俺の心は乾いていた。忍足のように経験さえ積めば希々にとっての男になれるのかと思った、それが始まりだった。
乞われて応えて、そのたび心臓の奥が痛んだ。希々じゃなく、俺を好きだと言ってくれる女と付き合えばいいと頭ではわかっていた。
しかしそれを俺の身体が拒絶した。
俺はどの女とも、一度しかキスができなかった。
一度知ったら用済みとばかりに他人に戻る俺を、周囲が色々噂していることは知っていた。どうでも良かった。どうとも思わなかった。
物の味がしなくなった。楽しいと思うことも悲しいと思うこともなくなった。それでも俺の体はルーティンを覚えていて、勉強もトレーニングもいつものようにこなしていた。跡部景吾という存在が動いているのを、俺の精神が俯瞰しているような感覚。毎日が淡々と過ぎていった。
当然、希々にも会いに行かなかった。連絡もしなかった。
俺は希々を追うのをやめた。忍足が何かごちゃごちゃ言ってきた時、もう希々なんて好きじゃないから勝手にしろと言った気がする。希々に男として見てもらうために始めたことなのに、いつの間にか目的を失っていた。
唯一の心の拠り所を失った俺は、余程死にそうな顔をしていたのだろう。ミカエルを心配させているのはわかっていた。だが、止め方がわからなかった。
もう、どうしたらいいのかわからなかった。
自傷のように経験だけを重ねていく俺を見かねたミカエルが、勝手に希々に連絡していた。
ふざけるな。会いに来た希々を顔も見ず追い返した。
懲りずに希々は俺に連絡してきた。もうお前の知ってる可愛い幼なじみじゃねぇんだよ、と不条理に怒りが湧いて何一つ返さなかった。
わかってる。
希々は何も悪くない。
それでも俺の心が壊れたのは希々のせいだった。
希々が、俺を男として意識しないから。
半ば自暴自棄になって『土曜の夜泊まりに来るなら話す』と言った。俺の噂なんて忍足や周りの人間から嫌という程聞いているだろうし、来るわけがないと思った。
なのに希々は『行く』と即答しやがった。
この期に及んで俺はまだ男として見られていないのかと、嗤いが込み上げた。
――いいぜ。
何もかも話してやるよ。
『男の家に泊まる』ことの意味を身体に教えてやる。
泣いても喚いても誰も助けに来ない。そもそも跡部邸はどの部屋も防音仕様だ。ついでに最近の俺の行いを知っている使用人は夜、俺の部屋に近寄らない。
運命の午後7時。
何も知らない希々がドアをノックする音が、やけに硬く響いた。
***
「景吾……久しぶり」
学生の頃から変わらない“お泊まりセット”を持って、希々は俺の部屋に入って来た。
俺が目線だけ移すと、希々は息を飲んだ。
「……っ景、吾…………痩せた…………?」
希々は荷物を足下に投げ出し、俺に駆け寄った。いつもの行動に思わず冷笑が浮かぶ。俺は頬に触れようと伸ばされた手を払いのけた。
「気安く触んな」
「…………そう、だね。ごめん」
希々が手を引っ込めて、悲しそうに微笑んだ。
「……今日私が泊まれば、景吾が悩んでることを話してくれるって……それだけは信じていい?」
「あぁ……約束は守る」
二度と元に戻れなくても。
希々は安心したのか、荷物を漁り始めた。
「これ、景吾好きだったよね」
手の上には見覚えのある菓子の小箱。
俺が風邪を引くといつも食わせようとしてきたクッキーだ。庶民の店にしては味が悪くない、と昔言ってから、俺の具合が悪い時は必ずこれを持ってくる。
「食べられそう? いらないなら私が食べるよ」
「、」
声が一瞬詰まった。
冷たくあしらうはずが、久しぶりの希々を見ていたら何故か言葉が出て来なかったのだ。意図せず口からこぼれたのは、これまた久方ぶりの本音だった。
「……食欲、ねぇんだ」
希々は困ったように笑った。
「そっか。じゃあ、食欲戻ったら一緒に食べよ?」
「――……」
纏わりついてくるだけの女とは違う。他の女と希々が違うのは、与えてくれることだと今知った。
希々は俺に無償の優しさを注ぐ。それがずっと心地好くてもどかしくて嬉しくて……憎かった。
「……何しに来た。何が聞きたい」
希々はソファの端に腰を下ろした。
俺は馬鹿みたいに突っ立ったまま、拳を握りしめる。
「……景吾を、助けに来たの」
――――ガッ、
ほぼ反射で希々の襟を掴み上げていた。
「……っけほ……っ」
苦しそうな顔を見てもちっともスッキリしない。
「……俺を救う、だと? 随分と偉くなったもんだな。俺はもうお前なんか好きでも何でもねぇ。そのお前が…………俺をどうするって?」
希々は中腰の姿勢のまま、無理にでも笑みを浮かべようとする。
「け……ちゃん、を、……たすけて、あげる……」
「っ!!」
かっとなった。殴ろうと持ち上げた左腕を寸でのところで堪える。さすがに女に手を上げるわけにはいかない。
「……っ誰が頼んだよ! 俺が一言でも助けてくれなんて言ったか!? いつまであんたは姉気取りなんだよ!? 余計なお世話なんだよ! あんたはドキドキする忍足くんのことだけ考えてろ!!」
希々は泣きそうな笑顔で、自分の首元を締め上げる俺の手に触れた。
「殴って……いい、よ。したい、こと……して、い……い、よ……」
「っふざけんな!!」
「ふ……ざけ、て……ない、よ」
希々は咳き込みつつ、立ち上がって――ブラウスのボタンを外し始めた。
「は…………?」
あまりに予想外の行動に、俺の喉から間抜けな音が漏れた。希々から手を離し、呆然とその光景を眺める。
冷静になってようやく気付いた。
前開きの脱ぎやすいブラウス、白く可愛らしいフリルのあしらわれた下着。
希々は全部わかって此処に来たのだと。
ぱさり、と足下にブラウスを脱ぎ捨て、希々は俺に両腕を伸ばす。
「……おいで、景吾」
「……っ!!」
カタカタ震える腕で、眦に涙を滲ませて、それでも希々は俺を真っ直ぐ見る。強がりというより、そこには決意があった。
「……っ忍足のことが、好きなんじゃねぇのかよ……っ」
「わからない。私にはまだ好きの違いなんてわからないよ」
「……っ」
何を言えばいいのかわからなかった。
俺より何もわからないはずの希々は、俺より明確に目的を持って俺を手招く。
「……他の女の子にはできて、私にはできないの?」
「っ!!」
細い腕を掴んで、ベッドに押し倒した。
噛み付くようにキスをした。柔らかい唇をこじ開けて咥内に押し入る。
他の女と違う慣れない舌使いが初々しい。忍足とはもうしたキスなのかと考えかけて、その思考を掻き消すために激しく舌を絡めた。
……が、俺の手は彼女の下着に触れることが出来なかった。
慣れた行為のはずなのに、それ以上を俺の中の俺が拒絶していた。
「…………」
そっと唇を離して身体を起こす。
「……私、色気なくてごめんね。でも、頑張るから」
苦笑して希々も半身を起こし、俺のシャツを脱がせた。そのまま俺の首にキスをしようとした希々を止めて、俺は俯いた。
「景吾?」
「…………もう、やめてくれ…………」
「……何を?」
「…………頼む、やめてくれ………………頼む、希々…………」
そう、言った時ふわりと抱きしめられた。
「……ようやく名前呼んでくれたね」
その声があまりに優しくて、俺の頬を一筋の涙が伝った。