6ペンスの唄
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*十三話:戦略*
どうにもあの言葉が引っかかっていた。
『私は……恥ずかしいけど、その、全然恋愛経験がないから……教えてほしいの』
俺はあの言葉を恋愛経験が少ない、と受け取った。若干抜けているところはあるが、あれだけ男受けしそうな容姿だ。跡部とも何かあったらしいし、恋愛に慣れていないだけなのだと思っていた。
しかしここ数日、ある疑念が生じている。
相手が相手だけに、俺にしては珍しく触れるだけのキスしかしていない。それなのに希々は真っ赤になってすぐ力が抜けてしまう。これはもしかして、俺が勘違いしていたのか?
確かに跡部にはキスなり何なりされたのだろうという反応だったが、それが“初めて”だったとしたら。
恋愛経験が少ないという意味ではなく、文字通り“無い”という意味だったとしたら。
「……」
俺は採点する希々の横顔をまじまじと見つめた。少しあどけないが整った顔立ち。メイクやネイルにも気を配っている。これでモテないはずがない。大学2年生と聞いたが、まさか本当に誰とも付き合ったことがないのだろうか。
「……うん! 侑士くんすごい、また満点だよ! もう私に教えることなんてないんじゃないか、ってくらい!」
俺は嬉しそうな希々の頬に触れた。
「…………希々せんせ」
ぴくっと肩が揺れる。
「な、何?」
いつもなら抱きしめるかキスをするかだが、俺はただ指先でゆっくりと彼女の頬を撫でた。
「ゆ、うしくん……?」
「……」
何度も頬をゆるりと撫でていると、希々の瞳が僅かに細められた。心地好いのだろうか。
そのまま指先をそっと耳朶に滑らせる。
「!」
一瞬身体が強ばったが、宥めるように髪を梳いて耳にかけるという行為を反復しているうち、茶色の瞳がとろんとしてきた。
……面白い。
愛玩する手つきが偶然滑った、という体で首筋に触れると、
「……っぁ、」
小さな声が桜色の唇から漏れた。
「!!」
希々は目を見開き、自身の口から出た声が信じられないと言わんばかりに口元を手で覆った。
俺からも距離をとって、顔を真っ赤に染め上げた。
「……っご、ごめん! ごめ、」
「希々せんせ、もしかして……男と付き合ったこと無いん?」
「っ!!」
気の毒な程赤いその顔が何よりの答えで、俺は思わず瞬きを繰り返す。
「…………え? 中学とか高校とかでも?」
「……っ!」
「大学2年なのに?」
俺には責めるつもりなど微塵もない。むしろ本気で驚いて尋ねていた。
しかし彼女は非難されていると感じたらしい。ばっと視線を逸らされ、返ってきた声には涙が混じっていた。
「い……っ言ったじゃない、恋愛経験、ないって……っ」
「や、ちゃうん。せんせ、」
「侑士くんみたいに経験豊富な人からしたら気持ち悪いかもしれないけど、でもっ、機会がなかったんだから仕方ないじゃない……っ!」
「せんせ!」
俺は希々の手をぎゅっと握った。
赤い眦の希々が、はっとしたように俺を見る。
「……せんせ、聞いて。俺、責めてるわけでも軽蔑してるわけでもあらへんよ」
「……だ、って…………わ、私、キスだって、景ちゃんが初めてで……っ」
俺は頷いた。
「……おん」
「ゆ、侑士くん、みたいに、すごいこと、知らなくて、」
「……おん」
小さく震えるその手が、いつになく頼りなくて。
「に、20年間、彼氏なんて、いたことないから、」
「……おん」
不安げな眼差しが、いつになく潤んでいて。
「侑士くんにされるキス、でも、いっぱいいっぱいな、くらいだから……っ」
「……おん」
精一杯の声が、いつになく胸を打った。初めて込み上げた思い。
今までの年上の教師と、この人は違う。強引に迫って怖がらせるんじゃなく――――。
「……せんせ、悩ませてごめんな」
ふわりと抱き寄せて、華奢な背をぽんぽんと撫でる。
「……せんせにほんまに経験ないんはわかった。けど、俺はむしろ嬉しいわ」
「え……?」
甘い甘い言葉を、手つきを、時間をあげよう。いつかそれら無しでは物足りなくなるように。彼女から求められるように。
「他の男は知らん希々せんせを、俺が初めて見とるってことやろ?」
「……っ私と侑士くんは、先生と生徒でしょ!」
「課題満点の時くらいご褒美くれてもええやん。俺のモチベーションにも繋がるし」
「…………」
腕の中の希々に抵抗はない。俺は口角を上げた。
「せんせとくっついてるとな、次も頑張ろって思えるんよ。……希々せんせの嫌がることはせぇへんから、ちょっとぎゅーってするくらいは許してくれへん?」
ややあって、小さな首肯が返ってくる。
俺は笑って少しだけ腕に力を込めた。
嫌がることは、しない。嫌だと思わせないようにしてしまえばいいだけだ。
さて、どうやって俺に依存させようか。
俺は頭を回転させながら、柔らかな希々の身体とほんのり漂う彼女の香りを堪能していた。