ロンドン橋落ちた(不二vs.幸村)
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*十六話:寂しい*
なるべく優しく希々ちゃんの肩を抱き、大学内のカフェに入る。
「好きなものを頼んで。持ってくるよ」
頭が働かないのか、希々ちゃんは俯いて首を横に振った。
俺は彼女の頭にそっと手を置き、温かいミルクティーを二つ注文して受け取った。
カタ、
「……以前君が紅茶を飲んでいたから、好きなのかなと思って」
驚かせないようゆっくり横から差し出すと、希々ちゃんは小さくお礼を言ってくれた。しかし動く気配はない。項垂れたままの細い肩に、胸が痛んだ。
「…………俺の知っている色は、病院の白とコートの緑。その二つしか知らなかったんだ。そうだな……そこに時折机の茶色が混じるくらいかな」
「、…………?」
希々ちゃんは予想と違う言葉をかけられたからか、ようやく顔を上げた。
俺は前を向いたまま続ける。
「これまでそれ以外の色を知らなかったし、知る必要もなかった。テニスが俺の全てだった。俺を構成するものはテニスとチームメイトだけだと思っていた」
テニスだけをひたすら追い続けてきた。だから恋愛にあまり興味が持てなかったのかもしれない。
告白されることは頻繁にあったし流れで付き合ったこともあったけれど、別段心浮かれるような経験はなくて。世の中の若者は恋愛というもののどこにそんな魅力を感じているのだろう、と本気で不思議に思うことさえあった。そしてそういう時俺は、世の人間が恋愛に割く部分を自分はテニスに割いているのだと考えていた。
――全力で誰かに恋をする君に出会うまでは。
誰かで頭がいっぱいになったこともなかった。
テニスより先に誰かの名前が出てくることもなかった。
勝利以外のものへの渇望。
ようやく俺は気付いたんだ。
「……俺は今まで、本気で誰かを好きになったことがなかったんだ」
「……!」
「でも君を好きになって……文字通り世界が変わったと思ったよ」
いい思い出のない白をかき消して広がる緑。瑞々しいその色の手前に、不意に強い光が差した。いつもなら目の前に映るのは黄色いテニスボールだったのに、今は違う。
「……今の俺の景色には、希々ちゃんがいる。君がいるだけで、曇りの日でもコートが明るく感じる。目を閉じて一番に思い浮かぶのも……俺の頭を撫でてくれた希々ちゃんの笑顔なんだ」
「ゆ……きむら、せんぱい…………」
俺は微笑んで、希々ちゃんの頭をそっと撫でた。
「希々ちゃんがいなかったら、俺は誰かを愛する気持ちを知らずにいた。君が俺に、人を好きになるという感情を教えてくれた。……だから……もし今希々ちゃんが辛いなら、俺を頼ってほしい」
「……っ!」
目を見開く希々ちゃんの頬に手を滑らせ、告げる。
「君の唇を奪った不二が妬ましい」
「っ!」
「でも君の笑顔を奪った不二への怒りの方が今は強い」
希々ちゃんはふる、と震えて唇を開いた。
「わ、たし……」
「……うん」
「周ちゃんがいつも傍にいてくれた、から、……周ちゃんがいない明日が、……一人が怖くて、」
「……うん」
大きな瞳が混乱に揺れる。
「周ちゃんがいないことが怖いのか、一人になることが怖いのか、わからなくて……っ」
「……うん」
「私……っ!」
綺麗な瞳から、透明な雫がこぼれ落ちた。
「……っさ、び、しい…………っ!」
「――――」
希々ちゃんが俺に初めての本音を晒してくれる時は、いつも泣いている気がする。
「寂しい、です……っ、……っ寂しい……!」
次々と涙が流れていく。我慢も限界とばかりに希々ちゃんは両手で顔を覆った。
「……希々ちゃん……」
今彼女が何よりも強く感じているのは、戸惑いでも嫌悪感でもなく孤独だった。突然襲ったそれに心が追いつかず、悲鳴を上げている。当然だ。あれだけ甘やかしてきて何の前触れもなくその手を離したのは不二の方。これは不二の失策だ。
希々ちゃんに寄り添うのなら本来悲しむべきだろうが、俺は隠しきれない喜びを確かに感じていた。
――希々ちゃんが初めて不二より先に本音を打ち明けてくれた。
他の誰でもない俺に。
寂しい、と繰り返す彼女を落ち着いて見ていられたのはそこまでだった。
俺は不二とは違う。そう思っていたのに、初めての恋は俺の身体を勝手に動かしてしまう。
「――希々ちゃん」
気付けば俺はしゃくり上げる希々ちゃんの涙を唇で拭い、
「……俺がいる」
真っ赤な瞼に口づけ、
「……俺が、いるから」
「寂し、――――」
その桜色の唇を塞いでいた。