花嫁は渡さない / 跡部
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俺にはずっと憧れている人がいる。
2歳年上の藍田希々さん。藍田財閥の一人娘だ。彼女も財閥の人間なので、幼い頃からパーティーでよく見かけていた。
知的で品があって、俺の初恋は希々さんだった。
彼女を追うように氷帝に入り、中高とも生徒会長を務めた希々さんと同じように俺も生徒会長になった。在学中に調査して、卒業後の進路も彼女の大学に合わせた。
おい。今俺のことをストーカーだと思った奴、前に出ろ。
同じ大学に通いたかったんだから仕方ないだろうが。
他の人間に対してはいくらでも尊大に振る舞えた。俺様は跡部景吾だ、と上から目線で派手な演出を見せてやれた。
なのに俺は希々さんを前にすると、借りてきた猫のように何もできなくなってしまう。
『景吾さん』
そう呼ばれるだけで背筋が伸びて、続く言葉が何であれ喜びしか生まれない。
遠くから見つめていて視線が合うと軽く手を振ってくれるところが好きで仕方なかった。
忍足が『ほんま跡部は藍田さんの前やと別人やな。尻尾振っとる犬みたいや』などとほざいていたので、しばいておいた。
おい。今忍足と同じことを思った奴、前に出ろ。
……いや、ここまでなら俺もそんな風に言えただろう。
しかし希々さんの就職先の会社を調べだしたあたりから、自分でも薄々危ないと気付いていた。
俺はストーカーなのか。
いや、違う。
いや、微妙に否定できない。
というかそれ以前に、『俺の初恋は希々さんだった。』どころの騒ぎじゃない。俺の一途すぎる初恋は現在進行形なのだ。
もうこの頃には開き直っていた。
ストーカーと言われようと気持ち悪いと言われようと構わない。
俺は希々さんが好きなんだから、仕方ない。希々さん本人にやめてくれと言われたらコンマ数秒で離れるが、同じ財閥を背負った後輩として優しくしてくれているうちは、その幸運を享受していたい。
そんなこんなで希々さんを追いかけてきた俺の人生で、今、とんでもないことが起きていた。
***
「……希々さん、今、何て言いました?」
「景吾さん、大丈夫? 顔色が良くないけど……」
「いえ。顔色はどうでもいいです。それより何て言いました? 結婚……?」
久方ぶりのパーティーで希々さんは俺に言った。私結婚することになったの、と。
「藍田財閥に生まれたんだもの。いつかはこうなると思っていたけど……。これって昔風に言うと、政略結婚、っていうものなのかしら」
くすくすと控えめに笑う希々さんは今日も美しい。が、それを讃えている場合ではない。俺の胸には核爆弾が落とされたような衝撃が駆け巡っている。
「あ、の。希々さんは嫌じゃないんですか? 相手の人のこと、……どう思ってるんですか?」
好きだと言われたらそれはそれで凹むが、避けては通れない質問だ。俺が思い切って尋ねると、希々さんはさらりと告げた。
「私、まだお会いしたことないの」
さしもの俺も目をむく。
「会ったことがない人間といきなり結婚させられるなんて、それでいいんですか!?」
希々さんは微笑んで、YESともNOともとれる答えを返した。
「……そういう前提で何不自由ない環境を与えられてきたんだもの。私が恵まれていたのはこの時のためだって、わからないほど子供じゃない」
「でも……!」
「……景吾さんは男の子だから、好きな人を選ぶ立場になれると思う。だから心配しなくて大丈夫よ」
「俺は…………っ!」
自分でもわからないが、何かを言おうとした矢先。別の参加者に声をかけられて希々さんはそちらに歩いて行ってしまった。
「……っ!」
会ったこともない何処の馬の骨とも知れぬ野郎――否、財閥の一人娘を貰うくらいなのだから何処かの財閥の人間なのだろうが――そんな奴に渡すくらいなら、俺が貰う。むしろ奪ってやる。
跡部財閥より力があるグループなど、日本でそう多くはない。
この俺を差し置いて希々さんと結婚しようなどという死ぬ程羨ましい野郎は、何処の誰だ。
「冗談じゃねぇぞ……!」
この日から俺は藍田財閥について本格的に調査を始めたのだった。
*****
ガサ、と茂みから顔を出す。
俺様ともあろうものが不審者と通報されかねない状況だが、格好つけてなどいられない。幼少時希々さん見たさに作った抜け道から、俺は毎日彼女の庭へと入り込んでいた。希々さんは怒るどころか笑ってくれるから、公認ということにしている。
「またいらしたの? 景吾さん」
ティータイムを庭で楽しんでいた希々さんが、紅茶片手に笑った。
「聞きましたよ! 希々さんの結婚相手! 失礼を承知で言いますがあれは誰がどう見ても……!」
希々さんはふっと遠くを見た。
「…………好きな人がいたら、嫌だったと思うわ。でも、優しい人、らしいから……」
「相手方は藍田財閥よりむしろ小さい規模のグループじゃないですか! なのに親子ほど年齢の離れたチビデブ親父と結婚する理由って何ですか!」
小さく吹き出した希々さんが、俺を手招きした。
「景吾さん。よかったらそんな所で葉っぱをくっ付けていないで、一緒にお茶しない?」
「……っ、…………はい…………」
俺は誘われるまま、彼女の斜向かいの白いチェアに腰を下ろした。
優雅な仕草で俺の分のティーカップに紅茶が注がれる。
「ちびでぶ、って何だか可愛い表現ね」
「……すみません。感情的になって」
「景吾さんとこうやってきちんと話すのは初めてね」
希々さんは目を閉じた。
「……私の両親も、お見合い結婚だったの。政略結婚、という程のものではないけど。愛があったわけじゃなくて、当時はそうしなければならなかったから、結婚した」
俺は彼女の言葉に注意深く耳を傾けた。その声の欠片に潜む感情さえ聞き逃さないように。
「私は大切に育ててもらった。私と両親の間には間違いなく愛情があるわ。……でも、父と母の間に愛はなかった。だから私も、結婚ってそんなものだと思っていたの。恋愛結婚なんて夢のまた夢。私にはどうやっても手にできないものだって思ってきた」
「希々さん……」
「だから、大丈夫。心配してくれてありがとう。……優しいのね、景吾さん」
「……っ!」
何故。どうして。
自分から手を伸ばすことを諦めてしまったら、本当に希望がなくなってしまう。どうして、そう言いかけて反射的に口を閉じた。
希々さんは、寂しそうに微笑んでいた。
「……両親とも、私にはとても優しかった。私が結婚して藍田財閥と彼のグループが手を組めば、日本有数の企業になれる。…………それが私にできる、唯一の親孝行なの」
親孝行、それはもちろん大事だ。
希々さんらしい考え方だ。だが俺は1ミリも納得できない。
「……希々さん。一番の親孝行って何だか知ってますか?」
「なぁに?」
「子供が幸せになることです。あなたたちから生まれてきてよかったと言えるくらい、笑顔で幸せになることです」
「……!」
希々さんが目を見開いた。
「希々さんはあのチビデブ親父と結婚して、幸せになれるんですか。優しい相手なら、誰でもいいんですか」
珍しく歯切れの悪い口調で、希々さんは目を逸らす。
「……幸せに、なれるかなんて…………結婚してみないと、わからないじゃない。…………優しくないより、優しい方がいいでしょう?」
俺は若干冷たい彼女の手を握った。
「、景吾さん……?」
「さっき希々さん、俺のことも優しいって言いましたよね」
「……? ええ、言った。あなたは昔から優しかった」
「――なら、俺と結婚してください」
音が一瞬、消えた。
「………………え…………?」
俺の体温が伝わることを願いながら、祈るように小さな手のひらを包む。
「……ずっと…………ずっと、子供の頃から希々さんのことが好きでした。貴女を追いかけてきました」
初めての告白に、希々さんは戸惑っているようだった。それはそうだろう。俺は彼女にこうやって触れたことすらなかったのだから。
「貴女に会えるからパーティーに行った。貴女がいたから氷帝を選んだ。想いを告げる勇気を今まで出せなかった俺は、貴女にとって年下で頼りない存在かもしれない」
それでも。
「それでも、俺だって男なんだ。愛する人と結ばれたい。貴女を笑顔にしたい。……希々さんを幸せにしたいと、心から思っています」
「……、」
「相手が誰でも、俺は俺より希々さんを愛してる奴じゃなきゃ引き下がれません」
俺は席を立った。
「……俺は藍田財閥に恨まれてでも、貴女が欲しい。どうしたら俺のものになってくれますか」
跪いて、薬指に触れるか触れないかのキスを落とす。縋るように見上げても希々さんは、どこか困ったように視線をさまよわせるだけだ。触れたことのない柔らかな頬は微かに赤く染まっていて、少しは彼女の心を動かせたのかと嬉しくなった。
しかし希々さんは、ゆっくり俺から手を離した。
「…………ごめんなさい。財閥に関わる沢山の人の人生を私情で壊すわけにはいかない。社員にも家族がいて生活がある。……ごめんなさい、景吾さん」
俺は彼女から目を逸らさずに尋ねた。
「……希々さんの懸念は、ご両親への親孝行と藍田財閥に関わる人間の今後、それだけですか?」
「え?」
希々さんは俺が諦めると思っていたらしい。目をぱちくりさせて首を傾げた。
「他にこの政略結婚を承諾する理由はありますか?」
「な、ない、けど……」
「もしこの政略結婚の相手が俺だったとしても、受けてくれていましたか?」
希々さんがまた少し赤くなって、小さく頷く。
「むしろ景吾さんだったら…………っ、何でも、ない」
我慢できず、淡雪のような頬に手を伸ばした。
「っ、」
「……好きです、希々さん。貴女は誰でもいいのかもしれないが、俺は貴女じゃなきゃ嫌だ」
心なしか熱い白磁の肌に、そっと口づける。潤んだ瞳に、唇まで奪ってしまいたいのを何とか堪えた。
「……俺のことを恋愛対象として見られるか…………考えておいてください」
「け、いごさん…………」
「すみません、お邪魔しました」
俺は振り返らず、抜け穴からガサゴソと外に出た。些か格好悪い。が、やるべきことがはっきりした俺の気分は思いの外晴れやかだった。
*****
「――――では、この結婚に異議のある者は、」
それは私の結婚式当日。
神父さんの言葉の後だった。
教会のドアがドラマもびっくりする勢いで開けられて、
「異議あり!」
低いのによく通る声が入口から響いた。
「景吾さん……!?」
私は驚きのあまり動けなかった。それは参列者も同じだったようだ。皆が一瞬静止し、ややあってだんだんとざわめき始める。
何故か白いタキシードを着た景吾さんは、堂々とバージンロードを闊歩してこちらに近付いてくる。
「ちょっと、君! この神聖な式を、」
「うるせぇ! 俺様に不可能なんざねぇってことを、この場にいる全員に教えてやるよ!」
パチン、という音。
景吾さんが指を鳴らすのと同時に、大きな垂れ幕が十字架の上に降りてきた。祝、という一文字と跡部財閥のロゴが入った垂れ幕。
「俺様の人生オールベットして買い取らせてもらったぜ。藍田財閥もそこのチビデブ親父のグループもまとめてな!」
景吾さんの人生、それは跡部財閥の未来そのものだ。いったいいくらの値段がつくのか見当もつかない。ただ、藍田財閥も夫になるはずだった人のグループも、この式をぶち壊した全ての補填をしても尚、莫大なお釣りがくることは間違いないだろう。
天井から薔薇の花びらが舞い落ちる。予め知らされていたのか、パイプオルガンの奏者の指は止まらない。
荘厳な音楽を纏い、薔薇を散らしながら景吾さんは私の腕を掴んだ。
「景吾さ、――――」
どこか乱暴に唇を塞がれたと思った瞬間、ウェディングベールを引き剥がすように後頭部に手が回され、熱い口づけが私の言葉を奪った。
「ん、ぅ…………っ!」
「――貴女の憂いは全て排除した。……あの時の答えを教えてください」
「ぁ…………」
間近で見る景吾さんは、澄んだアイスブルーに沸騰しそうな熱を宿してそう言った。
「希々さん、俺と恋愛結婚、しませんか?」
「……っ!」
一瞬で顔が火照った。
今までの後輩然とした態度とは全然違う。初めて見る強引な景吾さん。
タキシードが似合う、美しくて格好良い人。私とは住む世界が違うと思っていた。
日本の中でもトップに位置する跡部財閥御曹司。そんな人と弱小財閥の娘である私が釣り合うわけがない。
本当なら関わりたくなかった。心に入らないでほしかった。
いつだって私を慕って、後をついてきてくれる可愛いあなたに惹かれないよう必死だったのに。
こんな一面まで見せられて、こんな風に触れられて。
この恋心をなかったことになんてできない。
「……まぁ、どのみちこの後たっぷり話す時間はあるので」
悪戯っぽく笑った景吾さんはウェディングドレスごと私をお姫様抱っこして、バージンロードを駆け出した。
「えぇ!?」
「一度やってみたかったんですよ! 異議あり、って宣言して愛する人をかっ攫うっつーシチュエーション!」
「けけけ景吾さん!?」
「はい!」
私は落ちないよう彼の首に手を伸ばしたものの、本気で楽しそうなその笑顔を見ているうちに不安が消えていることに気付いた。彼が大丈夫と言うなら、この後始末まで含めて心配などいらないのだろう。
私も思わず吹き出して、ベールを投げ捨てた。
「下ろして? 私も走る!」
「すぐそこに車停めてあるんで! これからオープンカーで凱旋しますよ!」
「もう! ……派手好きって噂は、本当だったのね」
答えなんて決まってる。
可愛いふりして実は俺様気質な、年下の略奪者。私の前ではずっと猫を被っていた、派手好きな王様。
可愛いあなたも強引なあなたも。
――本当は私も、ずっとあなたのことが好きでした。
Fin.
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