涙を拭う役目 / 忍足
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俺は時々、自分で自分が馬鹿なんやないかと思う。いや、馬鹿やと思う。なのに何故同じことを繰り返してしまうのか。
それは俺が馬鹿だから。それは俺が、藍田のことが好きだから。
今も目の前で大泣きしているこの藍田希々という女の子のことを、ずっと忘れられずにいるから。
「ひどいよね、ねぇ忍足! 私同じ理由でフラれるの何回目だと思う!?」
「4回目やね」
「3回目じゃないよ4回目だよ!?」
「いや4回目言うたやん」
「もうやだー!!」
会社終わりに入るLINE。可愛いキャラクターが号泣しているスタンプ。これが送られてくる時は、彼女が俺に愚痴を言いたい時だ。
普段藍田は、仕事でも人間関係でも愚痴なんてこぼさない。むしろ他の人間の愚痴を笑顔で聞いて、励ますような子である。
明るくて可愛くて優しい。三拍子揃っているのだから当然藍田はモテる。しかし彼女の恋愛は長続きしない。理由は、俺からすれば羨ましくて過去の彼氏達をぶん殴りたくなるようなものだ。
「“重い”って何!? 向こうから告白してきた癖に、最初は毎日連絡してきた癖に……っ」
居酒屋で飲みながら声を詰まらせる藍田の背を、いつものようにそっとさする。
「私がおかしいのかなぁ……っ? 半年経っても毎日LINEしちゃう私がいけないのかなぁ……?」
藍田と毎日LINEができるなんて贅沢を何故自ら手放すのか、理解に苦しむ。
「スタンプ1個だけだよ? 寝る前におやすみ、って…………男の人ってそれすら鬱陶しいのかな……」
俺なら寝る前のおやすみどころか朝でも昼でもおはようを心待ちにしてそわそわしてしまう。
「前の人はさ、仕事終わりにお疲れ様スタンプ押してたって言ったの、覚えてる?」
「……おん。あのいけ好かん赤澤やろ」
「どうせ忍足も覚えてないよね。前回お疲れ様で重いって言われたから、今回はおやすみにしたんだよ」
「覚えてる言うとるやん」
「なのにまた重いって言われた……」
しゃくり上げる藍田の目と鼻に限界が訪れたことを察した俺は、これまたいつものようにティッシュとハンカチを差し出した。
「付き合い始めは嬉しいって言ってくれるのに、時間が経つとなんで重くなるの? 私がいけないの? 私がおかしいの?」
酒の勢いでぶちまけているから、俺の言葉なんか聞こえていない。それでも俺は毎回彼女に答える。
「藍田は何も悪ないし、おかしない。男を見る目が無さすぎ、」
「でしょー!? 私が悪いんじゃないよね!? わかってくれるのなんて忍足だけだよー!」
俺の一番伝えたい台詞が食い気味に掻き消された。このタイミングの悪さには天からの悪意を感じる。まぁこれもいつものことなので、俺は黙った。
一頻り愚痴り終えると、振り切れていたテンションがいつもの彼女に戻る。
「私…………恋愛に向いてない、のかな……。男性脳とか女性脳とかあるって言うけど、世の中のカップルはそれでも上手くやっていけてる」
「……そう見えてるだけ、かもしれへんよ」
「……だとしても、一年は続くでしょ? 半年でフラれてばっかりなのは…………私に経験がないからなのかな。私に相手を思いやる気持ちが足りないからなのかな……」
俺が渡したハンカチを握り締めて、藍田は涙が溢れないよう天井を仰いだ。
それでも頬を伝う幾筋もの涙が、ブラウスの襟を濡らす。
「……っ藍田は誰より相手のこと思いやっとるやないか……!」
俺は堪らず、その涙を指先で拭った。
後から後からこぼれてくるその雫は、藍田の痛みそのものだ。
俺は知っている。俺だけが知っている。
入社して一年程経った頃、初めて彼女がフラれた現場にいた俺だけが。
***
あの日は残業が長引いて、気付けば外が暗くなっていた。今から帰るのもしんどくて、このまま会社に泊まってやろうかと考えていた時。ロビーの方で話し声がした。
こない時間まで残っとる社員なんてそうそう居らへん。何かトラブルでもあったんやろかと思い、足を踏み出した瞬間。
『……そういうとこが重いんだよ』
『残業だって言うから、甘いもの欲しいかなって思って…………』
『あのさ。希々は良かれと思ってやってるのかもしんないけど、男は恋愛ってもっと軽く楽しみたいわけ。このままお前と付き合ってたら、結婚しろとか言われそうで正直だるい。……別れてくれ』
とんでもない修羅場を予期せず盗み聞きする羽目になった俺は、僅かに動揺していた。
男の方は知らないが、女の声は確かに同期の藍田だった。名前も希々、と呼ばれていたから間違いないだろう。そもそも俺が好きな相手の声を間違うわけがない。
仲良くなれるよう、ランチや飲みにさり気なく誘っていたら彼氏ができたと報告を受け、絶望したのは記憶に新しい。こんなことなら早く告白しておけば良かった、そう思った日からまだ半年と経っていない。
男の言い草は、とてもではないが共感できるものではなかった。
お前は軽い恋愛がしたくて軽い気持ちで告白したんかもしれへんけど、藍田がどんな顔で俺にそれを報告したか知っとるか?
こんな私でも、好きって言ってくれる人がいたんだよ。たった一人の恋人に選んでくれる人がいたんだよ。
嬉しそうに頬染めて藍田がそう言うとったこと、知っとるか?
私、自分がしてもらったら嬉しいと思うこと、たくさんしてあげたい。幸せにしてあげたい。
微笑んで藍田がそう言ったこと、知っとるか。
知っとるわけないわな。“軽い”もんを欲しがってたお前は。
『……っふざけんなや』
男の靴音が遠ざかる。藍田のヒールの音はしない。俺は男を追うつもりでロビーに向かった。
しかし、そこで立ち尽くす藍田の涙を見て、足を止めてしまった。
『おし、たり…………』
藍田は気まずそうに目を逸らしてから、困ったように笑った。
『……カッコ悪いとこ、見られちゃったね』
その綺麗な涙を拭いたい。でもきっと彼女は泣き顔なんて見られたくない。
『…………見てへん』
俺は藍田を抱きしめて、小さく告げた。
『……こうすれば、見えへん』
『……っぅ、うー…………っ!』
泣いている彼女をなぐさめた、最初の思い出。
***
あれから、俺は幸か不幸か藍田の相談役というポジションに落ち着いてしまった。
今日もフラれたと泣いている彼女を眺めて、切なくなる。
藍田はいつも、誰かに告白されたら断らない。自分を選んでくれたことが嬉しい、と言ってすぐOKしてしまう。彼女の方から告白したことは、俺の知る限りない。
俺も告白したら、きっとOKがもらえる。それはわかっていた。しかし、今までの男達と同じようにとらえられるのは嫌だった。
どうしたら、伝えられるだろう。どうやって伝えたらいいのだろう。軽い遊び等ではない、この積もった想いを。
「忍足はさ……彼女いないの?」
「……居らへんよ」
「何で? モテるじゃん」
俺は数瞬躊躇った末、事実の断片を告げた。
「……好きな子が居るからや」
藍田は氷だけになったグラスを回しながら、
「誰? 私の知り合いなら協力しようか?」
と言った。
「――――」
自分とは無関係だと思っている、何よりの証に胸が痛んだ。
「…………なぁ、藍田」
「ん?」
「いつも俺、藍田の話聞いてるやん? ……今日は俺の話、聞いてくれへん?」
藍田は目を丸くした後、嬉しそうに大きく頷いた。
「うん! 何なに? 忍足の恋愛相談?」
俺も自分のグラスを見て、呟くようにぽつりと切り出した。
「……俺の好きな子、モテるんよ」
「へー! 可愛いんだ?」
「おん。可愛えし優しいしほんまにええ子なんやけど…………男を見る目が無さすぎてな」
藍田は首を傾げる。
「どういうこと?」
「その子、ろくでもない男にばっか捕まってな。でも、告白されても断らへんのや」
藍田は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「あー…………それは私、わかるかも。告白される、ってさ…………自分をたった一人のパートナーに選んでくれた、ってことでしょ? 私、……自分に自信がないから、その子が断れないの……何となくわかる」
俺はその言葉に、ふと光を見出した。
自分に自信がないから断らない。自己肯定のために付き合っていたなら、それは恋というより依存だ。承認欲求を満たすための手段だ。
恋愛だろうが依存だろうが、この際何でもいい。俺にも、藍田の不安を消す役割が果たせるのではないか。
今まで藍田が付き合った男を思い出したが、どいつもこれといった特長のない奴だった。俺より出世している奴も、俺より身長が高い奴も、俺よりモテる奴もいなかった。なら。
「…………藍田、俺のことモテる言うたよな?」
「うん。実際そうじゃん。忍足なら女の子選り取りみどりでしょ」
「そんなことあらへん。っちゅうか、俺は藍田から見ても……その、魅力あるように、見えるか?」
他の女子にどれだけモテても意味がない。
俺の内心を知ってか知らずか、藍田は席を近付けて俺の目を覗き込んだ。
「……っ!」
「…………忍足は、魅力的だよ。カッコいいし優しいし、頼りになるし仕事もできるし、……きっと好きな子とも上手くいくよ」
――だったら何で俺のこと意識してくれへんの?
これまで抑えていた感情が、決壊した。
藍田の頬を両手で包んで、半ば強引に唇を重ねた。
「…………っ!? おした、んぅ…………っ!」
ただでさえ仕事終わり、飲んで泣き明かした藍田はもう体力なんてないのだろう。抵抗、というより混乱したように胸を押されるが、俺は止めなかった。
甘い酒の残る咥内に舌を捩じ込んで、上顎や歯列をなぞる。縮こまっている小さな舌を絡め取ると、細い肩がぴくりと震えた。
「……っお、し、たり…………っ!」
カクテルの残り香も、吐息も、何か言いかけた声も、全部キスで飲み込んだ。
店の中とは言え深夜で端の席なら、誰も気にかけない。俺はその雰囲気を利用して、今までひたすら我慢してきた口づけに酔いしれた。いや、俺も酒が残っていたから、本気でそのキスに夢中になっていた。
彼女の唾液を嚥下し、ある程度満足して唇を離すと、華奢な身体が倒れ込んできた。
肩で息をしている藍田の濡れた唇を、人差し指で拭ってやる。
荒い息遣いを聞いてまた欲が膨らみかけたが、さすがにここは理性を呼び戻した。
「おした、り…………キス、上手すぎ…………」
「……おおきに」
落ち着かせるように藍田の背中を撫でながら、俺は苦笑した。
「…………俺、入社した頃から藍田が好きやった」
「……なんで、いま、それ言うの」
無理矢理にならないよう、そっと抱きしめる。
「男を見る目がない藍田を、もう泣かせたないからや」
藍田は俺の背に手を回し、首を何度も横に振る。
「やだ……やだよ……忍足とは付き合いたくないよ……! 半年で忍足にフラれたら、私、これから先誰に相談すればいいの……!?」
俺が振る前提の被害妄想に、もう動揺はしなかった。
「……俺と付き合いたくない理由、俺と離れるのが嫌や言うことで間違いあらへん?」
藍田は潤んだ目で頷く。
「相談できるの、忍足だけなんだよ……! 半年でさよならなんて、私耐えられないよ……!」
既に真っ赤な目から、新たな涙が零れ落ちていく。
俺はその涙を唇で拭って、濡れた頬に口づけた。
「…………俺の気持ち、半年じゃ変わらへん。誓う。ずっと藍田の相談に乗りながら、考えてたんや」
「……?」
ふわりと口づけて、藍田の目を覗き込む。
「半年経ったら、結婚しよ」
「……………………へ?」
俺はからから笑う。
「だってそうやろ? これで藍田の不安も消えるし、俺も藍田を他の男に取られる心配なくなるし」
「え…………ぇえ、……っええ!?」
藍田は真っ赤になった。
「藍田は俺のこと、嫌いなん? 他の男とは付き合えても、俺とは無理?」
「そ、そんなことない、けど! き、嫌いどころかどっちかって言うと好き、だけど、」
「じゃあ、ええやん。今は友達感覚でもそのうち俺で頭いっぱいにしたるし」
「!! そ、んな……自信満々によく言えるね!?」
「何年藍田の相談相手やってきたと思っとるんや」
眉を下げて熱くなった頬にグラスを当てる藍田が可愛くて、俺は募らせていた想いを吐き出してしまう。
「半年経ったら結婚してください、……あぁ、念書でも書いとこか」
「ぇえ!? ってほんとに書いてるし!」
「ついでに目標も書いとこ」
「も、目標?」
ノートに綴っていくのは、俺にできること。俺がしたいこと。俺がすべきこと。
「藍田を不安にさせへんこと。藍田の涙を拭いてやること。藍田を今までの男等の一億倍幸せにしたること」
「忍足、」
「藍田に俺を選んだことを後悔させへんこと。藍田に、」
「も、もういいから!!」
止められたことで近付く顔。もう涙を湛えていない瞳に、問いかけた。
「これ、全部守るから…………俺のものになってくれへん?」
「……っ」
触れるだけの口づけに、藍田は目を閉じ、涙声で返した。
「……忍足希々、って……語呂悪くないから、…………いいよ」
「……っ言質とったからな」
「…………うん」
小さくはにかんで、嬉しそうに繰り返す。
「………………うん、忍足なら、いいよ」
可愛すぎる反応に、場所なんて忘れてキスの雨を降らせたのは言うまでもない。
Fin.
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