彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*三十二話:太陽のような笑顔*
ここ数日希々は俺の傍を離れない。
親鳥を慕う雛鳥のように、何をするでもなく俺について回る。言いたいことがあるのかと尋ねても、そういうわけではないと言う。
今日も書斎で本を探している時、背後に気配を感じた俺は振り返らずに問いかけた。
「どうした?」
希々は相変わらず何も言わない。
まぁ好きにさせてやるかと思った矢先、遠慮がちにシャツの裾を摘む指先に内心悶えた。
「……せんぱい」
「何だ?」
「…………せんぱい」
「……?」
振り向こうとした俺を止めるように、希々は後ろからぎゅっとしがみついてきた。
「……どうした、希々」
「私…………先輩に相談して、いい……?」
「…………」
質問の意図を考える。俺の自惚れでなければ、希々はこれまで悩みを俺に相談してきた。改まって訊く意味がわからない。
怒ると思われているのか、嫌悪するとでも思われているのか、さしもの俺も想定外の反応に白旗をあげた。身体に回された細い腕を優しくぽんぽんと叩いてやる。
「……あのな、希々。ゆっくりでいいからお前の考えてること、不安なこと、言葉にして教えてくれ。じゃねぇとわからねぇ」
希々は腕に力を込めてぎゅうぎゅうと抱きついてくる。
「先輩…………私のこと、嫌いにならない……?」
「嫌いになんかならねぇ。……安心しろ、希々。俺は希々を怒らねぇし見捨てねぇし、嫌いにならねぇ。約束する。……だから落ち着け。な?」
希々は腕の力を弱めて、こくりと頷いた。
静かな書斎に二人きり。物理的な距離は既にゼロだが、今俺達は心の距離も近付こうとしている。
希々はぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「…………あの、ね。私……今まではお兄ちゃんのことが好きで、それを景ちゃん先輩に相談してたでしょ?」
「……あぁ」
「その時は……その、先輩のこと、……頼りになる本物のお兄ちゃんみたいに思ってたから、全部言えたの」
希々の声が困惑したように揺れる。
「だけど今は…………私、景ちゃん先輩のことも、好きになっちゃった……。……お兄ちゃんへの好きと、景ちゃん先輩への好きの違いを探してて、でも一人じゃ答えが出せなくて、……私、気付いちゃったの」
不意に希々の声が掠れた。
「私……相談できる人が、いないの」
「――――!」
俺は息を飲んだ。
一人で答えが出せないのなら、周りの意見を参考にするのが手っ取り早い。だが近親者との恋愛など赤の他人はおろか家族にさえ明かせない。
――そうか。お前は一人、ずっと抱え込んでいたんだな。誰かに頼ることもできず、暗闇の中で独り。
あの日俺に助けを求めたのも、一人で抱え込むには限界だったからだ。
「……恋愛相談は友達にするものだ、って一般論は知ってるよ? だけど私、話せる友達がいない……。一人で考えても、答えが出ない……」
希々は不安げに俺に縋り付く。
「ほんとは第三者の友達に相談すべきなんだと思うけど、できないから……。……景ちゃん先輩……先輩本人に恋愛相談することになっちゃうけど、私の相談…………聞いてくれる…………?」
俺は希々の腕を抜け出し、身体を反転させて彼女を抱きすくめた。
「せんぱ、」
「ばーか。……言ったろ? 俺はお前の味方だって」
可愛すぎるこの婚約者をどうしたものかと本気で考える。
希々は何も知らない。何もわからない。狭い鳥籠の中でもがいていたから、自分の美しさも知らない。無垢な白い羽根を俺の色に染めたいという欲求に駆られた。
とは言え俺は紳士だ。願望と対応はもちろん別である。
「……相談、乗ってやるよ。前にも言ったが、俺に遠慮はいらねぇ。希々は自分の気持ちとだけ正直に向き合え。間違っても俺に同情したりすんなよ」
「う、うん……!」
「まぁ……恋愛沙汰になってる当人同士で話し合うってのも斬新だが、悪かねぇ。何か見えるものがあるかもしれねぇしな」
「! ありがとう、景ちゃん先輩……!」
嬉しそうにはにかむ希々を見下ろして、柔らかな髪をそっと梳く。
「まずは……宍戸への好きは、どんな感覚なんだ? 前と変化はあったか?」
腕の中の希々は、俺の胸に頬を押し当てた。
「……お兄ちゃんのこと、好きだよ。ずっと好きで、……両思いだってわかって、もっと近付きたいって思った。でも……」
小さく震えて、擦り寄ってくる希々が愛しくて仕方ない。
「景ちゃん先輩、と、離れるのは嫌なの…………。お兄ちゃんに近付きたいけど、傍に居たいのは……景ちゃん先輩なの……」
「希々……」
「はじめてをくれ、ってお兄ちゃんに言われたけど、……嫌、とかじゃないけど、でも、私…………初めてキスしてくれた景ちゃん先輩のことが、頭から離れなくて…………」
わかんないよ、と希々は呟いた。
俺はその言葉に胸がいっぱいになった。
そんなに俺のことも思っていてもらえたなんて知らなかった。自分で思っていたよりずっと、俺は希々の中で大きな存在になれていた。
そのことが嬉しい。
思わず破顔して、華奢な身体を抱きしめる。
「……そうか。傍に居たいと思ってくれてるなら、それ以上のことはねぇ。……ありがとな、希々」
「どうして先輩がお礼を言うの?」
「、それは、」
一瞬躊躇った。だがもう希々に隠すことなど何もない。
「……俺はずっと希々が好きだった。お前を助ける手段は他にもあったはずなのに、無理矢理婚約者にしたんだ。そうすることで他の男から遠ざけた。……卑怯だろ?」
希々は首を横に振って俺を見上げた。
「助けてって言ったの、私だよ。お礼を言うのは私の方。お兄ちゃんとのことを気持ち悪がらずに聞いてくれて、傍に居てくれて、助けてくれて、……私にとって景ちゃん先輩はヒーローだよ」
「、希々……」
「大好きだよ、先輩。ひとりぼっちだった私の隣にいてくれて、抱きしめてくれて、うさこをくれて……っ、……っあ、愛してるをくれて…………っ、あり、がと……っ」
大きな瞳が潤んで俺を映す。
「あれ、……な、なんでだろ……悲しくないのに、嬉しいのに、……せ、先輩からもらったもの、思い出すと……っ、胸が、ぎゅって、痛い…………っ!!」
「……っ!」
少し塩っぱい唇を奪ったのは衝動だった。
「ん、」
角度を変えて何度も啄み、柔く吸う。珍しく余裕のないキスに、希々は吐息を漏らして俺にしがみついた。
「ふ、ぁ……っ」
抵抗するどころか受け入れてくれている、と伝わった。心が同調する。初めて唇の間から舌を差し入れても拒絶はなかった。
互いの咥内を探り合い、舌先を絡めてくすくすと笑う。
「せ、んぱ……」
「ふ……こういう時は黙ってるもんだろうが」
「……むーど、ってこと?」
「あぁ」
何故だろう。キスの最中の会話なんてムードがないにも程がある。なのに希々が笑うなら、それすら嬉しい。
「先輩、大好き!」
眦に滲む涙を口づけで拭う。その雫は外気に触れてなお、思いの外温かかった。
「……俺もだ」
希々は泣きながら笑った。太陽のような笑顔だった。