彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*三十話:知ってくれ*
景ちゃん先輩はそれから、以前にも増して私を大事に扱ってくれるようになった。硝子細工に触れるように、壊れ物に触れるように、私に触れる。
寝る前には必ず許可を取ってから、少しだけ長いキスをしてくれる。柔らかくて温かい感覚は言葉にならない“愛してる”のようで、その心地良さは知らず私を麻痺させていた。もう、おやすみのキスがないと落ち着かない。
先輩の腕の中で眠りに落ちる日々にも慣れてきた。心配なのは私が寝言を口走っていないかだけれど、先輩は笑って私の頭を撫でる。『可愛いぜ?』と言って。
決して無理矢理ではない口づけは、私の体温を上げると同時に少しずつ日常に侵食してきていた。
「……希々、キスしていいか?」
「うん……」
今日も先輩は、愛しさを隠そうとしない眼差しで問う。私は目を閉じて、重なる唇の温もりに身体を預ける。
先輩のキスは甘い砂糖菓子みたいだ。ふわふわしていて心も一緒に溶けていく。
「……?」
ふと先輩の匂いが濃くなった気がして目を開けると、抱きしめたままだったうさこが二人の間で押しつぶされていた。
思わずおかしくなって、小さく笑ってしまう。
「? どうした?」
「うさこが苦しいって」
景ちゃん先輩は恨みがましい目つきでうさこを見下ろした。
「……俺が取ってやったんだから、いい雰囲気を邪魔すんなよな……」
そんな先輩が可愛くて、私は先輩に抱きついた。
「景ちゃん先輩、大好き!」
先輩は抱き返してくれる。
「……俺もだ」
「……っ!」
その返答に、心臓がどくん、と音を立てた。
海での告白から変わったことがもう一つある。それは私が大好きだと伝える時の先輩からの返事だった。
以前は『知ってる』と言っていたのに、今は『俺もだ』と言う。慣れないその言葉に、何故か私はドキドキしてしまう。
「……せんぱい……」
綺麗なアイスブルーを覗き込むと、確かな熱が見えて困惑してしまった。
「、」
景ちゃん先輩は触れるだけのキスを一度落としてから、私に尋ねた。
「あれから宍戸とはどうなってるんだ? あいつとも会ってるんだろ?」
私は頷く。
「お兄ちゃんのサークルが休みの日……帰って来いって言われるの。外でデートとかはできないから、門限までお兄ちゃんの部屋にいるよ」
先輩の片眉がぴくりと動いた。
「あいつの部屋、ね……。……そこで何してるんだよ」
「それは、……っ!」
言葉にすることが躊躇われて、私は俯いた。景ちゃん先輩に嘘はつきたくない。でも、素直に告げて傷つけたくない。
お兄ちゃんのサークル活動がない日、私はお兄ちゃんに誘われる。
『何をしたいわけじゃねぇけど、希々と一緒に居たい』と言われて。
お母さんはお兄ちゃんと仲直りしたことを喜んでくれて、家に帰ると歓迎してくれる。お兄ちゃんは私を部屋に呼んで、学校であったことを話す。……それだけ、なら私が後ろめたく思う理由にはならない。
お兄ちゃんはあれから、私との距離がすごく近くなった。希々のしたいことは何でもしてやる、と言って微笑む。最初は離れていても、お兄ちゃんに甘やかされて抱きしめられて好きだと言われれば私の思考なんてすぐに融けてしまった。触れ合って、キスをして、日によっては大人のキスをした。
ダメだという理性を押し退けて、好きな人の妖艶な笑みに堕ちてしまう。私にはお兄ちゃんに望まれて拒絶するほどの強さはなかった。
「……あの、景ちゃん先輩…………、……私……………………」
声が出ない。
謝るのも違う気がするし、かといってありのままを伝える勇気はない。
私が内心葛藤を続けていると、突然ふわりと抱きしめられた。
「、先輩……?」
「……悪かった」
先輩は私の頭をぽんぽん、と撫でてくれる。
「そりゃあキスくらい、してるよな。……俺だけの特権、ってわけじゃねぇもんな……」
「……っ!」
景ちゃん先輩の声は私を責めていない。痛いくらいにわかった。
「……言いづらいこと聞いちまってごめんな。…………柄にもなく焦ってるのかもしれねぇ」
先輩は私の旋毛に軽く口づけた。
「……宍戸とはなんだかんだ言って長い付き合いだが、あんなに敵意剥き出しのあいつを見たのは初めてだった。希々もテニス部でのあいつと俺を見て来ただろ?」
「うん……」
お兄ちゃんは景ちゃん先輩のことを尊敬していた。頼れる部長だと言っていた。跡部には勝てる気がしないと笑っていた。
そんなお兄ちゃんが、景ちゃん先輩を怖い目で見ていた。敵視、と言うより仇を見るかのようなきつい視線を目の当たりにして、私でさえ戸惑ってしまったくらいだ。先輩も混乱したのだと思う。
「……希々のことは、あいつにとって特別な問題なんだろう。だが俺だってあいつに希々をやるつもりはねぇ。……だから希々。今は俺と宍戸の間で揺れて、知ってくれ。俺達のお前への想いを」
「先輩……」
どうしてこんなにも景ちゃん先輩は大人なんだろう。大学に通いながらテニスにも手を抜かず、財閥の仕事もこなして。なのにこんな私のちっぽけな悩みに真剣に向き合ってくれる。
私はもう一度、ぎゅっと先輩に抱きついた。
「先輩、……大好き」
「……俺もだ」
抱き返された手にはいつもより少し、力が込められていた。