彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*二十八話:綺麗な人*
お兄ちゃんとずっとくっついていた日曜の夕方、景ちゃん先輩が改めて迎えに来てくれた。宍戸家の前に高級車が停まる。
珍しく先輩自身が運転してきたらしい。両親に挨拶した景ちゃん先輩が私に微笑んだ。
「希々、ちゃんと話せたか?」
いつもと変わらない笑顔で私の頭に手を置いた先輩に、何故か胸が締め付けられた。甘えたい気持ちとは違う。ただ衝動的に抱きつきそうになってしまった。
抱きつきたい、なんて、お兄ちゃんにしか思ったことがないのに。
私は自身の混乱を隠すようにうさこを抱きしめて、こくりと頷いた。怒涛の2日間ずっと一緒にいてくれたうさこの存在は、私の中でくまごろうと同じくらい大きなものになっていた。
「じゃあ帰るぞ」
景ちゃん先輩に手を引かれて助手席に座る。お兄ちゃんは少し寂しそうだったけれど、「また連絡する!」と手を振ってくれた。
車が発進すると、お兄ちゃんが遠ざかる。私はギリギリまで手を振り返していた。
「ほら、危ねぇからシートベルトしろ」
「あ、……うん……」
私は前を向いてシートベルトをしめながら、恐る恐る先輩の表情を窺った。
昨日初めて聞いた先輩の怒鳴り声が耳から離れない。私は跡部邸に戻ったら何を言われるのだろう。
両親の手前今は優しくしてくれているけれど、実は怒っているのだろうか。お兄ちゃんとも話したい、などと言った私に呆れているのだろうか。
お兄ちゃんと話せて良かった。それは本心だ。しかし先輩と離れていた寂しさが、先輩の顔を見たら溢れてきてしまった。
「……っ」
私は抱きしめたうさこに顔を埋める。うさこにはほんのり景ちゃん先輩の薔薇の匂いが残っていて、何だか切なくなった。
……景ちゃん先輩に、嫌われたくない。
お兄ちゃんと両思いで幸せなはずなのに、先輩に拒絶されるかと思うと泣きたくなる。
私はお兄ちゃんが好きなはず、なのに、景ちゃん先輩のことも好きになってしまっていた。二人への“好き”は少しだけ違う。けれどどちらが本当の“好き”なのかは私にもわからない。
こんな私、やっぱり許されない。
「……っ」
涙が滲みそうになった時、景ちゃん先輩が口を開いた。
「家に帰る前に、ちょっと寄り道してもいいか?」
「……、うん……」
小さく答えると、苦笑が返された。
「んな泣きそうな声出すな。俺ともちゃんと話してくれるんだろ?」
「……!」
私は景ちゃん先輩の整った横顔を見つめた。
「ちょうどこの辺に、見せたい景色があるんだ。今日は天気もいいし時間帯もちょうどいい。きっと希々も嫌いじゃねぇと思う」
「……っ行きたい!」
「なら付き合ってくれ」
ふっ、と笑った先輩が夕陽に照らされる。その美しさはまるで映画のワンシーンを観ているようだった。
日光を受けて金色に透ける髪や睫毛は、神話に出てくる天使と見紛う。すっと通った鼻筋もきめ細やかな肌も、テレビで見るアイドルや俳優さんよりずっと綺麗だ。
思えば最初からそうだった。景ちゃん先輩は私の知っている誰より、“綺麗”という言葉が似合う。
やがて先輩は私の知らない道に入った。見たことのない風景がしばし続く。
だんだんと人が少なくなっていく。
それから約30分ほどで目の前に広がった光景に、私は思わず感嘆の声を上げていた。
「わぁ……っ!! すごい……!!」
「だろ? ……希々に見せたかった」
そこは海だった。さざ波が夕陽を反射して光の畝を作る。
「降りていい!?」
興奮を隠し切れない私に笑って、先輩は頷いた。
車を降りて、ミュールを脱ぎ捨て砂浜へ走る。
ザザーン……、
ザザーン…………、
「綺麗…………」
神秘的な夕焼けの海に、私は言葉を失った。
足下に寄せては引いていく波が橙色に光っている。光の粒が私の周りで跳ねる。
「…………」
大自然を目の前にすると、自分の悩みが小さなものに思える。
私はいつの間にか隣に来ていた景ちゃん先輩を見上げた。
「……やっぱり景ちゃん先輩はすごいね」
私の混乱を知って、こんな風に落ち着かせてくれる。何を言うでもなく何をするでもなく、穏やかに包み込んでくれる。
「道理でモテモテなわけだよね」
隣にいる人が凄すぎて、もう苦笑するしかなかった。
波の音が大きく響く中、先輩も海を見つめて唇を開いた。
「……俺の気持ちは変わらねぇ。希々が好きだ。愛してる」
「…………うん」
「…………だが、お前の気持ちは……変わっちまったんだろ?」
「………………、」
私は深呼吸して海を見つめた。先輩は穏やかに尋ねる。
「お前は最初、宍戸への気持ちを忘れるために俺のところへ来た。今は……どう思ってる? 今の希々は、宍戸とどうなりたい?」
「…………」
私は私の心に問いかける。どうしたいのかを。
私は先輩に嘘をつきたくない。上手くまとめられなくても、知りたいと言ってくれる先輩に少しでも伝えたい。
きっと人の気持ちってそんなに簡単に割り切れるものじゃないんだと思う。正しさも優先度も人によって違う。
私は景ちゃん先輩に誠実で在りたい。ずっと私に誠実でいてくれた先輩に、同じものを返したい。だったらどんなに中途半端な気持ちでも、ありのままの思いを伝えるべきだと思うから。
私は心を決めて、沈んでいく太陽を見ながら口を開いた。
「…………あのね――――――……」