彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*一話:景ちゃん先輩*
景ちゃん先輩に初めて会ったのは、中学1年生の時。
お兄ちゃんの部活に興味津々だった私は、部室に連れて行ってもらった。できればマネージャーになりたい。駄目でも、お兄ちゃんをレギュラーに戻してくれた先輩にお礼だけは言いたかった。いつも派手なパフォーマンスばかりしている部長さんだけれど、お兄ちゃんが感謝する相手なら私も感謝すべき相手だ。
部外者が立ち入るんじゃねぇ、とか怒られたらどうしよう。と、若干不安だった私にお兄ちゃんは笑った。
『跡部は案外いい奴だぜ』
お兄ちゃんの言う通りだった。
『あーん? 宍戸の妹?』
『おう! マネージャー志望らしい』
『……お前、名前は?』
『宍戸希々です! いつもお兄ちゃんがお世話になってます。よろしくお願いします!』
思えば景ちゃん先輩は、出逢った頃から私の気持ちに薄々勘づいていたのかもしれない。いやに鋭い視線が突き刺さり、何度も冷や汗をかいたのを覚えている。
でも先輩は、何も言わず私をマネージャーにしてくれた。何もかも未経験の私にいろいろ教えてくれた。侑士先輩やガックン先輩も手伝ってくれたし、チョタ先輩はすごく優しくフォローしてくれた。日吉先輩もさり気なく私を気にかけてくれた。
私は必死にマネージャー業務をメモし、覚え、約半年かけてようやく一人前になった。女子のマネージャーが入ると虐めの対象になるという噂もあったが、私はお兄ちゃんの妹だからか、特に何かされることはなかった。
……本当は、私は嫌がらせをされても文句が言えないのに。
だってマネージャーになったのは、お兄ちゃんと少しでも長く一緒にいるため、だったから。
チョタ先輩とダブルスを組んでハイタッチする姿。
帽子からは短い髪がちくちく見える。
爽やかな笑顔が胸をぎゅうぎゅう締め付ける。
……お兄ちゃん。
……お兄ちゃんが、好き。
好き、大好き。
優しくて格好良くて私を大事にしてくれるお兄ちゃんが、誰よりも大好き。
私はお兄ちゃんになら何をされてもいい。本気でそう思っている。乱暴されても抱かれても欲望の捌け口にされても。
でもお兄ちゃんは、そんなことしない。
当たり前だ。
お兄ちゃんは、優しいから。
普通だから。
私を大切にしてくれているから。
……お兄ちゃん。
「……亮」
そっと口にして、でも決して呼ぶことはできない名前に切なさが込み上げた。
***
部屋がノックされて、私はぴょんと立ち上がった。
相手が誰かを確認する前に勢いよくドアを開け、目の前の人に抱きつく。
「景ちゃん先輩っ!」
「おま、……せめて誰か確認しろ」
「だってこの時間に来てくれるの、景ちゃん先輩だけだもん」
景ちゃん先輩はため息をつきながら、私の頭を撫でてくれた。
「……で、どれだよ。わからねぇ宿題」
「英語ー! もう全然わかんない!」
あっけらかんと笑う私をくっつけたまま先輩は部屋に鍵をかけ、勉強机まで引きずって行ってくれる。
「ほら、椅子に座れ」
「はーい」
課題を広げれば、後ろから景ちゃん先輩が顔を出してアルファベットを追う。
睫毛が長い。綺麗な瞳。肌なんて陶磁器みたいにすべすべだ。
それに、いい匂い。
お兄ちゃんからはおひさまの匂いがするけれど、景ちゃん先輩からは薔薇の匂いがする。
「これを訳せばいいのか?」
「うん。単語は全部辞書で調べたんだけど、どれも難しくて文として上手く訳せないの」
先輩の口から流暢な英語が流れ、その後訳し方がついてくる。しっかりメモをとり終え、私はその端正な横顔を見つめた。
「と、こんな感じで…………どうした?」
「景ちゃん先輩の横顔を見つめてる」
「そうか。……面白いか?」
「うん。お人形さんみたい」
半眼で髪をくしゃりと掴まれた。
「男に人形はねぇだろ」
私も景ちゃん先輩の頬をむにっと摘む。
「だってそう思ったんだもん」
先輩はそのまま私の頭をぐしゃぐしゃに撫でて、「早く風呂入れ」と言う。
されるがままに撫でられて、その心地良さに目を閉じた。
私は今、景ちゃん先輩の家にお世話になっている。助けを求めた私の手を振り払うことなく、先輩は引っ張り上げてくれた。
私と景ちゃん先輩は、結婚を前提にした恋人、ということになっている。
私はお兄ちゃんと四六時中一つ屋根の下、という環境から逃げたかった。景ちゃん先輩は女避けだと言ってそんな私を受け入れてくれた。確かに先輩は女の子たちからの熱烈アプローチにげっそりしていたから、私は疑うことなく彼の誘いに乗った。
私たち二人だけしか知らない、嘘の恋人。
お互いの両親に挨拶を済ませているため、私はこの家に置いてもらえている。どうして景ちゃん先輩はこんなに優しくしてくれるんだろうという疑問が、ふと頭を掠めて消えた。
優しすぎる先輩。大好きな先輩。
「景ちゃん先輩、大好き!」
「……知ってる。だからさっさと風呂入れ。湯冷めするぞ」
「……なんだか景ちゃん先輩、お兄ちゃんみたい」
「俺はお前みたいに面倒な妹はいらねぇ」
「ひどい!」
本当に、景ちゃん先輩がお兄ちゃんだったらよかったのに。
……お兄ちゃんが、先輩だったらよかったのに。
私は曇った表情を隠すように景ちゃん先輩に抱きついた。