彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*二十六話:死んでも譲る気はねぇ*
希々の両親はリビングにいる。俺は希々の忘れ物を届けに来たと言って彼女の部屋に向かった。何とか平静を装い、最低限失礼のないよう対応した自分を褒めてやりたい。
しかし不用心にも開いたドアから見えた光景は、俺の視界を真っ赤に染めた。何よりも見たくなかった光景。
「……っ宍戸…………っ!!」
俺が刃物を所持していなくて良かった。そう思う程度には頭に血が上っていた。生まれて初めて誰かに殺意を抱いた。
「俺の婚約者に何してやがる!!」
相手が希々の兄だとかそんなことはどうだってよかった。目の前にいるのは、ただの厄介な敵だ。恋敵なんて生やさしいものじゃない。
散々希々を振り回し、その癖ずっと希々の心の真ん中に居座り、挙げ句自分勝手に希々を横取りしようとしている敵だ。
俺は希々の部屋に足を踏み入れ、手を伸ばした。
すると宍戸は自分の背に希々を庇った。まるで悪者から姫を守る騎士のように。
「っ!」
俺が悪役なのか?
俺が邪魔者なのか?
教えてくれよ、希々……!
「え……? 景ちゃん先、輩……?」
困惑したように俺を見る希々にもう一度手を伸ばす。
「……希々、帰るぞ」
希々は混乱の中、言われるまま俺の手を取ろうとした。が、途中で宍戸が彼女の細い腕を掴んだ。
「希々、まだ帰らないでくれ」
「お兄、ちゃ……ん」
「想いが通じ合ってんなら…………邪魔なのは跡部だよな?」
「……っ!」
希々は俺と宍戸の顔を見比べ、悲しそうに眉を下げる。
「…………景ちゃん先輩のこと、邪魔なんて言わないで…………」
「希々。こんな時間に人ん家まで押し掛けてくる非常識な奴、庇う必要なんかねぇよ」
希々は宍戸に向けて首を横に振った。
「お兄ちゃんが電話を切ったから……きっと心配して来てくれたんだよ、先輩」
「……へぇ? “跡部の方は”、希々のことが本気で好きなんだな」
明らかに含みのある言い方に、俺もカチンときた。この緊迫した状況では余裕など微塵もない。
「……おい、いい加減希々を離せ。希々は俺の婚約者だ。気安く触んな」
宍戸は真っ向から俺に刺々しい視線をぶつけてくる。
「希々は跡部の婚約者の前に俺の妹だ。生まれた時からな」
「ふざけんな。希々を1年も放ったらかしてきた癖によくもこういう時だけ兄貴面できるな。どれだけ面の皮が厚いんだ?」
「その1年をこれから埋めるんだよ。……あぁ、折角だから希々に聞いてみるか。俺と跡部、どっちと一緒に居たいのか」
宍戸は敵意に満ちた眼差しで俺を睨み、すぐにどろどろに甘い顔を希々へ向けた。
「希々。さっき俺のことを好きって言ってくれたのもキスが嬉しいって言ってくれたのも……嘘じゃねぇよな?」
希々は掴まれたままの腕を見て、小さく頷く。
「俺はどうしてお前が跡部と婚約することになったのか聞きてぇし、もっとお前と一緒に居たい。……もっとお前を抱きしめたい」
「、お兄、ちゃ……」
「俺のこと、ずっと好きでいてくれたんだろ? 俺も希々が好きだ。愛してる。……だから跡部を好きな振りなんてもうしなくていいんだ」
希々は俺の方に視線を寄越した後、静かに宍戸を見上げた。
「……違うよ、お兄ちゃん。私、景ちゃん先輩のこと……ちゃんと好きだよ」
希々は泣きそうな顔で俺を見やる。
「景ちゃん先輩…………心配してくれてありがとう。だけど……ねぇ、私、どうしたらいいの……? ごめんなさい……。……絶対言わないって思ってたのに、お兄ちゃんに好きって言われたら私……自分の気持ち、お兄ちゃんに言っちゃった……」
好きな相手に好きだと言われて、自分の気持ちを殺せるわけがない。俺に希々を責める気はない。俺が怒りを感じているのは、あまりに身勝手な宍戸に対してだ。
憤りを押し殺し、できる限り穏やかに希々へと切り出す。
「希々。……帰って、話そう。俺も考えるから」
「え…………? 考える、って…………もう婚約者として私は、要らないってこと……?」
「違う! とにかく一度帰って、」
釈明しようとしても、宍戸が俺の台詞に被せるように声を発する。
「希々、こっち来いよ。俺はお前が要らなくなることなんて有り得ねぇ。これまでもこれからもずっと。だから安心して戻って来い」
「……っお兄ちゃ、」
「な? ……もう一度お前を抱きしめたい。こっち、来いよ」
希々は俺と宍戸の間で板挟みになっている。俺はありったけの想いを込めて希々の目を見つめ返した。視線が絡み合う。
「希々、思い出せ。どうしてお前は俺に助けを求めた?」
「そ、れは…………」
「俺は全部知ってる。知った上でお前を婚約者にしたし、知った上でお前を愛してる。要らなくなるなんてあるわけねぇだろ。……それ以上妙なこと吹き込まれる前に、一旦戻って来い」
ゆらり、アメジストが揺れる。
希々の立場はさぞや複雑だろう。長年叶わないと思っていた恋が成就した。とは言え皆に祝福されるものでも公言できるものでもない。素直に喜んでいいのかすらわからないに違いない。
さらに今の希々の心には宍戸だけでなく俺もいると言う。一気に流れ込んだ情報量が多すぎて、希々でなくても頭が回らなくなることは想像にかたくない。
――本心では、できることなら今すぐにでも連れ戻したい。もう二度と宍戸に会わせたくない。
しかし無理矢理引き離せば、逆に二人の恋を燃え上がらせてしまう可能性があった。障害があると恋は燃えるという通説があるくらいだ。楽観視は絶対にしない。
俺は確実に間違いのない手を打つ。そのために頭を回せ。必要なピースを見つけ出せ。
「……」
俺は婚約を解消するつもりはないし、偽の婚約だと知っているのは俺と希々だけ。いずれ本物の婚約者にするつもりだった。
希々が宍戸への想いに蹴りをつけて、俺だけを見てくれた時に動き出すはずだった計画は変更を余儀なくされた。
ただし一つだけ、昔から変わらないものがある。
それは俺が、希々に幸せになってほしいという思いだった。
世間から隠れるようにして兄妹二人生きていくことは可能だろう。希々が望むのならそれも幸せなのかもしれない。
だが俺には自信があった。
希々の悩みを聞き続け、キスを許されるようになった俺にも、彼女の心は傾いている。なら、その心を完全にこちらに向ければいいのだ。
本気で俺を好きになってもらえれば、俺自身が希々を幸せにしてやれる。俺は希々を宍戸に幸せにしてもらいたいんじゃない。希々を自分の手で幸せにしてやりたいんだ。
――その未来を築くためにはどう動くのが最適か。
俺は軽く息を吐いて、希々に微笑みかけた。
「……まさかこんな展開になるなんて、想像してなかったよな。一番戸惑ってるのは希々自身だと思う。……だから、俺に遠慮する必要はねぇ。希々がどうしたいのか、素直な気持ちを教えてくれ」
「景ちゃん、先輩…………」
希々は縋るように俺を見上げた。
思った通り、希々が欲していたのは自分に寄り添ってくれる存在だった。
上等だ。俺は唯一の存在になってみせる。たとえどれだけ耐え忍ぶことになっても。
希々は躊躇いがちに口を開いた。
「ごめんなさ、い…………。私、ほんとにまだ混乱してて、上手く言えないけど…………でも、……ちゃんと話したいの。お兄ちゃんとも、景ちゃん先輩とも」
宍戸は希々の腕を離し、目を細めた。
「……俺も跡部と同じだぜ、希々。お前のしたいようにしてくれ。……希々はどうしたい?」
希々は俺と宍戸を何度か見比べ、ぐっと拳を握った。それから俺をおずおずと見上げる。
「景ちゃん先輩……心配して来てくれたのにごめんなさい。でも私、……明日はお兄ちゃんと話してもいいかな…………?」
俺は痛む胸の隅に蓋をして頷いた。
「気が済むまで話して来い」
「ありがとう……!」
と、希々が俺の方へと歩み寄り、きゅっと抱きしめてきた。
「希々?」
「ちゃんと、戻るから」
「!」
大きな瞳が俺を覗き込む。
「今は頭がぐちゃぐちゃだけど、私が景ちゃん先輩のこと大好きなのは変わらないよ。ちゃんと戻るよ。……だから一日だけ待ってて」
「…………あぁ、わかった」
俺はその言葉を脳髄に刻んだ。
確かにこれだけ拗れた関係なら、しっかり当事者間で話し合うべきだ。俺とてお情けで選ばれても嬉しくない。長期戦も望むところだ。
「……また明日な、希々。俺は帰るが、何か嫌なことや怖いことをされそうになったら、深夜でも遠慮せず連絡して来いよ?」
「……っうん! 景ちゃん先輩、優しい!」
少し顔色が戻った希々は笑って俺に抱きついた。俺達の信頼関係は一朝一夕のものではないのだから当然だ。
「……宍戸。俺は死んでも譲る気はねぇからな。精々悔いのないよう二人の時間を楽しんでおけ」
宍戸はどこか悔しそうに顔を歪め、俺に抱きつく希々の手を引いた。
「……希々、俺の部屋で話そうぜ」
「……うん」
宍戸に連れられて隣室に入る希々を見送る。部屋に入る直前、希々は俺に小さく手を振ってくれた。それが“大丈夫”という合図に感じられて、少しだけ心が軽くなった気がした。