彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*二十一話:めくるめく二日の始まり*
「ただいまー!」
待ち侘びた声に、俺は駆け出していた。
「希々っ!」
「お兄ちゃん、ただいま!」
「……っ!」
愛しすぎて言葉にならない。久しぶりの希々。その声も笑みも変わらない。
玄関先で俺は、夢中でその小さな身体を掻き抱いた。
「お兄ちゃ、く、るし、」
「っ! ご、ごめんな」
俺が力を緩めると、希々は笑った。腕の間から太陽みたいな笑顔が覗く。
「変なお兄ちゃん! お兄ちゃんも寂しかったの?」
俺は熱いものが込み上げるのを堪えて苦笑した。
「……っあぁ、寂しかった」
もう一度妹を抱きしめ直そうとしたその時、俺の目に見慣れないぬいぐるみが映った。希々が好きなうさぎのキャラクターのぬいぐるみだ。よく見れば希々はそのぬいぐるみしか持っていなかった。
「……そのぬいぐるみ、どうしたんだ?」
希々はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてはにかんだ。
「景ちゃん先輩が取ってくれたの! うさこって言うんだよ」
「……そ、うか。……良かったな」
「うん!」
ざわ、
胸の奥がひび割れる。
「くまごろうはどうしたんだ?」
「くまごろうはお留守番! 持ってくるにはちょっと大きいし」
ざわ、
胸の奥がざらつく。
「……跡部の代わりを持って来るほど跡部が好きなのか?」
「え……っ?」
うさぎを投げ捨てたい衝動を抑え、希々の頬に触れた。昔から俺が触れるだけで熱くなる滑らかな頬。今日もそれは変わらない。希々は僅かに頬を染め、俺から目を逸らした。
「そ、そう! 大好きな先輩だよ」
「くまごろうも俺も…………もう、要らねぇのか?」
瞬間、希々はばっと顔を上げた。必死な瞳が俺を映す。
「そんなこと……っ!!」
希々が言いかけて躊躇いがちに俯き始める。声もだんだんと元気がなくなってきた。
「……そんなこと、ないよ……。だって…………景ちゃん先輩はいないから、代わりにうさこを持ってきたけど…………お兄ちゃんは、ここにいるから……」
希々は胸のうさぎを強く抱きしめる。これは希々が不安になった時の癖だ。俺は何でも知っている。希々のことなら生まれた時から見てきた。
今希々が欲しいのは“俺の許し”だ。
「…………そっか。そんな顔すんなよ。怒ってねぇから」
俺はうさぎごと希々を抱きすくめた。
「確かに今日と明日は俺が目一杯甘やかしてやるから、くまごろうはいらねぇな」
「お兄ちゃ、ん……」
優しく優しく髪を撫でてやる。次第に希々は微笑みを取り戻し、俺に擦り寄ってきた。
「お兄ちゃん、ケンカした時言ったこと、全部嘘なの。ほんとはお兄ちゃんのこと、ずっとずっと……大好きだよ」
俺は精一杯の愛情を込めて妹の頭を撫で、そっと腕に力を込めた。
「俺もだ。……あの時はごめんな。俺も希々のこと……大好きだ」
「お兄ちゃん……」
たった1年しか離れていなかったのだ。すぐに希々は今までの希々へと戻った。ひまわりのような笑顔が俺だけに向けられる。心がひどく満たされた。
「お前の部屋、電話でも言った通りあの日のままだぜ。俺の部屋も全然変わってねぇし」
「お兄ちゃんの部屋、行きたい! カーテン青のまま?」
希々は俺の手を引いて部屋へと歩き出した。いつもの行動。いつもの希々。
「あぁ。マジで何も変わってねぇよ」
「えー? そんなこと言って、彼女さんからのプレゼントとかあるんでしょー」
「……全部捨てた」
希々の足が止まった。
「え……?」
俺も立ち止まって、希々の目を見据える。
「別れた時に、全部捨てた」
「お兄ちゃん……ほんとに、彼女さんと別れちゃったの……?」
頷き、今度は俺が希々の手を引いて歩き出す。
「言ったろ? 俺にとって一番大事なのは彼女じゃなくて希々なんだ。愛してやれねぇなら解放してやるべきだろ」
「、……でも」
「希々は、気にしなくていい。お前には何の責任もない」
どことなく不安げな希々の足取りは重い。それをわかって俺は希々を部屋に入れた。
――バタン、
ドアが閉まる音がやけに響く。
希々はうさぎを抱きしめたまま辺りを見渡した。
「ほんとだ。お兄ちゃんの部屋、変わってない」
「だろ?」
さり気なくベッドに誘導し、いつものポジションに腰掛ける。
「……お前が来るといつも俺はこっちの隅に追いやられて、くまごろうと一緒に抱きつかれてたよな。――こんな風に」
今日は俺から手を伸ばし、希々を引き寄せた。
「っ! お兄ちゃ、」
希々の身体が強ばった。その手からうさぎを取り上げ、互いの隙間を埋めるようきつく抱きしめる。
「……俺に触れられるのは、嫌か?」
「そんなことっ! ……ない、よ……」
「じゃあ、ちょっとは許してくれよ。俺だって希々がいない1年、寂しかったんだ」
俺はあの日、妹に手を伸ばすことを躊躇わないと決めた。
希々を手に入れるためなら罪悪感さえ利用する。
さぁ、めくるめく二日の始まりだ。