彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*十九話:先輩は知らない*
あのファーストキスの日から、景ちゃん先輩が態度を変えることはなかった。相変わらず私を甘やかしてくれて、抱きついても怒らない。今までと同じ穏やかな日々が流れていた。
今日も気付いたら先輩は、寝室で昼寝していた私を抱きしめてくれていた。一緒に眠るわけではない。景ちゃん先輩は意識があるまま傍にいてくれる。きっと私がお兄ちゃんの夢を見て泣いてしまった時、すぐ起こせるようにだと思う。
「ふわぁ…………。おはよう……けいちゃんせんぱい……」
ぼんやり目が覚めた私の鼻腔を、景ちゃん先輩のいい匂いがふわりと擽る。慣れ親しんだクラシックローズの香りに、思わずくすくす笑ってしまった。
「何笑ってやがる」
「うぅん。けいちゃんせんぱい、やさしいなぁって。あと、いい匂いするなぁって」
「今更だな」
「ふふ。……うん」
今日は先輩の笑みも柔らかくて、声音も優しい。私は相談するなら今がいいのではないかと思った。
先輩の胸に頭を押し付けてゆっくり深呼吸する。先輩は私の髪をそっと撫でてくれている。
温かい腕の中、私は思い切って景ちゃん先輩の整った顔を見上げた。
「……ねぇ、景ちゃん先輩。私、お盆休みに何日か実家に帰ってもいい?」
先輩の手が止まった。
「…………何でだ?」
「お母さんとお父さんが寂しがってるから、ちょっとだけでも顔見せに帰って来いって、お兄ちゃんが……」
「……あいつの差し金かよ」
嫌そうに目を細める景ちゃん先輩に、私は慌てて説明を付け足す。
「違うの! お兄ちゃんの言葉はきっかけに過ぎなくて、……私自身自分のことしか考えられずに無理矢理出てきちゃったから、……ちゃんと良くしてもらってるよって、お父さんとお母さんに伝えたいの」
「…………」
景ちゃん先輩はどこか寂しそうに私を見つめる。
「……俺と離れるのは寂しくねぇのか?」
「……っ!」
先輩といる毎日は本当に温かくて心地良い。いつも隣で眠る先輩がいないのに、寂しくないなんてことあるわけない。
「……っ寂しいに決まってるよ……! だから行くとしてもほんとに2、3日にしようと思ってて……」
どこかで思っていた。景ちゃん先輩にとっても、私のお守りがなくなれば負担が減るのではないかと。でも先輩の顔を見れば違うとわかる。先輩は何の役にも立たない私を本気で必要としてくれていた。
伝えたい。景ちゃん先輩に、大好きとありがとうを。
「先輩、聞いて?」
私は身体を起こした。私の意を汲んでくれたのか、一緒に半身を起こしてくれた先輩のアイスブルーを真っ直ぐ見据える。
「先輩。私、先輩にすごく支えられてる。先輩にいっぱいありがとうって伝えたい。言葉にならないくらい、たくさんありがとうって。大好きだよって」
景ちゃん先輩は黙って私の話を聞いてくれている。私は募る思いを少しずつ言葉にする。
「先輩が好きって言ってくれてから…………私、お兄ちゃんのことで泣かなくなったの知ってる……?」
きっと先輩は知らない。先輩がいなくて寂しい時、私がうさこを抱きしめていること。
「お兄ちゃんからの電話があっても、泣いたり取り乱したりしなくなったよ。少しずつだけど、普通の兄妹になれてる気がするの」
きっと先輩は知らない。先輩に抱きつくたびに安心するだけじゃなくドキドキもするようになったこと。
「今までは心の中がお兄ちゃんでいっぱいだったけど、今は景ちゃん先輩もなの。私の中……お兄ちゃんだけじゃなくて景ちゃん先輩でもいっぱいなの」
きっと先輩は知らない。初めてもらった“愛してる”が、私の心の一番奥に響いたこと。
「……土日だけ、帰るよ。お兄ちゃんへの気持ちにさよならしてくる。…………私は…………景ちゃん先輩のことを、もっと考えたい。だから、行かせて……?」
「……ったく…………お前って奴は……」
景ちゃん先輩は少し照れたように笑った。私の髪をくしゃくしゃに撫でて、ぎゅっと抱きしめる。
「……あのな、好きな女にそんなこと言われたら男は期待しちまうんだよ」
私も先輩の背中に手を回して抱き返す。
「言ったでしょ? 私が初めてお兄ちゃんじゃない人を好きになるなら、きっと景ちゃん先輩だって」
景ちゃん先輩は私を離すと、真剣な目で言った。
「宍戸に何かされてもぐらつくなよ?」
私は頷く。
「ちゃんと帰って来いよ?」
「うん」
「あいつへの気持ちに蹴りがついたら……俺のことだけ考えろよ?」
私はくすりと笑って頷いた。
「うん!」
先輩はちらりとうさこを見た。
「……希々がいない間、うさこ借りていいか?」
私はぶんぶん首を横に振る。
「駄目! うさこは私が家に持って行くの。景ちゃん先輩いなくて寂しい時、ぎゅってするんだもん」
「……っ!」
この後何故か景ちゃん先輩にくすぐられた。先輩の顔が赤かったのは気のせいだろうか。兎にも角にも、こうして私の一時帰省が決まったのだった。