彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*十八話:初めての失恋*
俺は希々のことをただの妹と思わなければいけない。そうなれるよう努力しなければならない。
頭では理解していた。
俺は今まで自分のことを恋愛には淡白な人間だと思っていたし、理性的だと自負していた。いつかは希々と跡部の結婚を喜んでやれると本気で思っていた。
この時までは。
『せんぱい、お兄ちゃんが、――――ん……っ』
『――切っていいよな? 希々』
故意に聞かされた、希々と跡部のキス。
跡部は俺に宣戦布告しているのだ。希々は渡さない、と。
「……っふざけんな……っ!」
切られたスマホを握り締め、立ち尽くす。
腸が煮えくり返った。希々はお前のもんじゃねぇ。俺の妹だ。俺の希々だ。
昔から同学年の女子を見て、可愛いなとか性格が良さそうだなと思うことはあったが恋に落ちたことはなかった。どんな女子よりも可愛い、甘えん坊な妹がいたからだ。全身で俺を好きだと伝えてくるその笑顔より魅力的なものなど存在しなかった。
「……希々…………っ」
今わかった。
希々が俺の初恋だった。今もなお続く初恋。
気付くまでがあまりに遅すぎた。鈍い自分を殴りたいが、まだ終わりではない。微かな希望がある。
希々は俺のことを嫌いではないと言った。くまごろうを持っていた。
それなら今度は、会える機会を作ろう。少しずつ二人の時間を増やすんだ。希々を怖がらせず、跡部に警戒させず、違和感のない流れで帰宅を促す。夏休みに入るから両親に顔を見せに帰って来い、とでも言ってみるか。
「…………」
そこまで考えて、ふっと息を吐いた。
……さくら。
俺は自分の気持ちを自覚してしまった。
誰も好きではない状況で付き合うのと、別の想い人がいる状態で付き合うのとでは話が全く違う。
これ以上さくらを傷付けるわけにはいかない。ファーストキスをなかったことにはできなくとも、今別れれば彼女の傷は浅くて済むかもしれない。殴られる覚悟はできている。
俺はさくらにLINEを送った。話があるから明日会いたい、と。さくらからはわかりました、と返事があった。いつもと違って絵文字のない文面だった。
***
「初めて……好きな奴ができた。別れてほしい」
単刀直入にそう切り出した。
「俺を殴っていい。許さなくていい。……本当にごめん」
さくらはしばらく無言だった。頭を下げ続ける俺は内心罪悪感でいっぱいだった。何と言われても何をされても仕方ない。
やがてさくらは静かに口を開いた。
「……亮先輩、頭を上げてください」
頬を叩かれるつもりで顔を上げると、さくらはどこか寂しそうに微笑んでいた。
「好きな人を殴るなんて、私にはできません。本当は私……わかってました。亮先輩が私のこと何とも思ってないって」
「さくら、」
「亮先輩は何も悪くないです。そもそも告白を受けてくれた時、『俺には恋愛とかよくわからないけど、それでよければ付き合おう』って言われてたんですから。……それでも、付き合っていたらいつか私を好きになってもらえるかもしれないって、私が勝手に期待してただけです」
さくらは髪を耳にかけて苦笑した。
「名前で呼んでもらえて、一緒に過ごしてもらえて、ファーストキスまでしてもらえて、私、幸せ、です」
「……っ」
「い、いっしょに……デートしてもらえて、わらってもらえて、……っしあわせ、です……っ」
さくらの瞳から涙が零れた。手を伸ばしかけて、俺にその資格はもうないのだと思いとどまる。
「わたし、みりょくなくて……っごめん、なさい……!」
「違う!! そんなこと、」
「りょう、せんぱい、すきなひとってだれなんですか……っ」
「――――」
声が出てこなかった。
「せんぱいに、れんあい、を……っおしえたのは、だれ、なんですか……っ?」
「それ、は……」
言ってしまおうか。俺が妹を好きになるような頭のおかしい男だとわかれば、幻滅してもらえるかもしれない。本来なら俺がフラれるべきなのだ。打ち明けることにリスクが伴うのは承知の上だが、ここで適当な人間の名前を出すこともできない。
しかし一度口にすれば最後、俺は希々を私欲のためだけに巻き込み、偏見に晒すことになる。それだけは駄目だ。俺は希々を取り戻したいが、それ以上に希々の笑顔を隣で見ていたいんだ。
俺は、どうすればいい。
「、」
――――もし希々なら。
そう考えた。すると答えは不思議なほどすっと出た。
きっとあいつは、全部言うんだろう。真っ直ぐ相手の目を見て、言える範囲で言えることを。嘘のない透明な眼差しで。
「……悪ぃ。言えねぇ、んだ。俺の片想いだし、……そもそも俺が好きになっちゃいけねぇ相手、なんだ」
「え……?」
正解などわからない。それでも俺は一つ心に決めた。
もう、不誠実な態度はとらない。
さくらに対しても跡部に対しても、希々に対しても。
「俺は報われねぇ。きっと一生片想いのままだ。……でも、誰より好きで誰より大事なんだって気付いちまったから……」
好きな相手を作ろうとしてみたが無理だった。誰も特別に思えなかった。
俺には希々しか愛せない。気になる相手ができるのは、希々の影を追い求めているからだとわかった。
なら、腹をくくろう。
「だからさくら。俺を忘れて、お前はもっとちゃんとした男と幸せになれ。お前の優しさも綺麗な涙も、俺には勿体なさすぎる。それはさくらを幸せにしてくれる奴のために取っておけ」
俺は一生独り身でいい。自分に嘘をついて生きるより、辛くても好きな奴を想い続けたい。
希々はいずれ跡部と結婚するのだろう。ただ、その期間を遅らせることくらいはできるはずだ。希々は今も俺のことが好きだと言ってくれた。
頼むからもう少し、俺だけの希々でいてくれよ。お願いだ。俺のことが鬱陶しくなるまでは傍に居させてくれ。
そして願わくば――――跡部じゃなく、俺と人生を歩んで欲しい。いつかこの想いを伝えたい。伝えても困らせないくらいに、もっと近付きたい。俺は妹に手を伸ばすことをもう躊躇わない。
「亮、せんぱい……」
さくらの涙が止まった。俺は最後の感謝を込めて彼女の頭にぽんと手を置いた。
さくらは俺みたいに鈍くて妙な人間に躓くべきじゃない。
「……さくら。お前に魅力がないなんてことねぇよ。お前はすげぇ優しくて気遣いができる、本当にいい女だった。……ごめん、な。折り合いがつけられねぇ俺がおかしいだけなんだ。……お前と付き合ってた1年弱、楽しかった」
「……っ私、も……っ!」
さくらは頬に残っていた雫を拭い、笑顔を見せた。
「私も、亮先輩とお付き合いできてすごくすごく楽しかったです! でも、私のファーストキスの相手が亮先輩だってことは変わりませんから、ね。……亮先輩のファーストキスが私だってことも…………私は忘れません、からね」
俺は頷く。
「あぁ。俺は初めて付き合うのがさくらで本当に恵まれてた。……ありがとな」
さくらはいい奴すぎる。俺の好きな相手が気になっても、俺の“言えない”という一言だけで全てを飲み込んでくれた。
俺の初めての彼女はさくらだ。俺のファーストキスの相手も。その事実は俺の人生に残り続ける。
「これからも後輩として、サークルでよろしくお願いします」
「……おう!」
「もし……もし先輩がその好きな人と両思いになれたら、その時は報告してくださいね」
「、…………おう」
さくらは笑って手を振った。
「さよなら、亮先輩! 大好きです!」
「……っああ! 気ぃつけて帰れよ!」
好きでない相手に別れを告げる時ですら、こんなにも胸が痛むなんて知らなかった。いや、きっと相手がさくらだからだろう。愛してはやれなかったが、情は確かに湧いていた。
寂しさと後ろめたさと感謝と悲しみ――そんなものが混じり合った感情を抱きつつ、俺は彼女を見送った。
少しだけ滲んだ視界は本格的な夏の訪れを感じさせた。
「……そうか。これが失恋か」
俺はこの日、初めて失恋した。