彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*十五話:都合のいい妄想*
もう希々に会うべきではないとわかっていた。希々への想いは今すぐにでも消さなければならないとわかっていた。しかし希々の顔を見た瞬間、俺の頭から全てが消し飛んだ。
恋慕を自覚してから見る妹は、この世の何よりも愛しかった。
希々の笑顔や拗ねた顔、寝顔や照れた顔が脳裏を埋め尽くす。小さい頃手を引いてやった思い出からくまごろうをやった時のことまで、走馬灯のように駆け巡る。
さくらとのキスを見られた俺が最初に考えたのは、とにかく誤解されたくないということだった。確かに俺はさくらと付き合っている。だが恋愛感情を抱いたことはない。
俺がキスしたいのも今会いたいのも抱きしめたいのも――――希々なんだ。
忘れるべきだと理性は告げてくる。
跡部から奪いたいと本心が訴えてくる。
せめぎ合う葛藤は人生で未だかつてないほどの衝撃を俺に与えた。
あれからどうやって家まで帰ったか記憶がない。ただ気付いたら希々の部屋にいて、暗くなるまでくまごろうを探していた。
「…………っ希々…………!」
大事にすると言った。毎日枕元にあった。
なら、今も跡部の家にあるんじゃないか?
「……っ希々……っ!!」
一度だけ、確認したい。
もしくまごろうが捨てられていたのなら、俺は希々を忘れられるまで自分からは連絡しない。でももし希々がまだくまごろうを持っていたなら。他の全てを捨てて行った彼女が、くまごろうだけは持っていてくれたなら。
俺は芽生えたこの想いを殺したくない。生まれて初めて心から誰かを愛しいと思えたんだ。
喧嘩別れして俺は希々に嫌われたと思っていた。しかし嫌いな人間からのプレゼントなど普通は自分の近くに置かないだろう。
「……なぁ、希々…………なんでだよ……なんで跡部が好きだってことも跡部と付き合ってることも、ずっと黙ってたんだよ……」
跡部の家で暮らすという提案があった前日まで、希々は確かに俺の部屋で俺の腕の中にいた。
『お兄ちゃんより好きな人なんていないよ。付き合うとか興味ないもん』
そう言っていた。
なぁ、希々。
あれは嘘だったのか?
いつだって俺のベッドを占領してくまごろうを抱えるお前は、嬉しそうに笑っていた。俺が甘やかしたくなる、心の全てを預けてくる笑顔。
なぁ、希々。
跡部のことが好きなら、一言そう言えばよかったんじゃねぇか?
俺より好きな奴はいない、なんて嘘をつかずに。
――今思えば、同棲話が出たのはあまりに唐突なタイミングだった。
それまで希々は恋愛に関することも俺に全てを話してくれていた。クラスメイトに告白されたこと、俺へのラブレターを預かっているが渡したくないこと。希々は包み隠さず教えてくれた。そしていつも最後には『お兄ちゃんが一番好き』と言って抱きついてきた。
初めて隠された恋。
俺は希々の様子をずっと見てきたが、希々が跡部を特別視する様子はなかった。跡部が希々のことを好きなのはすぐにわかった。だが希々は跡部をどちらかというと避けていた。懐いてはいるが、どこか怖がっているという雰囲気だったように思う。
それが、婚約するほどの熱愛だった?
俄には信じられない。むしろ冷静に考えれば考えるほど、違和感が増していく。
――本当に希々は跡部が好きなのか?
……知っている。こんな憶測、俺の自己満足だ。有り得ない仮定だ。俺は希々と跡部が何らかの理由で偽装婚約をしていることを望んでいるのだ。
希々が跡部を好きじゃなかったら。本当に好きなのが実は俺だったら。そんな都合のいい妄想をするだけで、心臓が暴れ回る。
「……っ」
手がかりはくまごろうだ。
希々が今もくまごろうを持っているのか。せめてそれだけでも知りたい。
「っ、」
俺は震える手でスマホを取り出した。
ここ1年連絡をとっていなかった妹の番号にかける。
「……っ、」
ぶれる指先で、何とか通話ボタンを押した。
プルル、プルル、
祈るような気持ちで電子音を聞く。
プルル、プルル、
頼むよ。謝りたいんだ。
違う。本当は声を聞きたいだけだ。
あの声を聞きたくて、でも俺には大義名分がない。
だからせめて、謝らせてほしい。
直接会うのが怖いなら電話でいいから。
プルル、プルル、
好きだとわかった瞬間から、世界が色を変えた。愛しいと思う程に胸が締め付けられる。
気持ちを伝えたりはしない。俺達は兄妹だから。希々は普通の女の子だから。いきなり実の兄から告白されても困るだけだろう。
言わない、から。だから一つだけ許してくれよ。跡部、もう少しだけ希々の隣を俺に譲ってくれ。
希々を抱きしめられる日々があと僅かなら、それをどうにかして取り戻したいんだ。
プルル、プル、
『…………はい』
待ち望んだ声に、俺は息を詰まらせた。
「希々…………っ!」
こうして歯車は廻り出す。歪に軋んだ音を立てながら。