彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*十三話:不協和音*
景ちゃん先輩に勉強を見てもらえたから、かなり良い点数のテストが返された。私はほくほく気分で帰る道すがら、飲み物が欲しくなって自販機を探していた。近くの公園の入口に自販機を見つけて歩み寄る。
まさかそれが、自分の運命の歯車を狂わせる一歩になるとも知らず。
***
『ねぇねぇお兄ちゃん』
私はいつものようにくまごろうを抱いてお兄ちゃんのベッドに寝転がっていた。お兄ちゃんは怒ることなく枕があった位置に腰を下ろし、テニス雑誌を読んでいる。ちなみに枕はベッドの端に追いやられている。
『どうした?』
『……大好き!』
『? 変な奴だな』
お兄ちゃんは私の髪をくしゃりと撫でて、優しい眼差しを向けてくれた。
けれどその手が一瞬止まる。
『……そういやこないだ、お前を紹介してくれってクラスの奴に頼まれたんだ』
私はひゅっと息を飲んだ。
『お前、彼氏とか好きな奴とかいるのか?』
お兄ちゃんは何の含みもなく尋ねている。わかるからこそ胸が痛かった。
痛みを誤魔化すために私は“拗ねたブラコンな妹”を演じる。
『お兄ちゃんより好きな人なんていないよ! ……なぁに? お兄ちゃん、クラスメイトに私のこと紹介するつもりだったの? 私がその人の彼女になってもいいんだー。へー。ふーん』
くまごろうをぎゅっと抱きしめてお兄ちゃんに背中を向ける。
するとお兄ちゃんは焦ったように私の真上に移動した。体勢だけ見たら、お兄ちゃんに押し倒されているみたいだ。心臓がドキドキして上手く息が吸えない。
と思ったら、腕の中からくまごろうが取り上げられた。
『違ぇよ! その、そういう話があったって思い出しただけで……!』
『別にいいもん。私怒ってないもんー』
『思っくそ拗ねてんだろが!』
私はぷい、とそっぽを向く。
『くまごろう返してよ、お兄ちゃん』
『……っ駄目だ。ちゃんと俺の目ぇ見て話するまで返さねぇ』
高鳴る鼓動を気取られないよう、心を決めてお兄ちゃんを見上げる。
『……お兄ちゃんのばか』
『いきなり悪口かよ! ……じゃなくてさ。お前、俺によく訊くだろ? 彼女はできたのかって』
『……うん。だってお兄ちゃん、モテるもん』
『同じだ。俺が紹介を頼まれるくらいだから、お前もかなりモテてんじゃねぇか? ……そう思ったら、希々には彼氏とか好きな奴がいるのか気になったんだよ』
お兄ちゃんより好きな人なんているわけない。彼氏なんかいらない。私が好きなのはずっとずっと、お兄ちゃんだけだよ……。
『……もし、私に彼氏がいたらどう思う?』
お兄ちゃんは眉を顰めた。
『…………とりあえずそいつを見つけだして、希々に相応しい奴か見極める。俺よりお前を大事にしてくれる奴じゃなかったら、俺直々に引導を渡しといてやるよ』
お兄ちゃんが本当に嫌そうに言うものだから、私は思わず笑ってしまった。
『その場合私、知らない間に別れてることになっちゃうよ』
お兄ちゃんはベッドに広がった私の髪をくしゃりと撫で、意地悪く口角を上げた。
『俺の可愛い妹を信頼して任せられねぇ野郎なら、さっさと別れた方が希々のためだ』
同時に私の腕の中にくまごろうが戻される。
『好きな奴がいねぇなら、それで人恋しさは我慢しとけ』
『……っお兄ちゃん…………』
私はくまごろうを隣に置いて半身を起こした。そのままお兄ちゃんに抱きつく。
『お兄ちゃんより好きな人なんていないよ……。私誰とも付き合ったことないし、お兄ちゃんが一番好き……だいすき』
お兄ちゃんは私を強く抱き返してくれた。大好きなおひさまの匂いに滲んだ涙をどうにか隠す。お兄ちゃんは苦笑しているみたいだった。
『そんなだからみんなにブラコンって言われるんだよ』
『何て言われてもいいもん』
お兄ちゃんの腕の中は世界一幸せだ。でも同じくらい残酷だ。
『……仕方ねぇな。やっぱりまだ俺より希々を大事にできる奴は見つかりそうにねぇ』
『うんっ!』
『ったく……現金な奴。ま、しばらくは俺も手のかかる妹で手一杯だ。希々も、付き合うならちゃんと俺より好きになれる奴にしろよ?』
『……うんっ』
誰に告白されても嬉しくない。モテても意味がない。私は沢山の人に愛されたいんじゃない。たった一人に愛されたい。好きと伝えたいだけなのに。
『お兄ちゃん……大好き』
『はいはい』
あの日が走馬灯のように脳裏を過った。
***
私は走って跡部邸に戻った。途中でSPさんの存在を忘れていた。ただ一秒でも早く、先輩に会いたかった。
寝室に走り込むと、景ちゃん先輩が目を丸くして私を見た。シャワーを浴びた後なのか、髪は濡れていて首にタオルがかけられている。
「希々?」
私は鞄を投げ捨て、先輩に駆け寄った。
「景ちゃん先輩、キスってしたことある?」
「は?」
「ある?」
景ちゃん先輩は何故か後ろめたそうに目を逸らす。
「……ある」
「良かった、ファーストキスじゃないなら」
怪訝そうな表情の先輩に、私は告げる。
「先輩、キスして」
時が止まった。
「先輩。キスして。ファーストキス、お兄ちゃんじゃないなら景ちゃん先輩がいい」
この言葉の意味に気付く余裕もない程、私の心は千切れていた。しかもその自覚がなかった。
歯車は軋んで不協和音を奏で始める。私たちの意思とは無関係に。