彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*十二話:自覚と自責*
あれから、寝ても覚めても希々のことが頭から離れなかった。もう一度会いたくて跡部の家や希々の通学路まで足を運んでみたものの、悉くSPに制された。
『希々様に会わせるなと申し付けられておりますので、ご遠慮ください』
何回聞かされたかわからないその文句にだんだんとイラついてきた。
何で兄貴が妹に会うのを邪魔されなきゃいけねぇんだ。
いくら跡部が希々と婚約していようが、俺と希々は血の繋がった兄妹だ。仲直りしようと俺から切り出すことに何の問題があるというのか。
思い起こすのは怯えたような希々の表情で、俺はそんなにも妹を怖がらせていたのだと反省した。だからこそ余計に謝りたい。
きちんと話し合いたいだけなのに、どうして俺はこんなにも邪魔されるのだろう。
……――もしかして、俺の知らない理由がある、のか……?
そして跡部は、それを知っている?
知っていて俺を希々から遠ざけようとしている?
その推測にたどり着いたのは、希々と再会してから二週間後だった。
しかしいくら考えても俺には心当たりがない。小さい頃のアルバムや誕生日にもらったメールまで見返したが、わからず終いだった。
「…………」
俺は何を知らないのだろう。
***
彼女と街を歩く休日。今日はさくらの誕生日だ。しかし当然の如く何をプレゼントすればいいかわからなかった俺は、結局彼女の欲しいものを一緒に探すことになった。こんな不甲斐ない俺に愛想を尽かさずいてくれるさくらは、本当に良い奴だと思う。
と、急に横からさくらが覗き込んできた。
「亮先輩、ため息なんて珍しいですね。何かあったんですか?」
どうやら俺は珍しく抱えることになった悩みに、知らずため息を漏らしていたらしい。
「悪い」
さくらなら女の視点から何かアドバイスをくれるかもしれない。とは言え、また妹のことを口にするのはさすがに気が引けて言い淀む。
途端、さくらにくすくすと笑われた。
「な、何笑ってんだよ?」
さくらは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「希々さんのことでしょ?」
「へっ!?」
何故わかる。
「ふふ。亮先輩、わかりやすいんです。いつも難しい表情をしてる時とすごく優しい表情をしてる時は、希々さんのことを考えてる時だから」
「……っ!」
内心を見透かされて居心地が悪かった。
だがさくらは俺を軽蔑するでもなく微笑んだ。
「私でよかったら、お話聞きます。高校生で同棲とか、あんなに仲が良かった亮先輩に跡部さんのことを何も言っていなかった理由とか、正直私にはわからないです。きっと特殊な事情があったんだと思います。でもそれを亮先輩が知らないのは、おかしいと思うんです」
「さくら……」
さくらはいつだって、俺の欲しい言葉をくれる。俺の味方でいてくれる。
今になってその有難さが身に染みた。
「ありがとな、さくら」
俺は小さく深呼吸した。
「……跡部と付き合ってるって聞いたのは、1年ちょっと前なんだ。いつ付き合い始めたかは教えてくれなかった」
俺は回想する。
「今までどんなことでも……それこそテストの点数からクラスメイトに告白されたことまで俺に報告してくれた希々が、初めて俺に黙ってた」
さくらがうーむ、と唸る。
「希々さんが誰かと付き合うのが初めてだったなら、亮先輩に甘えていた分、気まずかったのかもしれませんね」
「俺も最初はそう思った。……俺自身も、今までべったりだったあいつが俺を必要としなくなったみたいに感じてさ。喧嘩別れして希々を怖がらせたんだ」
「それは亮先輩が悪いです」
「わ、わかってるって! だから、謝りに行ったんだよ。跡部の家まで」
今でも忘れられない、跡部の視線。あれは俺を敵として見ていた。
「希々に怖がられるのは仕方ねぇ。けど、跡部が俺と希々を会わせねぇよう動くんだよ。謝ろうとしても希々に近付くなの一点張りだ。……何でだと思う?」
さすがのさくらも首を傾げた。
「跡部さんと亮先輩の仲は悪くないってジロー先輩に聞きましたし、私もお話を聞く限り、跡部さんは亮先輩が嫌いでそういうことをしているようには思えないです」
「だよな。何で跡部は俺と希々が会うのを頑なに邪魔するんだ……?」
今度は二人して首をひねることになった。
第三者のさくらから見てもやはりこの状況には違和感があるようだ。
ややあってさくらは口を開いた。
「亮先輩と会うと、希々さんが亮先輩との辛い喧嘩を思い出してしまうから、ですかね? それだと跡部さんが相当の過保護ってことになりますけど……」
「…………否定はできねぇな」
跡部は兄貴の俺の目から見ても希々に甘かった。他校との試合ではどこに行く時もレギュラーの誰かを付き添わせたし、何より希々を見る眼差しが“愛しい”と告げていた。
……希々への愛なら俺だって負けないのに。
そう考えそうになって一人もやもやしたが、とりあえず今日はさくらを祝うことだけに集中しようと気持ちを切り替える。
「まぁ……そのうちちゃんと謝れるよな。悪い! 話聞いてくれてありがとな。それより今日の主役はさくらなんだ。欲しいもの決まったか?」
俺が尋ねると、さくらは上目遣いで見上げてきた。
「? どうした?」
急に俺の手を引いて人のまばらな公園に入る。強い日差しを避けるためか大きな木の影に寄ったさくらは、おずおずと切り出した。
「亮先輩…………私の欲しいものをくれるって言いましたよね」
「あぁ。決まったなら買いに行こうぜ」
さくらはきゅっと唇を引き結んだ。
何か躊躇うようにしばし俯き、やがて意を決したように顔を上げる。その頬は真っ赤で、俺は目を瞬かせた。
「さくら?」
「……っキス、してください……っ!!」
「…………へ?」
頭が真っ白になった。
キスって何だ。あの童話とかで王子と姫がよくやるやつだよな。ハッピーエンドになる時にやるやつ。
え、何だ。俺がする、のか?
――――希々以外と?
「……っ!!」
本能がけたたましく警鐘を鳴らす。
キス、と聞いて初めに思いついたのはまさかの妹だった。
頭を撫でてやると幸せそうに閉じられる瞳。薔薇色の頬。無防備な顔に桜色の唇。あの唇に自分のそれを重ねたらどんな感覚がするのだろう。
『お兄ちゃん!』
希々の声が耳に木霊して、俺はようやっと自分の異質さを自覚した。
「私……っファーストキスは、亮先輩がいいです……! 先輩が女の人苦手って知ってます、我儘言ってるってわかってます! でも、……っ初めてのキスは、好きな人とがいいんです! お願いします……!!」
赤くなって頭を下げるさくらの声が、右から左に抜けていく。
……あぁ、俺は自分のことを何も知らなかったんだ。
俺は何を知らないのだろう、じゃない。本当に何も知らなかった。大事なことを、何も。
逃げて逸らして向き合わずにいた。知ろうと考えることさえしなかった。跡部に疎まれるのも当然だ。俺自身気付かずにいた想いに、跡部は勘づいていたのだろう。
そりゃあそうだよな。
妹のことが好きだなんつー頭のおかしな兄貴に、大事な婚約者を近付かせたくねぇよな……。
視界がモノクロに染まっていく中、脳だけはやけにクリアだった。
俺がすべきなのは希々に謝ることではない。この感情を消せるまで、もう希々に会わないことだ。
それだけが悲しいほどに唯一明確だった。
「……いいぜ」
俺の口から勝手に声が出る。
「!! ほ、ほんと、ですか…………っ!?」
さくらは心底喜んでいるようだった。
嬉しそうな笑顔に罪悪感が浮かんだが、俺は“普通の兄”にならなければならない。希々と跡部の結婚を喜べるようにならなければならない。
だから今ここで、一つ想いを捨てよう。
俺だってキスなんてしたことがない。俺のファーストキスを好きな人に捧げることは叶わないと、今知った。だったら誰としても同じだ。
「……ただ、俺もしたことねぇから作法とかわかんねぇ。下手だったらごめんな」
「いえ……っ! どんなキスでも、亮先輩にしてもらえるならそれ以上のキスなんてありません…………っ!」
さくらは余程緊張していたのか泣き出してしまった。
「……泣くなよ……」
俺は彼女を抱き寄せ、涙を指先で拭った。今思えば泣き虫なところもさくらは希々に似ている。
「――」
心を無にして唇を重ねた。
「……」
ふわりとしていた。
初めてのキスに、それしか感想はなかった。
唇を離した後のさくらが頬を染め、はにかんでいる様子もどこか他人事だった。
「今までで一番嬉しい誕生日プレゼント、ありがとうございます……っ!」
「っ、」
俺が自己嫌悪に陥りかけたまさにその時だった。
ドサッ、
鞄か何かが落ちる音が耳に入った。
「……? ――――っ!!」
音の方向へ目をやった次の瞬間、心臓が凍りついた。
距離にして数m先。氷帝の制服を身にまとった希々が瞠目していた。
「っ希々っ!!」
何を釈明しようとしたのかわからない。それでも違う、と言いかけて名前を呼んだ。手を伸ばした。
しかし希々は二、三歩後退り、落ちた鞄を抱えて走り去ってしまった。俺の手は空を切る。
「待ってくれ希々っ、希々……っ!!」
希々は一度も振り返らなかった。
後に残されたのは何もかも失った俺と、困惑するさくらだけ。
夏独特の熱い風が俺達の間を吹き抜けていった。