彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*十一話:やめろよ*
「きっと、私が初めてお兄ちゃんじゃない人を好きになるなら……景ちゃん先輩だと思う」
この時の俺の気持ちがわかるだろうか。
諦めと期待の行き来で心臓は激しく波打ち、まともな思考が吹き飛んだ。平静を装って「そうかよ」と返すのが精一杯だった。
希々は微かに笑う。
「あ、でも景ちゃん先輩はモテるのが嫌なんだもんね。じゃあ私はこっそり……雌猫? の中の一人にならなきゃ」
「……っ!」
やめろよ。
せっかく今まで押し殺してきた恋情が、顔を出す。
俺が、悩んでいる人間には誰彼構わず手を差し伸べる善人だと思っているなら大間違いだ。俺には下心しかない。
俺はいつかお前が宍戸への想いを忘れられた時、男として見てもらいたくてお前の手を引っ張り上げたんだ。
打算の塊だ。
なのにお前は俺を兄のように慕い、無防備に触れてくる。心の全てをさらけ出してくる。
俺はお前からの信頼を裏切りたくない。
お前の安心できる場所でいたい。
だから今はまだ、我慢する。
だが俺にも限界はある。
あんまり思わせぶりなことを言うな、この馬鹿。
「……馬鹿なこと言ってねぇで、目ぇ冷やせ。腫れてるぞ」
希々は首を左右に振る。
「やだ。まだ景ちゃん先輩から離れたくない」
「っだから、そういう……っ!」
「私、本気だよ」
その声音は、いつになく真剣だった。
目と鼻の先でアメジストが俺を映す。
「初めてお兄ちゃん以外の人を好きになるなら、景ちゃん先輩がいい。景ちゃん先輩とまだくっついてたい」
「、」
「……でも、そうだね。冷やさないと明日学校で笑われちゃう」
希々は苦笑して立ち上がった。
「希々、」
希々は俺に背を向けたまま近くの冷蔵庫へと足を向ける。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんへの気持ちに整理をつけるには、どのみちもう一度会わなきゃいけなかったと思うの。……だから、大丈夫」
ガラガラという氷の音と共に保冷剤を取り出し、希々は自分の目を覆った。
「冷たくて気持ちいー。景ちゃん先輩も使う?」
「……泣いてねぇ俺が何に使うんだよ」
「え? ほら、涼しくなるかなーって。…………なんて、もう、……私…………馬鹿、だね……」
最初は上を向いていた顔が徐々に下がる。声は震えていた。
「私…………っ、お兄ちゃんに会いたい……! でも会いたくない……っ」
泣いているのだろうか。
これ以上泣いたらそれこそ目が腫れてしまう。
俺はベッドを降り、希々の背後からそっと頭を撫でた。
「……どうして会いたくないんだ?」
「……っき、気持ち悪いって思われたくない……! お兄ちゃんに嫌われたくない……! あんなケンカして、ひどいこと言ったのは私なのに……!」
「……」
希々が宍戸のことしか考えていないのはいつものことだ。しかし何故か今日は、それが少し腹立たしかった。
「――なら俺は?」
気付けば言葉が口をついて出ていた。
希々を後ろから抱き締めて、耳元で囁く。彼女の手から保冷剤が落ちた。
「け……いちゃん先輩……?」
「俺には気持ち悪いと思われてもいいのか?」
希々が振り向こうとするのを抱きすくめて封じる。
「俺には嫌われてもいいのか?」
「…………」
希々は無言になった。
お互いの呼吸さえ聞こえそうな静寂がしばし続く。
やがて希々はそっと俺の両腕に指先を添えた。
「……景ちゃん先輩、好きな人、できた?」
「何でそうなる」
「…………景ちゃん先輩、私のこと気持ち悪くなった? 私のこと重荷になった? 嫌いになった? だったら私、出て行くよ」
「……っ!!」
出て行く、という台詞に俺は自分でも驚くほど動揺していた。もう希々がいない毎日など想像できない。
俺が帰るたび嬉しそうに笑う希々。大好きと言って俺に抱きつく希々。
……あぁ、そうか。宍戸もこんな気持ちだったのかもしれねぇな。
「悪かった。希々、勘違いすんな。俺は今でもお前が必要だ」
「……でも……」
縋るように希々の髪に顔を埋める。
「悪かった! あまりにお前が宍戸のことばっかり言うもんだから…………その、まぁ……今兄貴のポジションにいる俺としては……若干、悔しくなった、っつーか……」
「…………ほんとに? 嘘、つかない?」
俺は腕に力を込めて頷いた。
「希々の事情を知った時からずっと言っているが、俺はお前に嘘はつかねぇ。誓う。絶対にだ」
するとようやく希々の声に明るさが戻った。
「そっか……わかった。景ちゃん先輩、大好き!」
「……知ってる」
「えへへ、先輩でもヤキモチ妬くことあるんだね」
くすくす笑う希々に顔を見られなくて、本当に良かった。
きっと今の俺の頬は、情けないくらい赤いから。