彼女は貝を売る(跡部vs.宍戸)
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*九話:本能*
久しぶりに会った希々は、1年前より綺麗になっていた。いや、可愛くなっていたと言うべきか。それも跡部との恋愛のせいなのかと思うと何故か胸が痛かった。
跡部のために綺麗になって、跡部のために可愛くなっていくのか?
そう思うと苦しくなる。理由はわからない。
ただ、俺はずっと無関心を装っていたことを後悔した。
俺を見るとひまわりのような笑顔で抱きついてくる妹が、もうそこにいなかったからだ。
俺が話しかけた途端、希々は怯えたように動きを止めた。悲しみなのか恐怖なのかわからない、青ざめた顔。ついぞ向けられたことのない表情に、俺は呼吸が止まった気がした。希々の声を聞くことさえできなかった。
そんな関係を修復したくて足を運んだのに。
俺は自分でも知らないうちに、また希々と笑い合える毎日を渇望していた。付き合っている奴がいても、俺と希々が兄妹だという事実は変わらない。もう一度希々に笑顔を向けて欲しい。その一心だった。
しかし跡部は俺に冷たい視線を浴びせるや否や、希々を抱き寄せた。
『話はそこまでだ。じゃあな、義兄さん』
跡部は冗談でも俺をそんな風に呼んだことはない。言外に“早く帰れ”という強い拒絶が滲み出ていて、正直俺は困惑した。
跡部と俺の仲はそんなに悪くないと思っていたが、実は嫌われていたのだろうか。いや、跡部のことだ。嫌いな人間を側に置くことはない。なんだかんだでテニスを通して見てきた跡部は、俺を対等な相手として認めてくれていたはずだ。
なのに、どうして。
俺はどうしてこんなにも苦しいんだ?
跡部はどうして俺を疎ましく思うんだ?
希々はどうしてあんな顔をしたんだ?
もう一度、笑ってほしくて。
もう一度、抱きしめたくて。
もう一度、俺を呼んで欲しくて。
希々が跡部の家に行く日、俺は見送りに行かなかった。
あの前日の喧嘩が今でも忘れられない。
希々は泣きながら、初めて俺を責めた。俺も売り言葉に買い言葉で、思ってもいないことを口走った。
いつもべったりくっついていた癖に彼氏が出来たら今度はそいつに依存するのか。受け入れてくれる相手なら誰でもいいのか。俺だってお前がいなくなれば彼女も出来るだろうし清々する。
そんな嘘を吐き捨てた。
「…………なぁ、俺、おかしいよな……」
誰にともなく呟いて、希々の部屋を眺める。
埃が積もらないよう、俺は定期的にこの部屋を掃除している。いつ希々が帰って来てもいいように。
薄い桜色の壁紙や寝具。何体か放置されているぬいぐるみ。それらが殊更寂しそうに見えた。
しかしやはり、あのくまのぬいぐるみだけはこの部屋に見当たらない。俺がアルバイトできる年齢になって初めて買ったプレゼント。枕程の大きさのあのくまに、希々は“くまごろう”と名付けていた。
『お兄ちゃん、ありがとう……っ!! 一生大事にするね!』
『んな大げさなモンじゃねぇよ』
『うぅん! くまごろう、お兄ちゃんに似てるもん! お兄ちゃんがいなくて寂しい時は、くまごろうをぎゅってする!』
『俺に似てるか? つーか何だ、くまごろうって』
『この子の名前! 今付けたの! 可愛いでしょ?』
希々のネーミングセンスは何と言うか……独特だ。そんなところも可愛くて仕方なかった。
全て置いて跡部のところに行ったなら、くまごろうは今どこにあるのだろう。捨てられてしまったのだろうか。
「……んなわけねぇよな」
俺は希々の兄貴だ。希々の性格を良く知っている。
希々には義理堅い一面があり、人からのプレゼントは絶対に捨てない。家族や友達から貰ったものは全て、擦り切れて使えなくなるまで使っていた。
くまごろうを抱えて俺の部屋にやって来ては、ベッドを占領して『お兄ちゃんの匂いだー』と笑う。1年前の日々がよみがえってきて、切なくなった。
『お兄ちゃん、彼女できた?』
『いきなり何だよ』
『お兄ちゃん、モテるから』
『勘弁してくれよ……。俺はそういうのが苦手だってお前も知ってるだろ?』
『えへへ』
『しばらくは手のかかる妹で手一杯だ』
そう言うと、嬉しそうに笑う希々が本当に可愛くて。俺が守ってやると思っていたのに、俺が傷付けてどうするんだ。
やはりもう一度、顔を見て話そう。一度や二度追い返されたくらいで諦めるなんて激ダサだ。嫌いだと言われても仕方ない。少なくとも俺はお前のことが好きだと、そう伝えに行こう。
――――――好き?
「……っいや、そう…………家族愛だって言うだろ…………?」
頭の奥で何かが引っかかる。
中途半端に剥がれた瘡蓋のように不快なそれに、触れてはいけないと本能が告げていた。