リジー・ボーデン(跡部vs.幸村)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*二話:可愛い人*
希々さんは中学の頃から噂の人だった。俺はそれこそ入学式の日から、『高等部にすごい人がいる』と聞いていた。
日本有数の財閥の娘で、跡部財閥御曹司の許嫁。見目麗しく頭脳明晰で品行方正。肩書きだけで鞄がいっぱいになりそうだと思ったのを覚えている。
とは言え中等部と高等部は校舎が違うから、すれ違うことすら滅多にない。だから俺も、彼女の名前は本当に時折耳にするくらいだった。きっと関わることなく卒業するのだと思っていた。
会うはずのなかった俺達が出会ったのは、3年前。中3だった俺が、文化祭の準備で初めて高等部まで出向いた時のことだ。
『アァ、ドウシテアナタはロミオナノ!』
空き教室から、ものすごく棒読みでものすごく綺麗な声が聞こえた。
俺は何というか初めての状況に困惑し、思わず持っていた段ボールを廊下に落としてしまった。
バサバサ、という音と共に、バンッと教室の扉が開けられる。
『…………聞いてた?』
今でも忘れられない。あの時の希々さんの目つきは、視線だけで人を殺せそうなほど剣呑だった。美しい顔立ちも相まってなかなかの迫力だったっけ。
俺は嘘をつく理由もないので頷いた。
彼女は心底後悔したように長い息を吐き、俺に尋ねた。
『その制服中等部のだね。……君以外、誰か聞いてた?』
俺は首を横に振る。元よりそこにいたのは俺一人だけだった。
『はぁ………………』
彼女は台本と思しき紙をペラペラと捲る。表紙には有名な“ロミオとジュリエット”の題があった。
『……聞いた、でしょ。私、演技が本当に苦手なの。忘れないように台詞を覚えるだけで精一杯なの。……なのにクラスのみんな、示し合わせたみたいに台詞の多い役を私に押し付けて……!』
それは台詞の多い役を押し付けたのではなく、ジュリエットに相応しいのがこの人だったからでは?
というツッコミを内心にとどめ、俺は問いかけた。
『どうして、一人で練習を?』
彼女は僅かに頬を膨らませた。
『一人ならどれだけ失敗しても笑われないでしょ? みんな私なら余裕だとか勘違いしてるけど、その期待を努力もせず裏切るのは悔しいの』
俺は驚いた。
『そんな風に誰かの期待に応えようと生きるのは、大変じゃないんですか?』
彼女はふっと笑った。
『誰かの期待じゃない。これは私の私に対する期待。つまり、プライドの問題よ』
その言葉を聞いてようやく、俺はこの人が跡部の許嫁の藍田希々さんなのではないかと思い至った。
『不躾ですみません。あなたは跡部……跡部景吾の許嫁の、藍田希々さん、ですか?』
希々さんは苦笑した。
『やだ、中等部の子まで私のこと知ってるの? うん。私、藍田希々』
希々さんは再び台本に目を落とした。たくさんの書き込みがしてある台本だ。きっと一人で何度も練習したのだろう。
しかし、しかしだ。
俺はずっと気になっていたことに、恐る恐る触れた。
『あの……練習相手がいないと、上達したかどうかわからないんじゃないですか……?』
『……………………あ』
この瞬間の希々さんの顔を、俺は今でも覚えている。
真っ赤になって初対面の俺をぽかぽか殴ってくる様子は、先程までの気高く凛とした姿とは違って、彼女が遠い存在ではないと教えてくれたようだった。
口をついて出たのは、『俺でよければ、練習相手になりましょうか?』という提案。
『…………君も中等部の学園祭の準備があるでしょ』
『昼休みにやりませんか? 人のいない場所を知ってるので』
上目遣いで不満そうに、それでも希々さんは訊いてくれた。
『…………君の名前は?』
俺はその可愛い人に答えた。
『幸村精市です』
***
人の見ていない所で努力するのも、格好いい台詞を嫌味なく言うところも、どこか跡部に似ている。ロミオとジュリエットの劇も結局舞台役者かと見紛うほど完璧に演じきった。
ただ希々さんは、独り歩きしていた“クールビューティー”の噂と違って意外に幼かった。元から童顔だからあまり年の差を感じないというのもあるけれど。
すぐに拗ねるし、すぐに赤くなるし、思いの外押しに弱いし、何より可愛い。そんな彼女の面を知っているのはきっと、俺だけだ。
恋人になって1年。まさかここに来て跡部の邪魔が入るなんて予期していなかった。
でも、俺が希々さんを渡すとでも思ってるのかな。希々さんが跡部の許嫁だと知っていて俺は恋に落ちた。これまで一度も俺と希々さんの関係に口を出さなかった跡部に、今さら何ができるというのか。
「ちょ、ちょっと待って景吾くん! ……っ精市くん、後で連絡するね……!」
俺は彼女に手を振って頷いた。
跡部の考えていることはわからなかったが、特に嫌な予感はなかった。今彼女が好きなのは、俺なのだから。