リジー・ボーデン(跡部vs.幸村)
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*一話:死ぬほど悔しい*
このご時世に許嫁なんてものが存在するのは、小さい頃の約束とかいう純愛か無駄に権力の絡む金持ちかのどちらかだ。残念ながら俺は言うまでもなく後者である。
親同士が勝手に決めた許嫁。3歳年上の彼女の名前は藍田希々。藍田財閥の長女だ。
公の場ではパートナーとして振る舞うが、プライベートではほとんど接点がない。
希々は立海大薬学部に通っている。頭はそこそこ良いらしい。
希々の性格も、まぁ……そこそこ良い。
雌猫と違って煩くないし、俺に干渉しない。家族で会う時も俺の意思を一番に尊重してくれる。
『景吾くん、今日は疲れてる? 私、体調悪い振りするからタイミングを見て切り上げていいよ』
他人と同じ部屋で眠るのを嫌がる俺のために、自分から両家に伝えてくれる。
『まだ一応嫁入り前、ですから。いきなり景吾くんと同じ部屋でなんて、緊張して眠れません』
挙げ句俺の恋愛事情にまで気を回す始末だ。
『景吾くん、次のパーティーの日、彼女との記念日だったりデートだったりする? それなら遠慮なく教えてね。断るから』
お人好しで思慮深く、控え目で品がある。かと思えば、一度決めたら絶対に譲らない頑固な面もある。
初めて紹介されたのはそれこそイギリスにいたガキの頃だ。俺に一番最初に英語を教えてくれたのは彼女だった。
会うのは年に数回だが、それなりに楽しみにしてやっている。別に俺から特別な感情があるわけではない、……はずだった。そうでなければ俺は他の女と付き合うことなどできなかったはずだ。いつも交際が盛り上がらない理由も長続きしない理由も、俺が恋愛よりテニスに夢中だから。ただそれだけ。それだけ、のはずだった。
希々の容姿もまぁ……そこそこ良い。
幼い頃は黒く艶やかだった髪が、今は落ち着いたアッシュブラウンに染められている。緩くウェーブのかかった、長い髪。アーモンド型の大きな瞳は長い睫毛に縁取られ、意思の強さを秘めた鳶色でいつも俺を真っ直ぐ見る。
童顔で顔立ちはあどけないが、雰囲気は凛としていて愛らしさと美しさが混ざり合っている。俺は希々にふわりと微笑まれると何故か動けなくなる。それでいて親類や俺を悪く言う奴等に向ける氷のような視線は絶対的な強さを持っていて、そのギャップは嫌いではない。
この俺様と釣り合うかと言われれば、まぁ……ギリギリ及第点だ。他に及第点の人間はテレビの中でしか見たことがないが、そこは仕方ないだろう。何しろ俺は跡部景吾なのだから。
その希々が、しばらく跡部邸で暮らすことになった。
聞けば彼女の両親と兄は仕事の関係でイギリスに移るらしい。彼らは当然大事な娘を連れて行くつもりだったようだが、何故かここで初めて希々は駄々をこねた。どうしても日本に残りたいと訴え、家出も辞さない覚悟だったという。
家出されて危険な目にあうくらいなら、と白羽の矢が立ったのが俺の家だった。
日本に残ってもいいが、跡部邸で世話になること。それが条件だった。
希々は何度も俺に頭を下げた。部屋は余っているし、構わない。そう告げた俺に向けられた笑顔は本当に嬉しそうなもので、眩しいほどだった。
俺と離れるのが嫌だったのだろうか。
ふと浮かんだ考えを振り払う。
俺には関係ない。
俺の生活は変わらない。
その、はずだった。
立海大附属との練習試合後、俺は今まで感じたことのない激しい感情と向き合うことになる。
***
「精市く、ん……っ、こんな、所で……っ」
「誰も見ていないから。俺がどれだけ我慢したと思ってるんだい?」
「だ……から、日本に、残っ、」
「君と離れることになるのかと気が気じゃなかったんだ。家まで我慢できない」
幸村と希々が、キスをしていた。
希々のあんな蕩けそうに甘い表情を俺は見たことがない。
「――――……」
何だ、この怒りは。
いや、怒りとは理不尽な現実や人間に対して感じるものだ。
何故俺は怒りを感じている?
この状況のどこに理不尽がある?
怒りだけではない。心臓を握り潰さんばかりの痛み。呼吸すら苦しい。
何だ、この激情は。こんなもの、俺は知らない。
頭の中は混乱の極みだった。
それでも俺の足は自然と二人に向き、俺の腕は幸村から希々を引き離していた。
「えっ……景吾、くん……!?」
戸惑う希々の声に応える余裕もなく、その手を引いて迎えの車に向かう。
「ちょ、ちょっと待って景吾くん! ……っ精市くん、後で連絡するね……!」
希々が日本に残りたかった理由は、俺じゃなくあいつだった。
その事実が死ぬほど悔しかった。
死ぬほど悔しい理由に気付くのが遅すぎたこともまた、死ぬほど悔しかった。