リジー・ボーデン(跡部vs.幸村)
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*十五話:嵐の予感*
ここのところ練習試合が多かったから、希々さんとのデートは久しぶりだ。どこに行きたいかと聞けばいつもの公園ではなく、お洒落なカフェだった。俺は内心首をひねりながらも、それが彼女の望みならと快諾した。
早く会いたい。触れたい。あの香りを体内に取り込みたい。
俺はこの日を本当に待ち遠しく思っていた。
しかしいざ彼女と会った時、何か漠然とした不安を感じた。
「こんにちは、……精市くん」
「……こんにちは、希々さん」
無理をして作ったような笑顔に、硬い声。
カフェに着くまでの間ずっと、希々さんの表情は苦しそうだった。
何があったのかと尋ねようとして思いとどまる。恐らく彼女はその話をしたくて、俺をきちんとしたデートスポットに誘ったのだろうから。
「ここ、私の好きなカフェなの」
駅から数分で到着したのは、インスタグラムに映えそうな小さなカフェだった。
「精市くん、昨日も試合お疲れ様。すごく格好良かったよ」
「……ありがとう。俺は希々さんに会えるご褒美が待っていたから頑張れたんだよ」
「…………」
運ばれてきた紅茶に、希々さんは手をつけない。俺も自分だけ飲むのは何となく気が引けて、ただ彼女を見つめていた。
「……ねぇ、精市くん。正直に答えてほしい」
その真摯な声音に、俺は小さく深呼吸した。ここからが本題なのだろう。
「……何だい?」
希々さんは俯いた。消えそうな、か細い声が耳に届く。
「私…………精市くんと、付き合っていていい、のかな……?」
「、」
一殺那、言葉を失った。
「……っ私が精市くんの手を離せば、今からでも精市くんは、青春を謳歌できるんじゃないかな……」
それはあまりにも予想外の台詞で。
「私……精市くんに、我慢ばっかりさせてる。今でも景吾くんの許嫁っていう立場だから、精市くんと付き合ってるって公言できないし、その…………恋愛経験がないから、キ……キスだって、上手くできないし……」
「……」
「今の私たちって、高校生が憧れるようなお付き合いとは、……きっと程遠い、と思うの。……精市くんの青春を、犠牲にさせちゃってる」
希々さんは俯いたまま、震える声で続ける。
「私……が、せ、精市くんを本当に好きになっちゃったから……、精市くんは、責任を感じて今でも付き合ってくれてるのかな、とか……」
「……」
「わ、わからないけど、未成年同士なら問題にならないことも、私は……もう、問題になっちゃう年齢だから……」
希々さんは、ばっと顔を上げた。
「私……っ! 精市くんに我慢ばかりさせて、それで精市くんの彼女ですなんて言えないよ……っ!」
鳶色の瞳に、涙が膜を張っている。
「……」
俺は温くなった紅茶を口に運んだ。一口飲んで、ゆっくり尋ねる。
「……希々さんは、俺が別れてほしいって言ったら別れてくれるの?」
希々さんは唇を噛み締めて、小さく頷いた。
「じゃあ、俺の家に泊まってほしいって言ったら泊まってくれるの?」
「…………え?」
「跡部の家じゃなくて俺の家に来てほしいって言ったら来てくれるの?」
「……そ、れは…………できない、けど…………」
揺れる大きな瞳を見据える。
「もしご両親が許可してくれたら、俺の家に来てくれる?」
希々さんは話の方向性が見えないようで、困惑しつつ首肯した。
「精市くんとずっと一緒に居られるなんてちょっと緊張しちゃうと思うけど……そうできるならそうしたいよ……?」
俺は苦笑して、希々さんに手を伸ばした。柔らかな髪を撫でる。
「せ、いいちくん?」
「……馬鹿だなぁ、希々さんは」
「え……?」
自信がないにも程がある。この人は自分の魅力にどうしてこんなにも鈍感なのだろう。
いや、彼女をこんなにも不安にさせていたことに気付かなかった俺が、一番の鈍感だ。
「あぁ、向かい席だとすぐ抱きしめたりキスしたりできなくて不便だね。……やっぱり俺はいつもの公園が一番落ち着くみたいだ。俺の家でもいいけど」
「……精市、くん……?」
俺は滑らかな頬に指先で触れた。
「……俺が我慢している、だっけ? 我慢しているよ、勿論。希々さんを困らせたくないから」
「やっぱり私が……」
「違う。聞いてほしい」
店内であまり接触するわけにはいかない。俺は彼女から手を離し、微笑んだ。
「一年前、俺が告白した時の台詞……覚えているかい?」
希々さんはこくりと頷いた。
「『誰にも言えない関係でも構わないから付き合ってほしい』……そう言ったのは、俺の方だよ」
「……でも」
「正直あの時の俺は、誰にも言えないことがこんなに辛いとは思っていなかった。本当は学校中に、希々さんは俺の恋人だって言って回りたい。希々さんのご両親にだって挨拶したい。……だけど俺は、希々さんを困らせたくないんだ。……貴女のことが、好きだから」
どうしてこんなに好きなのか。理屈では説明できない感情に、俺はもう何度目かわからない白旗を挙げていた。
「俺は希々さんが好きだよ。愛してる。好きな人と一緒にいたい……本当にただ、それだけなんだ」
「精市、くん」
「希々さんは? 俺のことが嫌いになった? それとも俺に飽きた?」
「そんなわけない!! 私、精市くんのことが大好きで……っ、傍にいたくてっ、それだけで……っ!」
――だから、そうやって綺麗な涙を零さないで。俺が抱きしめられない所では。
「……ねぇ、希々さん。お互い好きで一緒にいたいのに、どうしてそんなに難しく考えるの?」
「だ、って……っわ、私…………っ、精市くんに、何もしてあげられてない……!」
「それなのに、別れる覚悟はしてくれたのかい?」
「っそ、それしか、思いつかなく、て……っ」
この状況で我慢できる程、俺は大人にはなれなかった。その場で立ち上がり、しゃくり上げる愛しい顔を引き寄せてテーブル越しに口づける。
硝子でできたテーブルが、ガタ、と小さく音を立てた。
「、」
驚いて涙が止まった彼女を離し、今度はきちんと自分の席に腰を下ろす。こっそりテーブルの下で、手を繋いで。
「……わかってる。財閥、なんて世界が俺とは無縁なこと。きっと婚約破棄をするにしても、いろんな政財界の人に影響を及ぼすんだろう。いくら希々さんが望んでくれても、俺達はまだ子供で、意思だけではどうにもできないことがある。……ちゃんと、わかってるよ」
希々さんは伏し目がちに呟いた。
「……私……わからないの。誰かとお付き合いするのも、誰かを好きになったのも初めてだから…………怖いの。精市くんに、嫌われたくないの。……何をどこまで伝えていいのかわからない。何を我慢すれば精市くんの負担にならずに済むか、わからないの……」
俺はその答えに苦笑した。
「希々さん。全部違うよ」
「え……?」
「俺は貴女を嫌いにならないし、我慢してほしくもない。……俺達はお互い、遠慮しすぎていたんじゃないかな」
希々さんは目をぱちくりさせて繰り返した。
「……遠慮…………。……確かにそうかも……」
「だろう? これは俺と希々さん二人の問題で、恋人っていうのは二人で育んでいくものだと思う。他の高校生がどうだか知らないけど、俺は“高校生の理想”を望んでるんじゃない。“希々さんと居られること”を望んでるんだ」
「精市くん……」
「一人で抱え込んでいたって事態は好転しないよ。悩むなら一緒に悩もう。思ったことは伝え合おう。……俺達なら、きっとそれができるから」
そう言い切ると、僅かながら希々さんの頬に赤味が差した。先程までと違い、顔色が戻ってきている。この話題は彼女にとって、本気で辛いものだったようだ。
俺は微笑んで彼女の手をぎゅっと握った。
「……だから、話そう。誰にも遠慮する必要のない場所で、お互い納得できるまで」
希々さんは感極まったように頷いた。
「……っうん……っ!」
涙を湛えていた瞳が嬉しそうに細められて、内心ほっとする。
「いつもは割り勘だけど、今日は俺に奢らせてくれないかな」
「どうして?」
「この後付き合ってもらいたい場所があるから」
「……? うん、わかった。じゃあ今日は精市くんに甘えるね」
俺は喫茶店の支払いを済ませ、希々さんの手を取った。店を出て駅に向かう道すがら、なるべくさらりと告げる。
「……今から、俺の家に来てくれないかい? お互い我慢せず遠慮せず、リラックスして話すには一番いい場所だと思うんだけど……どうかな?」
俺の下心など微塵も気付かない希々さんは、ぱっと満面の笑みを浮かべた。
「精市くんのお家にお邪魔するの、何だか久しぶり! でもこんな急に押しかけちゃって大丈夫?」
「うん。今日は家族旅行で、家には誰もいないから」
「そっか、精市くんは試合だから旅行行けないもんね。……寂しくない?」
俺は敢えて旅行に行かなかったことを告げず、穏やかに笑んだ。
「俺は家族で旅行するより、希々さんと二人きりで過ごせる方が嬉しいな」
「! もう、精市くんったら……」
教えて。
貴女の今の状況を。
跡部はどうして貴女を束縛するんだい?
俺という恋人の存在を知っていながら、跡部はどうして貴女を許嫁のままにしておくんだい?
全部、包み隠さず教えてもらうよ。
それまで跡部の家には――――帰さないから。
空を見上げると、灰色の大きな雲が広がっていた。遠くに小さく雷の音が聞こえる。
何かが起こりそうな予感に、俺はそっと目を閉じた。