リジー・ボーデン(跡部vs.幸村)
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*十一話:身勝手*
昨日は疲れていて寝る前の記憶が曖昧だ。確か、景吾くんが髪を乾かしてくれたんだったっけ。思い出しながら重い瞼を開く。
と、
「……?」
何故か身体が動かない。誰かの腕が下敷きになっている。確認しようと振り向いた私は思わず息を飲んだ。
「……っ!」
景吾、くん。
眉間の皺が消えた、年相応のあどけない寝顔が目の前にあった。
余程リラックスしているのだろう。景吾くんは穏やかな表情だった。
――私に毎日好き勝手キスしてくる、形のいい唇が寝息を立てている。
私は精市くんが好きだ。その想いは変わらないと何度も伝えている。なのに景吾くんは諦める素振りなど微塵も見せず、悩まされるのはいつだって私だけ。
そうだ、たまには景吾くんも悩めばいいと思う。私は逆襲の手を思いついた。
いきなりキスされる驚きを景吾くんも味わえば、私への対応を考え直すかもしれない。
何をするんだ、と怒られればしめたものだ。
私は慎重に身体の向きを変え、景吾くんに向き直った。温かい腕に若干ほだされそうになりつつも、ぐっと堪える。
「せーのっ」
掛け声と共に、頭突きする勢いで景吾くんの頬に唇を押し付けた。
「痛っ」
……若干唇を噛んだ。口内炎になるかもしれない。
やはり慣れないことはするものじゃない。しかし景吾くんの様子はどうだ、と涙目を開いた私は、そのまま固まった。
「…………お、起きない…………」
私の決死の嫌がらせはどうやら無駄に終わったらしい。
「……はぁ」
ため息をついて身体を起こそうとした。その瞬間、ものすごい力で引き戻される。
「ふぎゃっ!」
「……朝から随分積極的じゃねぇの。あーん?」
寝起きで掠れた景吾くんの声が頭上から聞こえた。私の顔は景吾くんの胸に押し付けられていて、彼の表情まではわからない。どうせいつものようにニヒルな笑みを浮かべているんだろう。
「……渾身の嫌がらせだったんだけど」
「こっちは朝からすげぇもてなされた気分だけどな」
「えぇ……。いきなりキスされる気分を味わってもらおうと思ったんだけど…………そういえば景吾くんは私と違って恋愛上級者だった」
再びため息をついて景吾くんの腕をどかそうとして、身動き取れないことに気付く。
「ちょっと景吾くん、離して。重い」
「…………」
「景吾くん?」
景吾くんは尋常じゃない力を込めて、私を押し潰している。仕方なく私は空いた右手で彼の脇腹をくすぐった。
「……っおい、希々、」
一瞬緩んだ拘束から抜け出し、文句を言おうとして私は目をぱちくりさせた。
「重いって言った……で、…………しょ………………」
「……っ!」
景吾くんは、真っ赤だった。
見慣れた皮肉めいた笑顔でも、偉そうな顔でもない。余裕のない照れた表情に、言葉を失う。
「……っこっち見んじゃねぇ!」
片手で口元を覆った景吾くんは、怒ったようにくるりと後ろを向いた。
……え。何だろう。
小さい頃とは違う。
でも、何と言うか……とても可愛い。
「……景吾くん、こっち向いて?」
「ふざけんな」
「ふざけてないよ。ねぇこっち向いて?」
景吾くんは私が顔を覗き込もうとするたび背を向ける。この状況で悪戯心が湧かないはずがない。
「え、何なに。いつもあんなに押せ押せなのに、ほっぺにちゅーで照れてるの?」
「違ぇ! 照れてねぇ」
「じゃあ顔見せてよー」
「嫌だ! さっさとあっち行け馬鹿希々!」
こうなったら是が非でも景吾くんを困らせたい。嫌がらせには失敗したが、真っ赤な顔をもう一度見たい。あわよくばそれをネタにこちらもある程度主導権を握りたい。
私はベッドの上で景吾くんと攻防を繰り広げた。
「景吾くんは恋愛上級者なんでしょ? 彼女いたことあるんでしょ? 何でそんなに焦ってるの?」
「何わけわからねぇこと言ってんだ! 俺は恋愛上級者なんかじゃねぇよ。寄ってくる雌猫の相手を暇つぶしにしてただけだ」
「ほら、遊び人だ! そういうのを恋愛上級者って言うんだよ?」
景吾くんは「知るか」と吐き捨て、尚も私から顔を背ける。
「……景吾くん…………そんなに私の顔見るの、嫌なの……?」
私はわざと悲しげに声をかけた。
「……っ!」
「ねぇ……景吾くん。景吾くんの顔、見たい。…………どうしても、駄目…………?」
しおらしい声で告げれば、景吾くんの動きが止まった。しばらく沈黙が訪れる。
ややあって景吾くんは、ぼそりと切り出した。
「……他ならぬ希々の頼みだから、特別だぞ。絶対笑うなよ。死んでも笑うなよ。笑ったら仕置きするからな」
「え、仕置きって何。怖い」
景吾くんは不機嫌そうに、それでもゆっくりと私の方を振り向いてくれた。
陶磁器のような頬が薔薇色に薄づき、形の整った眉は困ったように寄せられている。
あまりに可愛らしいその表情に、私は思わず彼をぎゅっと抱きしめて髪を撫でていた。
「景吾くん、可愛いーっ!」
「…………こんな俺様、格好悪いだろうが」
「うぅん。すごく可愛い! 私のほっぺちゅーも、ちょっとは威力があるんだね。喜んでくれるのは精市くんだけかと思ってた」
「ほぅ…………幸村は喜んでくれるんだな?」
あ、これはマズい。
景吾くんの声のトーンが低くなった。私はそろそろと距離を取ろうとするが、彼が許してくれないことは今までの経験から身に染みていた。
予想通りぐいっと腕を引き寄せられ、至近距離で視線が絡み合う。
「俺は好きな女からキスされるなら、頬じゃなくここがいい」
「ふ、……っ」
景吾くんのしなやかな指先が、焦らすように私の唇をなぞった。
いつもの不意打ちのキスとは違う。私の唇に触れてその弾力を楽しむかのような動きに、意図せず変な感覚が生まれた。
「……っ!」
それは精市くんに初めての深いキスをされた時と似ていた。そわそわして、快感と不快感が同時に背筋を駆け巡る。でも快感の方が少しだけ大きくて、この感覚に出会うと私は力が抜けてしまう。
くたり、とベッドに倒れ込みそうになった私を支え、景吾くんは眉をひそめた。
「……幸村と、どんなキスをした?」
「!!」
今度は私が真っ赤になって口をつぐむ。
「おい、答えろ希々」
「い……言え、ない」
だってあれはきっといやたぶん、世に曰くディープキスなるものだ。まさか自分が体験するなんて思ってもみなかった。
精市くんからされて嫌なわけでは断じてない。ただ、それを言葉にするのが異様に恥ずかしいのだ。景吾くんは慣れていてさらりと言えるのかもしれないが、私にとっては単語を口にすることすら難しかった。
「……希々、答えろ」
「……っや、やだ! 恥ずかしい、から…………っ察してよ! 景吾くんは恋愛マスターでしょ!」
今度は私が赤くなる番だった。景吾くんの胸を押して離れようとしても、景吾くんは不機嫌そうに私の腕を掴んだままだ。
「……わ、私はいろんな経験がないんだから、全部恥ずかしいの! それくらい、」
言いかけた刹那。
「……あんたの初めては全部幸村なのかよ」
「、え…………?」
寂しげな声に、ほんの僅か抵抗を忘れた。
景吾くんは悔しそうに、それでも私を真っ直ぐ見つめて言う。
「ファーストキスも、誰かを好きになったのも、ディープキスも……そのうち初体験まであいつのもんになるのかよ……っ」
歪められたアイスブルーは知らない光を宿していた。熱いようで冷たいようで、私には景吾くんの感情がわからなかった。
「景吾、くん……?」
「……っ希々は俺の告白、本気だってちゃんとわかってんのか!? 俺があんたを好きだって気持ち……わかってんのかよ……っ!」
本気。景吾くんの、気持ち。
「、そ、れは…………」
言葉を繋げられなかった。
私は今初めて、景吾くんの気持ちを考えたからだ。
心のどこかで思っていた。景吾くんの告白は冗談みたいなもので、私はからかわれているんじゃないかと。私からすれば心臓が追いつかないキスだって景吾くんにとっては遊びみたいなもので、大した意味を持たないんじゃないかと。景吾くんの“好き”は、私が精市くんに抱く“好き”とは違うものなんじゃないかと。
「っ俺は希々が好きだ……! 自覚するのが遅かった俺が悪いなんてわかってる! わかってるけどなぁ……っ! 好きな女と別の野郎の惚気話なんて、辛いに決まってんだろ……!!」
「、」
「それを希々はぽんぽん嬉しそうに喋りやがる! この俺が……っ半端な覚悟で部屋まで一緒にするわけねぇだろうが……!!」
「……っ!」
胸が、きりきり締め付けられるように痛んだ。押し殺した景吾くんの叫びが、私に容赦なく突き刺さる。
もしも私が、精市くんと別の女の子が仲良くしている話を精市くん本人から聞くことになったら、きっとすごく辛い。精市くんが私を不安にさせるようなことを全くしなかったから――そのあまりの完璧さ故に、私は嫉妬する機会さえなかった。
それは精市くんが私のために心を砕いてくれたからだ。私を不安にさせないよう、大事にしてくれたからだ。
なら、私は?
私は景吾くんの気持ちなんて、想像したこともなかった。同じように小さい頃から許嫁として過ごしてきたのに。
景吾くんの“好き”がどんなものであれ、私と結婚する意思のある“好き”であることは確かだ。跡部財閥の跡取りとして景吾くんは、私との未来を本気で考えていたのかもしれない。私のようにぼんやりとではなく、はっきりと。
私はそんな相手に自分の都合で破談を予告し、相手の気持ちを慮ることもせずただ楽しく恋をしていた。私は精市くんのことしか見えていなかった。
景吾くんだって大切な人なのに、私から突然破談を切り出された景吾くんがどう思うかなんて、一度も考えなかった。
自分の身勝手さに、ようやく気付いた。
「ごめ……ごめんなさ、け……ごく、」
「何で俺はあんたみたいな自己中女が好きなんだよ……っ!!」
薄ら滲む視界の向こう、ベッドに押し倒されても今度は抵抗できなかった。その権利を私は有していなかった。