リジー・ボーデン(跡部vs.幸村)
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*十話:指先の感覚*
風呂上がり、同室の人の名を呼ぶ。
「希々」
「……なぁに?」
希々は俺に振り向く。俺は彼女に歩み寄り、その身体を抱きしめる。髪に頬を埋めて思わず破顔した。
「……俺と同じ匂いだ」
「……そうしろって言ったの、景吾くんでしょ? このシャンプー使え、って」
「あぁ。あんたが使ってた安物も香りは悪くなかったが、こっちは髪の補修までしてくれるんだ。数日使ってみろよ。合わなきゃ戻せばいい」
「……うん」
あれから希々は俺の言いつけ通り門限を守り、抱擁を拒まなくなった。
「……希々」
「何、――」
腕の中で顔を上げた希々に口づける。
「……っ」
キスにはまだ慣れないようで、一瞬身体が強ばる。それでも拒絶はされない。
わざとゆっくり唇を重ねる。時折啄むように食めば、小さく跳ねる華奢な肩。必死に声を我慢しているのがいじらしい。
結局希々の膝はすぐに力を失い、俺が支える羽目になった。普段の強気な彼女との違いに愛しさが込み上げる。
「……もう少し立ってられねぇのか?」
希々は恨めしそうに俺を見上げた。
「……慣れてないんだから仕方ないでしょ。嫌ならしなきゃいいじゃない」
「嫌ならしねぇよ、ばーか」
デコピンの代わりに、一緒にベッドへと縺れ込む。
「ちょ、景吾く、ん……っ!」
押し倒す姿勢になってしまえば、もう俺の好き勝手できる。希々の唇の柔らかさを堪能しながら湿った髪をくしゃりと掻き乱した時、気付いた。
「……?」
俺よりも先に風呂に入らせた希々の髪がまだ乾いていない。
俺は身体を起こし、希々に尋ねた。
「髪、まだ乾かしてなかったのか?」
希々は唇を手の甲でごしごし拭ってから頷いた。
「レポートの準備してたら遅くなっちゃったの。これから乾かすよ」
「…………毎日思うが、俺様からのキスをさも嫌そうに拭うのをやめろ」
「拒絶してないんだから後は私の自由でしょ? 私は景吾くんとキスなんかしたくないんだもの」
「…………そうかよ」
若干凹んだ。いやかなり凹んだ。
しかし、こんなことで一々めげていては目標達成など夢のまた夢だ。俺は内心己を叱咤し、別のアプローチを考えた。
「希々。あんたの髪、俺が乾かしてもいいか?」
「え…………?」
希々は不思議そうに瞬きした。
俺の髪は短いからすぐ乾くが、希々ほど長いとなると乾かすのも一苦労なのではないだろうか。
艶やかな髪を一筋すくい、その先端に口づける。
「…………っ」
何故か希々は困ったように眉を下げた。まぁどうせ、幸村と手つきが似ていたとかそういう話だ。面白くもないそんな話が聞きたいわけではない。
俺はドライヤーを手に取り、希々を呼んだ。
「希々、こっち来い」
ドレッサーの椅子を引くと、希々は戸惑ったように歩を進めた。
「う、うん」
「どうぞ、お嬢様」
「……何で景吾くんは一々やることがキザなの?」
「あーん? 逆に俺は、他の女が喜ぶことをしても何であんたは喜ばねぇのか知りてぇんだが」
希々は面白そうに笑った。頬に赤みが指して、警戒心が薄れたのが伝わる。
「じゃあ今日は景吾くんに髪乾かしてもらおうっと。……私、美容院以外で誰かに髪を乾かしてもらうなんて初めて」
どことなく楽しそうな彼女の様子に、俺の胸も沸き立った。
「……俺様の美技に酔いな」
「出た、決め台詞!」
希々はくすくす笑いながら肩の力を抜いた。それを感じ取った俺は、滑らかな髪を持ち上げ、なるべく摩擦が生じないよう細心の注意を払いながらドライヤーを当てた。
「熱くねぇか?」
「大丈夫ー」
「痛くねぇか?」
「ふふ。気持ちいいよー」
鏡に映る希々の顔は本当に心地良さそうだった。目を細め、唇は緩く弧を描く。何事も完璧な俺は髪の根元から丁寧に風を当て、パーマが緩んでしまわないようセットまでしてやった。
「俺様の美技はどうだったよ?」
希々はしまりのない顔でほわほわと笑った。
「すごい気持ち良かったー。景吾くん、今までの彼女さんにもこういうサービスしてあげてたの?」
「……あのな。俺が他人の髪を乾かすなんざ今日が初めてだ」
「そうなの? 美容師さんみたいに上手だったから、景吾くんはそんなことまで極めてたのかと思ったよー」
いつになく希々は饒舌だった。
「昔からそうだったよね。景吾くん、何かに興味を持つと全部極めちゃうの。すごく努力家で、私いつもすごいなって思ってた。……ふふ。でも、髪を乾かしてくれる……なんて、思ってなかっ……た………………けど…………初めて……なんて………………美容師さんの…………才能も………………あ…………る………………」
余程課題に追われていたのだろう。希々はドレッサーに突っ伏して寝息を立て始めてしまった。
このまま肩に毛布をかけて寝かせてやろうかとも考えたが、やはり深夜はまだまだ冷える。油断しきった希々の顔を見ていたいという欲望を断ち切り、俺は彼女の肩を揺すった。
「おい、希々。寝るならベッドでにしろ。風邪ひくぞ」
「んー…………」
希々は薄目を開くと、またこくりこくりし出した。これでは埒が明かない。
俺はため息と共に再び彼女を揺り起こした。
「おい、希々。ベッドまででいいから歩いてくれ」
「……んー…………」
その、刹那。
何を思ったのか希々は、俺に抱きついてきた。
「!?」
想定外の行動に俺が硬直している間にも、希々はふにゃりと笑う。
「つれてってよー。けーごくんだってべっどいくでしょー」
「……っ連れてってとか簡単に言うな馬鹿! これが俺じゃなかったらあんたはとっくに食われてるからな……っ」
仕方なく希々を抱き上げ、となりあうベッドに下ろしてやる。
夢見心地なのか微笑む希々を見て、ふとこういう穏やかな雰囲気も悪くないと思った。
キスはしたい。抱きしめたいし、正直脅迫めいたことをしている自覚はある。
しかしたまにはこうやって、純粋な厚意から甘やかしてやるのもいいのではないだろうか。希々だって年上とはいえ女だ。女は男に甘えたい心理があり、男は女に頼られたい心理があるという資料を見たことがある。
希々の心に入り込む方法は、何も強引なキスだけではない。押してダメなら引いてみろ、という作戦も組み込んでいこう。
決意を新たにする俺の腕の中、希々は安心しきったように身体を預けている。
「……今度は希々が俺の髪、乾かしてくれよ」
「んー……わかっ…………た………………」
今度こそ本当に夢の世界へと旅立ってしまった許嫁をベッドに横たえ、布団を掛けてやる。
「…………」
俺はそのまま彼女のベッドに潜り込んだ。希々を背後から抱きしめるようにして目を閉じる。
いつかと逆だ。体温の高い希々をぎゅっと抱きしめていると、俺の身体も上がって急激に眠気が襲ってくる。
略奪愛の略奪は、簡単にはいかない。
駆け引きを利用しなければ。
時に強引に迫り、時に安らぎだけを与える。
しばらくはこの飴と鞭作戦でいこう。
そんなことを考えながら、濡れた美しい髪の感覚が今も指先に残っている気がした。