リジー・ボーデン(跡部vs.幸村)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
*九話:変化のきっかけ*
最近、希々さんはどこか元気がない。毎日の電話では変わりないけれど、週末デートの別れ際必ず切ない笑顔を見せる。心配しても何もないと言われてしまえば、俺はそれ以上踏み込んで尋ねられない。
大学で何かあったのかもしれないし、いきなり跡部邸で暮らすことになってストレスが積もっているのかもしれない。俺はそう、自分で自分を納得させていた。彼女を困らせたくない一心で。
「精市くん……充電して、いい?」
「……うん。もちろん」
日本に残る代わりに、跡部の家にお世話になる。それは俺も彼女から聞いていたし、許嫁という肩書上仕方ないと理解している。あの日跡部が何に憤っていたのかは知らないが、希々さんを傷付けるようなことはしていないとも聞いた。
希々さんは俺に隠し事をしない。それが彼女からの信頼であり、そんな彼女を疑わないことが俺の信頼の返し方だと、頭ではわかっている。
「ねぇ……精市くん」
「何だい?」
「……ぎゅってして、って言ったら……はしたない、って思う……?」
「……思うわけないだろう? むしろ俺の方が、もっと希々さんを抱きしめたいと思ってた」
はにかむ笑顔が愛しくて、俺はいつものベンチで彼女をそっと抱きしめた。
「……」
――本心では、聞きたいことばかりだ。
毎日どんな生活を送っているのか、俺への気持ちに変化はないのか、俺を睨んできた跡部とはどんな関係なのか。
しかし年上の才色兼備な恋人に、些細な嫉妬を見せたくなかった。器の大きい頼れる男でいたかった。跡部との関係を疑っていると思われるのも嫌だった。
「ふふ。精市くん、あったかい」
「そうかい?」
「うん」
寝る前に5分程声を聞いて“おやすみ”と告げ、翌朝を迎える毎日は俺の宝物だった。俺は希々さんのことが好きだし、希々さんも俺に好きだと言ってくれる。
むしろもう少し我儘を言ってほしいくらいだが、誰かと付き合うことはおろか誰かを好きになったのが初めてだと言う彼女のペースに合わせたかった。
キスだって触れるだけのものしかしていない。希々さんのことが大切だから。愛しているから。不安にさせたくないんだ。
「……希々さん、可愛い」
抱きしめながら愛しい額、頬、鼻先にそっとキスを落とす。希々さんがくすぐったそうに笑う。
「くすぐったいよ、精市くん」
この笑顔を守りたい。これからもずっと隣で。
「……愛してる。好きだよ、希々さん」
「……! 私も大好き、精市くん」
壊れ物に触れるようにそっと頬に手を滑らせる。怖がらせないようゆっくり近付いて、唇を重ねた。
ふ、と吐息が絡み合う。
「……?」
一瞬、違和感を覚えた。
俺は彼女の香りが好きだ。安らぐ花の香り。以前、好きな香水があってずっと使っているのだと教えてもらった。すごく高価なものかと思っていたら、どこの店でも扱っている意外と安価な品だった。驚いたけれど、街で誰かとすれ違う時その香りがすると、自然に希々さんを思い出せる。俺の記憶に寄り添う匂い。
それが今日は、ほんの少しだけ違っていた。
「希々さん、香水を変えた?」
「え……っ?」
「何か今日は……薔薇、かな? 髪から薔薇の香りがする」
俺が花に日頃から接していなければ気付かない程度の変化だったが、希々さんは微かに動揺した。
「こ、香水は変えてないよ。シャンプーが切れちゃって、薔薇の香りのを借りたからだと思う」
「ふーん……薔薇の香り、ね」
薔薇、と聞くと嫌でも脳裏をちらつく跡部の顔。
「ねぇ、希々さん。……本当に香水が変わっていないか……確かめてもいいかな?」
「う、うん」
長い髪をそっと避けて項に鼻先を寄せ、彼女の香りを胸いっぱい吸い込む。俺の好きな匂いは変わっていない。本当にシャンプーを変えただけなのだろう。
それはわかった。わかった上で俺は、離れたくなかった。
「せい、いちくん?」
「……もう少し、確認していてもいいかい?」
「ぅ、うん……いい、よ」
いつも髪をかける要領でわざと耳に指先を掠らせると、希々さんはぴくりと震えた。
「、っ!」
「…………」
少しだけ躊躇ってから、冷えた耳朶に口づけてやんわりと食む。
「ふ、っ……!」
希々さんはそれだけで首を縮め、小さく肩を揺らした。完全に初心な反応。跡部に日毎こんなことをされているわけではないと知って安堵した。そしてそんな自分の小ささに自嘲した。
思えばこれが、変化のきっかけだった。
俺だって健全な男子高校生だ。誰にも言えない関係を一年以上続けてこられたのは、希々さんが好きだからだ。彼女が、俺が成人したら結婚しようと言ってくれたからだ。
跡部の許嫁でなく俺の奥さんになった希々さんになら、我慢しなくていい。あと2年は紳士でいようと決めたのに。
戸惑いながらも俺を信頼しきって身体を寄せてくる様子は、加虐心と庇護欲を同時に加速させた。
「か、確認、できた……?」
「……もう少し」
ひんやりした耳朶に何度も口づけ、すっと舌を這わせる。途端、小さな喘ぎ声が上がった。
「、ぁ……っ!」
「……っ!」
独占欲が顔を出す。
毎日希々さんに会える跡部への嫉妬が、知らず理性を遠ざけていた。
「希々さん……愛してる」
無防備な耳孔へ舌先を差し込めば、
「きゃ……っ!」
くちゅ、という静かな音。
嫌なら拒絶すればいいだけ。
なのに希々さんは目を強く閉じ、震える手で俺のシャツに縋り着いてくる。
「――……」
衝動が、止まらない。いや、俺は止める気がないんだと朧げに自覚した。
貴女の初めての感覚は全部、俺のものにしたい。貴女の全てを。恐怖も快感もその先にある悦楽も、堕落さえ全て。
知らない感覚なら、俺が教えてあげるよ。
優しく、甘く、少しだけ官能的に。
「……希々さん、俺が怖い……?」
「ち、ちが……!」
希々さんは綺麗な双眸を滲ませ、頬を真っ赤に染めて俺を見上げた。
「そ、そわそわするけど、……っ精市くんなら、怖くないよ……!」
――――あぁ、もう。だからそういう表情を男に見せるなって、誰も教えてくれなかったのかい?
訊くまでもなくYESの問いに苦笑して、俺は彼女の両頬を手のひらで包んだ。
潤んだ瞳。吐息を漏らす艶めいた唇。色づいた頬は熱を帯びている。
「……怖かったら、俺の胸を叩いて」
「せ……い、いち、く……」
「……好きだよ。誰より貴女を……愛してる」
目を閉じて、唇を重ねた。呼吸のタイミングで僅かに開いた唇の隙間から舌を差し入れる。
「……っ!? 、んぅ…………っ!?」
甘い咥内は紅茶の香りがした。
そもそも口内に他人の一部を入れるなんて経験がないであろう希々さんは、酸素を求めて口を開く。
その隙をついて俺は自身の秘めてきた願望を彼女へとぶつけた。混乱している身体を強く抱き寄せ、初めてのキスに溺れる。
「……っん…………っ!」
上顎の性感帯を何度もなぞり、歯列を確かめていく。そのたび硬直するものの、希々さんは俺を拒まなかった。拒絶されなければ、昂りを抑える理由がない。遠慮がちな喘ぎ声が欲情を誘う。
「ん……っ、ぁ、…………っ、」
怯えて萎縮する小さな舌を絡め取って、宥めるように愛撫する。ざらついた舌同士を擦り合わせ、唾液を飲み干す。希々さんの香りも咥内も甘くて溶けそうだった。
「ふ、ぁ…………っ!」
とは言えさすがにそろそろ解放してあげないと、呼吸が苦しそうだ。俺は理性を総動員してキスを止め、そっと顔を離した。僅かに濡れた希々さんの唇を親指で拭う。
「ん、」
ふる、と震えた瞼が緩慢に開き、蕩けた眼差しが俺に向けられた。
「せ、ぃ、いち、くん…………」
俺は目を伏せた。
「……ごめん。我慢できなかった。……いきなりで驚いた、だろう?」
突然すぎてきっと驚かせた。
俺も自分を制御できなかったという後ろめたさがある。非難されても仕方ない。嫌われてしまった、だろうか。
俺の胸中は不安が渦巻いていた。
しかし希々さんは予想に反して、おずおずと俺を見上げて尋ねた。
「わ、わた、し…………へんな声、出てなかった……?」
「…………っ!」
いけない。このままだと俺は冷静な判断ができなくなる。
一度深呼吸して希々さんを抱き締め、俺は答えた。
「……変なんかじゃなかったよ。すごく可愛くて……ずっと聞いていたい声だった」
「ほ、ほんと? 私……経験、なくて…………ど、どうすればいいかわからなくて、……ごめんなさい……」
「謝らないで。希々さんは何も悪いことをしていない。謝るのは俺の方だよ。……怖かっただろう?」
希々さんは俺に抱き着いたまま、首を横に振った。
「怖く……なかったよ……。ちょっと苦しかったけど…………その、ちょっと……気持ちよかった……」
「!」
彼女から嫌だと言われれば、二度としない。俺は明確な期待を抱えた上で問いかけた。
「たまには……こういうキスをしてもいいかい?」
希々さんはそれこそ耳まで真っ赤になって、小さく頷いた。
――跡部。
君が何を考えているのか知らないけど、俺と希々さんの絆はこんなに強固だ。
君には負けない。
決意を新たにした一日だった。