ソロモン・グランディ(跡部vs.不二)
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*三話*
希々は僕と出会ったのが大学だと思っている。確かに直接会話したのは大学に入ってからだ。でも僕は、中学の頃から彼女の噂を聞いていた。残念ながらあまりいい噂ではなかった。
曰く、跡部に彼女ができると別れさせる我儘な従妹。響きだけ聞くと、一体どんな悪女なのかと疑いたくなるものだ。
まぁ彼は目立つ存在だし、それを隠そうともしない。色恋沙汰もさぞかし多く、噂は尾鰭胸びれまで付けられて流れているんだろう。
あの頃僕はそう思っていた。従妹の子が本当はいい子なのか、別れさせるようなことをしている子なのか、興味もなかった。
しかし、合同遠征合宿の途中で僕は真実を知ることになる。
『ちょっと、景吾! いきなり帰るって……どういうこと!?』
『そのままの意味だ。希々が倒れた。合宿のことは忍足に任せてあるから、サポートしてやってくれ』
『またその子!? この間のデートだってその子のせいで延期になったじゃない!』
当時跡部はマネージャーと付き合っていたらしい。ヒステリックな声と、対照的に落ち着き払った声がコートの外から聞こえる。
『じゃあな』
『……っあたしとその子、どっちが大事なのよ!』
これは修羅場か、と僕だけでなく他校の生徒も顔を出し始めた時。氷帝のメンバーは誰一人動揺していないことに気付いた。むしろ慣れているようだった。
跡部は彼女を振り返ることもなく、『希々に決まってるだろ』と言い放って本当に帰ってしまった。
僕はこの時理解した。
その従妹は悪女でも性悪でもない。被害者だ、と。
そんな事件の後、氷帝との試合でそれとなくベンチを見ればすぐわかった。人懐っこい笑顔を振りまく小型犬のような少女。跡部がその子に向ける視線は、他の人間に向けるものと比べ物にならないくらい甘く慈愛に満ちていた。
あの跡部の寵愛を一身に受けながら、そのことに全く気付かない様子の少女に興味が湧いた。
きっとそれが始まりだった。
***
跡部と違って、僕は大学では静かに過ごしたかった。だから入学早々、写真部を作った。部員は僕一人。でもコンクールには入賞するから部室がもらえる。テニス以外でサークルの面々と関わるつもりはない。僕は静かな一人の部室を気に入っていた。
それから2年経った春のこと。一人の新入生が写真部の部室の前に立っていた。
僕の撮った写真で評価されるものは、ピントや構成比等全て計算したものばかりだ。当然賞のためにそういった工夫をするが、カメラを持っていると不意に、ただ心が動かされた景色を撮りたくなる瞬間というものが訪れる。
ピントがややズレていて、全体的に斜めに曲がった写真。タイトルなんてないそれは、僕が賞のためでなく自分のために撮った写真だった。
新入生は他の写真には目もくれず、その海辺の写真を食い入るように見つめていた。
『……その写真が、気に入ったの?』
僕が声をかけると、新入生はびっくりしたようにこちらを見た。
僕もその新入生が件の跡部の従妹だと気付き、驚く。
『あ、はい。素敵な写真だと思って……』
『……そう。ありがとう』
『……綺麗だけど、寂しい写真ですね』
『…………』
それは、誰に向けた台詞?
訊きたくて聞きたくなくて、僕は口にできないままいる。
***
「不二先輩ー。聞いてますか?」
希々と知り合った時のことを思い返していた僕は、本人の声に意識を呼び戻された。
「あぁ、ごめん。ちょっと考え事をしてて」
希々は拗ねたように唇を尖らせる。
「不二先輩のせいで、私悩んでるんですけど」
「? どういうこと?」
「……っ先輩が、景ちゃんの代わりにお兄ちゃんになるなんて言うから! 私、景ちゃんがお兄ちゃんみたいに好きなのか、甘えさせてくれる人が好きなだけなのか、真剣に考えたんですっ」
跡部が甘やかしてきたせいか、子供じみた態度の希々が微笑ましい。でも、僕のシャツの裾を握ってくいくい引っ張るのはやめてほしい。しわになるとかそういうことじゃない。
「…………景ちゃんだって、いつまでも甘えさせてくれるわけじゃない。それなのに不二先輩にそんなこと言われたら、先輩に頼りたくなっちゃう……」
何だってこの子は、こうも的確に僕のツボをついてくるのか。甘やかす跡部の気持ちがわかって辛い。
満面の笑み、拗ねた顔、僕に見せる今の不安げな表情。直接は触れない、服越しの躊躇いがちな甘え方。俯いて、上目がちに覗く大きな瞳。
……そうだね、跡部。この子をうんと甘やかして自分に依存させて独り占めしたくなるのはわかる。
だけど、男に対する距離感の取り方はしっかり教えるべきだったんじゃないかな。
「……希々、手を出して」
「? はい」
シャツの裾を引っ張っていた右手が目の前に出される。僕はその小さな手のひらに自分の手のひらを重ねた。
ぴく、と跳ねた肩を見逃すはずもない。
「……僕に触れられるのは、嫌?」
「ちが……っ!」
そのまま緩く指先を絡める。
「……っ!」
希々が頬を染めて眉を下げた。
「…………ねぇ、これ、跡部となら慣れてるよね?」
希々は少し考えて、小さく頷いた。
「じゃあ、どうして僕相手にそんなに緊張してるの?」
「わ、わかりませ、ん」
希々が椅子に腰掛けたまま後退る。狭い部室内。あえて彼女を動けるスペースのない場所に座らせた僕は、想定内の動きに唇の端を持ち上げる。
意識していないなら、こんな反応は見られない。距離を置こうとする彼女の背に腕を回し、一気に抱き寄せた。
「こういうことも……跡部相手なら、慣れてるよね……?」
耳元で吐息混じりに囁くと、細い肩が震える。
「けい、ちゃんとなら、慣れてる、けど…………っ」
冷たい耳朶を唇で辿れば、加虐心を唆られる声が上がった。
「ひゃ、ぁ…………っ!」
さすがにこれ以上触れていたら僕も歯止めがきかなくなる。
喉の奥で笑って解放してあげた。希々は耳をおさえて真っ赤になっている。
「け、景ちゃんはこんなことしません!」
「そうなの? 意外だな」
「ふ、不二先輩のいじわる!」
――本当に意地悪なのは、君だよ。
僕の視線に気付きもせず、部員がいない理由を知りもせず、跡部の話ばかりする。
聞きたくもないその話を聞いてあげるのは、話せる相手を僕だけにしてほしいから。僕だけに心を許してほしいから。悩みも相談も甘えも、僕だけに見せてほしいから。
僕が自分のために撮った写真が一番好きだと言う君のことが、好きだから。
君が欲しているのが兄なら、……それになれば跡部に取って代われるのなら、いくらでもなってあげる。もちろん、ただの兄になんてならないけれど。
「ねぇ、希々」
「な、何ですか……っ?」
若干涙目の希々に、今度は優しく声をかける。
「…………君の誕生日を、跡部は祝わないの?」
「いえ……景ちゃんは、日付が変わる夜のパーティーでお祝いしてくれるそうです。不二先輩と先に約束したから」
先に約束をしたから。律儀な彼女らしくて笑ってしまう。
「もし僕が跡部より後に君を誘っても、君は僕とデートしてくれた?」
「…………?」
鈍い希々は気付かない。言わなければきっと、永遠に。
「不二先輩、一人で水族館行くのが寂しいって……」
「それがたまたま、偶然希々の誕生日だった、って……君は本気で思ってる?」
「え…………?」
君が入部してから、毎日穏やかで時々胸が痛む。一度も言葉にはしてこなかった。この甘い痛みを、君にも分けてあげる。
「好きだ」
「不二、先輩…………?」
僕は微笑んで、希々の手を軽く引いた。衝撃に倒れてくる柔らかな額に口づけてもう一度繰り返す。
「僕はずっと、君のことが好きだった。希々、僕の恋人になってよ」