ウィー・ウィリー・ウィンキー(跡部)
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*一話*
それは俺が氷帝学園中等部生徒会長になった日。
俺よりも早く生徒会室にいたそいつは、ふかふかのソファの上で昼寝をしていた。
『おい、そこを退け。生徒会に関係ない人間はここに立ち入るな』
そいつは微動だにしなかった。
『おい、聞いてんのか』
そいつは気持ち良さそうに寝息を立てている。
心の広い俺もさすがに苛立ち、そいつを揺り起こした。
『おい、起きろ。人の話を聞け』
揺さぶられてようやくそいつの瞼がぴくりと動いた。
ひどくゆっくりと開いていく瞳は硝子玉のように光を反射しながら、数度瞬きをした。
『…………だれ?』
『生徒会長になった跡部景吾だ』
『…………何の用?』
『出て行け』
そいつは無表情に俺を見て、小さなため息をついた。
『……生徒会長の許可があればここで寝ていい?』
許可などするわけがない。俺がそう言うより先にそいつは軽く部屋を見渡し、欠伸をした。
『勝負、しよ。体動かすのじゃなければなんでもいい』
この俺様に勝負を挑むだと?
最初は傍迷惑な非常識人だと思っていたが、意外に気が強いのか。余程の自信があるのか。
どちらにせよ面白い。生徒会長の俺より先にこの部屋で寛いでいたその無礼を後悔させてやる。
『……いいぜ。ポーカーはできるか?』
『やったことないけどできるよ』
『? ……まぁいい。できるなら決まりだ。俺様に勝てたらそこで好きなだけ寝ていい。ただし俺様が勝ったら、非礼を詫びて土下座しろ』
そいつは眠そうに目を擦りながら頷いた。
俺が樺地に告げれば、すぐにトランプが用意される。
『そのトランプ、新品?』
『あぁ。つまらないイカサマをする気はねぇ』
『ディーラーは?』
思えばこの時点で気付くべきだったのだ。
やったことがないのにできる、という台詞。
賭事に関わらなければ知らないはずのディーラーという単語。
しかし当時中1の俺はその違和感を流してしまった。これが一つ目の失敗。
『樺地、頼む』
『ウス』
『かばじ。よろしく』
樺地は頷いてトランプを開封し、二人に配った。
そして、ここからが俺の二つ目の失敗。
俺は天才というものの存在を知らなかったのだ。
『くそ……っ! どうなってやがる!』
金を賭けてはいない。賭けていたらとんでもないことになっていただろう。
『まだやるの?』
『当たり前だ!! この俺様が一度も勝てねぇなんておかしい! まさかお前、イカサマしてんのか!?』
そいつはひどく退屈そうに欠伸を噛み殺す。
『あとべが持ってきたトランプで、あとべが用意したディーラー。どうやって私がイカサマするの?』
『……っ!』
正論すぎて腹立たしい。
『くそ……っ、お前ブラックジャックは知ってるか!?』
『うん。やったことないけど』
『勝負はまだ終わってねぇ! 次はブラックジャックで勝負だ!』
『いいけどもう眠い……』
『寝るな!! 勝負だ!!』
――――――――…………。
――――――…………。
――――……。
結果は惨敗だった。
文字通り、ぐうの音も出ないほどの大敗。あれから大富豪、ババ抜き、ジジ抜き、神経衰弱、ありとあらゆるトランプゲームをした。空はとうに暗くなっていた。
しかし俺は一度としてそいつに勝てなかった。
『もう私が寝てても文句言わないでね。あとべ』
『…………約束は、守る』
『じゃあ私帰る』
『……ちょっと待て』
俺はそいつを睨みつけるようにして尋ねた。
『…………お前、名前は?』
『……? 藍田希々』
『藍田、お前……中学生の癖にギャンブルでもやってんのか?』
それならそれで風紀が乱れる、と危惧したが、藍田は首をこてんと倒した。
『今日初めてやったよ』
俺があんなに驚いたのは、後にも先にもこの時だけだった。
『じゃあね』
『おい、藍田……っ!』
去って行く背中に声をかけても、もう彼女は振り向かなかった。
翌日も俺は勝負を挑んだ。その翌日もそのまた翌日も。男女の体格差によって有利不利が生じかねないもの以外、ありとあらゆる勝負を。
テストの点数、暗算、オセロ、美術、将棋、論文、IQ診断。何をしても彼我の差は明らかだった。俺は藍田に何一つとして勝てなかった。
どの問題集を解いても藍田は満点を叩き出した。10桁の掛け算を暗算で何なくこなした。オセロは最後の一手で必ず逆転された。絵を描かせれば彼女は、鉛筆と紙だけで画家顔負けの芸術を生み出した。初めて見た時は写真と見間違えたくらいだ。将棋だって俺は数手で負けた。むしろ最年少龍王も真っ青だろう。小論文は悔しいが俺に理解できる内容ではなかった。IQテストは全て正解し、測定不能という結果を残した。
ここまでくるといっそ清々しい。
イギリスで年上や経験者相手に手も足も出ないことには慣れていたが、藍田は同い年で女子だ。しかも俺が持ちかけた勝負のほとんどを彼女はやったことがないという。
俺は意地になって毎日のように生徒会室で彼女に挑んだ。
『いいか、俺様が勝ったら土下座だからな!!』
『んー。私が勝ったら寝てていいんでしょ?』
『約束は守る』
『じゃあ始めよっか』
『今度こそ吠え面かかせてやる!!』
何をやっても勝てない日々が続いた。
最初は腹立たしかったが、勝負のネタが尽きてきた頃には、俺は彼女に挑むことが楽しくなってきていた。
『今日は円周率をどこまで言えるか勝負だ!』
『んー。眠いから早く終わらせてー……』
『寝るな! まずは俺様からだ、心して聞きやがれ! 3.14159265358979323846264338327950……28841971、69、39937……510、5820…………っ!』
『ふわぁ……次は私の番ねー……。えーと、3.1415926535897932384626433832795028841971693993751058209749445923078164062862089986280348253421170679821480865132823066470938446095505822317253594081、』
『どこの呪文だ!! もういい!』
『今日は発売前のこのゲームで勝負だ!』
『んー。説明書、見せて』
『ふっ……これは跡部財閥が独自に開発研究してきた大人向けの推理ゲームで、』
『はい、クリアした』
『は!? Game Clear……お前は何なんだ!!』
『今日は花札だ!!』
『はなふだ?』
『知らねぇのか?』
『初めて聞いた。説明書、ある?』
『くっくっく、ほらよ。さすがにこれは俺の勝ちだな』
『こいこい』
『だから何でだ!!』
後に本人に聞いた。彼女は生まれつき直観像記憶という力を持っているのだという。これは別段超能力ではない。俺も耳にしたことはあった。
見たものを映像としてそのまま記憶できる、という能力。景色も教科書も本も他人の論文も、一度読んだら全て覚えてしまうらしい。本人曰く、それらは別々の引出しに入っていて、必要な時に取り出す感覚なのだそうだ。
これはチート能力なのではないか。最初は俺もそう憤慨した。
しかし彼女の話を聞いているうち、若干の同情が芽生えてしまった。
藍田は授業に出ない。いつも生徒会室のソファで寝ている。全教科満点の特待生故に許されている暴挙である。
ある時藍田は俺に言った。
『あとべってさ、楽しい?』
『何がだ?』
『人生』
『……、』
外れて役目を終えた知恵の輪が、机に山を作っている。藍田は無表情に続けた。
『なんにも難しくないの。呼吸の仕方と同じ。どうすればいいのかわかるんだもん。達成感とか、そういうのがどんな気持ちか私は知らない』
『……その才能、活かしてみようとは思わねぇのか?』
藍田は微かに失笑した。
『だから、やりたいことも目標もないのにどうやって活かすの? 下手に噂にでもなれば、私変な研究所とかに連れてかれちゃうかもしれないじゃん』
藍田は冷静に俺の目を見た。黒曜石のような瞳がキラリと光る。
『それに、こうやってしゃべってる間も情報がいっぱい頭に入ってくるから、処理速度の反動でいつも眠い。……こういう人生って、楽しい?』
『――……』
『運動は、できなくはないよ。どこの筋肉をどう動かせばいいかわかるから。でもその“わかる”範囲で実行すると、身体が負荷に耐えきれないの。前にバスケした時は骨折った。だからできるだけ動きたくない』
藍田は外れた知恵の輪で新たな知恵の輪を作りながら、淡々と語った。
『今まで、天才とか神童とか言われてきたけどなんにもうれしくなかった。だって楽しくない。みんな私を羨ましいって言うけど、私にはみんなの方がよっぽど羨ましかった』
俺は喉につかえる言葉を何とか絞り出す。
『、それでも、お前が恵まれてることに変わりはねぇだろうが』
藍田は頷いた。
『そうだよ。知ってる。私は恵まれてるしギフテッドだし人生イージーモード。見かけだって中の上だから、ちやほやされたいならそこそこすごい世界に行ける』
『なら、』
『うれしいも楽しいもわからなくても、恵まれてるなら幸せなの?』
幸せの定義。一瞬声が詰まった。
『……それ、は』
『ちやほやされたら幸せ? モテたら幸せ? お金持ちになったら幸せ? 自分がうれしくなくても、楽しくなくても、望んでなくても』
藍田の黒曜石の瞳が、俺を射抜いた。
『お母さんもお父さんも、優しい。だけど私はいまだに知らない。わからない。うれしいとか楽しいとかくやしいとか悲しいとか』
『私は、すごくなりたいんじゃない。幸せに、なりたい』
『……ねぇ跡部景吾。君はお金持ちでカッコよくてモテててちやほやされて、――――幸せなの?』
俺はその問いに答えられなかった。
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