ウィー・ウィリー・ウィンキー(跡部)
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*九話*
俺はあの日、衝動のままに彼女の唇を奪ったことを後ろめたく思っていた。それなのに悲しいかな。どうしたい、と聞かれれば溢れてくるのは欲求ばかりだ。四六時中傍に居たい。その髪に触れていたい。頬に、額に、唇に、触れていたい。
意識しないようにすればするほど、藍田の唇に目が行ってしまう。健全な男子として、好きな女にキスをしたいと思うことはおかしくないだろう。しかしそれは俺の一方的な願望だ。
俺は自身の気持ちを口にしたことで、気付いてしまった。
もし藍田が、教室で普通の青春を送る道を選んでいたら。
隣の席の男子と仲良くなって、初めての恋を知っていたかもしれない。近くの席の男子に一目惚れしていたかもしれない。
藍田が俺を拒絶しないのは、俺しか側にいないからだ。俺しか知らないからだ。偶然見つけた居心地いいソファが生徒会室のものだったからだ。
俺が俺自身で手に入れたものなんて、何もない。
『いいよ』と言われたってキスできるわけがない。
俺にそんな資格はないのだから。
***
俺の視界は涙でぼやけていた。泣いてはいない。何とか堪えた。とは言え、胸は何かに刺されたように痛い。希々に嫌いだと言われた瞬間、誇張でなく息が止まるかと思った。
泣き止んでくれた希々は、大きな瞳でこちらを見上げてくる。言葉より雄弁に、早く教えろと語る黒曜石。
俺は見栄を捨てて、もう何万回目かわからない負けを認めた。
希々を抱きしめて、ここ最近考えていたことを口にする。
「……希々が他の生徒みてぇに普通に教室に行って授業を受けて、……そうしたら希々は自然と誰かに恋をしていたかもしれねぇ」
「、あとべ」
「恋は、一人しか対象がいねぇもんだ。今希々がここで俺の近くにいるのは、……俺しか知らねぇからだ。俺以外の男と関われば……お前は俺じゃない誰かを、好きに……なるかもしれねぇ」
腕の中で、希々が微かに震えた。
「それをわかっていて……俺はお前を教室に連れて行く気になれねぇんだ。ずっと俺だけを見ていてほしい……このまま、ずっとこのソファにいてほしい。話すのも抱きつくのも、俺だけにしてほしい…………なんて、な」
女々しいにも程がある、と自嘲する。
「今お前は、恋愛を研究してるな。一番手っ取り早いのは自分が経験することだ」
俺が、手の離し方を教えてやらなければならない。たとえそれが別れのきっかけになるとしても、俺は好きな奴のために何かできたと言えるようになりたかった。
俺自身の手で、この天才の研究を手伝ってやりたい。
俺は抱きしめていた彼女からそっと離れた。
「……その研究のレポートを完成させたかったら、今からでも遅くねぇ。教室に行っていろんな奴と会って来い。何かわかるかも、」
言葉が、途切れた。俺は思わず息を飲む。
「…………っあと、べの、ばか」
希々が静かに泣いていた。頬を伝う涙がぽた、と制服に零れていく。
「あとべは、私が他の人を好きになって、いいんだ。私が他の人と話して他の人に抱きついて、他の人とキスしていいんだ」
「違、」
「あとべはもう……私の相手に疲れたんだ、ね」
だから何でそうなる、と言おうとして立ち止まる。そうだ、希々は恋愛を知らない。恋愛感情を理解している人間になら俺の気持ちは伝わるだろうが、理解できない人間からしたら俺の台詞は別れのそれに聞こえてしまうかもしれない。
深呼吸して落ち着きを取り戻し、釈明しようとした時だった。
「……っ私はやだ!! あとべがいなくなっちゃうの、やだ!! あとべが他の子の頭撫でるのもあとべが他の子とくっつくのも、やだ!!」
「――――……!」
希々の叫びに、俺は目を見開いた。
「あとべが、……っあとべの、ばか……っ!」
これは、手を伸ばしてもいいのだろうか。
抱きしめても、いいのだろうか。
俺は震える手を伸ばし、希々をできるだけ優しく抱き寄せた。希々は俺の背に縋り付くように腕を回す。
「やだ……私、ここにいたいよ、教室とかどうでもいいよ、ここがいいよ、あとべのところがいいよ、あとべの隣がいいよ……!」
「希々……っ!」
悪いのは俺じゃない。期待させた希々だ。
力を込めて掻き抱くと、小さな嗚咽が耳元をくすぐった。
「勘違いさせてごめん、っごめんな……! 俺は希々が好きだ。離れたりしねぇよ……!」
「けーごのばか……っ! けーご、けーご……!」
「っ希々……っ!!」
小さな身体を抱きしめながら、何度も呼ばれる名前が胸を疼かせる。
これは告白の返事、ではないかもしれない。それでも俺を特別だと思ってくれている証だ。
と、思った刹那。
「……けーご、すき」
その破壊力たるや凄まじく、俺は一瞬硬直した。俺の首にぎゅっと抱きついて、希々は繰り返す。
「……私もけーごが、すき。だから、ここにいる」
――想いが通じるって、こんなに嬉しいものなんだな。
「……っ、あぁ、俺もだ」
再び堪えることになった涙は、しかし不思議と温かった。