ライオンとユニコーン(跡部vs.幸村)
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*七話*
希々の手術が、無事終わったと知らせが入った。俺は早鐘のように打つ心臓に不安を隠せないまま、彼女に会いに行った。
「希々!」
「……景吾くん?」
以前と変わらない美しい瞳が一瞬開いて、すぐ閉じられる。
希々の隣にいる主治医が、首を横に振った。
「手術自体は成功しました。もう見えるようになっていておかしくないんですが……何か心因的なものでしょう。まだ、藍田さんは何も見えない状態です」
「――――……」
俺は、それを喜べばいいのか悲しめばいいのか、わからなかった。
希々は申し訳なさそうに眉を下げた。
「……ごめんね。景吾くんを見られるはずだったのに」
「……そんなこと、気にすんな。今、どんな状況なんだ?」
希々は綺麗な黒曜石みたいな瞳を開く。
「目を開けることは、できるの。でも、何も見えない。ただ、光を感じることだけはできるようになったよ」
一つでもできるようになったことがあるなら、それは喜ぶべきだろう。
俺は希々の頭を撫でて、幾分か艶を取り戻した頬に指を滑らせた。
「……心因性、ってことなら、焦るな。仮にも希々は俺の元家庭教師なんだ。俺が院長に掛け合って入院期間を延ばしておく」
希々は焦って俺を止めようとしたものの、何も掴まるものがなくてバランスを崩した。その身体を受け止めてやりながら、耳元で囁く。
「……こんな時くらい、格好つけさせろ」
「! け、いごくん…………」
希々は僅かに頬を染めた。空気を読んだ医師が病室を出て行く。
二人きりになった病室で、俺は秘めてきた想いをようやく口にした。
「……好きだ」
「…………え……?」
「ずっと、希々のことが好きだった。家庭教師だった頃から、ずっと」
初恋は叶わない。確かに俺は初恋を自覚したのと同時に失恋していた。でも今、片倉精市はいないから。
「…………冗談、じゃなくて?」
「こんな所で冗談を言うほど俺はガキじゃねぇよ」
見えていない瞳で、希々は眉を下げる。
「私、景吾くんよりも10歳年上なの、わかってる?」
「芸能人なら一回り以上離れた奴らも結婚してる」
「私たちは芸能人じゃないでしょう」
年の差。何よりもそれを実感させられ続けてきたんだ。俺は好きでもない奴に優しくできるほど器用にはなれない。
「……希々の目が見えるようになってからでいい。ちゃんと俺を見てくれ」
「今までだって、ちゃんと見てたでしょ……?」
腕の中の希々を抱きしめて、繰り返す。
「男として、ちゃんと俺を見てくれ」
「、……景吾くん…………」
希々は唇をきゅっと引き結び、俺を押し返した。
「…………ごめんね。私、精市さんが好き」
「知ってる。だから俺は、付き合えなんて言ってねぇ。男として見てくれ、って言ってるんだ」
「……精市さんは、私の月だった。明るくて優しくて、夜道に迷う私を照らしてくれた」
初めて希々から語られる想いに、俺は静かに耳を傾ける。ガキだった俺は、彼女の抱えたものも彼女の見てきた景色も、何も知らない。
「――私はずっと、神様が嫌いだった。神様は私を不幸にするためにこの世に生み出したんだと思ってた。世界中の人間に、こんな不幸な存在もいるんだから我慢しなさい、って示すために自分が生まれたんだと、本気で思っていた」
……何も、教えてはもらえなかったから。
「私が親に愛されなかったのも、私がいじめられるのも、私が孤独なのも、私が神様に憎まれているからだと思ってた」
時計の針の音が、異様にはっきり聞こえる。
「私が不幸なのも、私が必要とされないのも、神様が私を不幸の象徴としてこの世に生み出したからだと思っていたの。子供の頃から、ずっと。……馬鹿らしいでしょ?」
俺は首を横に振ってから、それが希々に伝わらないと気付いて声に出した。
「どこが馬鹿らしいんだ」
「被害妄想よね。だけど…………私、ずっとそう思って生きてきたの。私は不幸になるために創られた存在なんだから、不幸なのは当たり前だって。仕方ないんだって」
俺には想像できない考えに言葉を失う。
希々の人生で何があったかなんて、俺は知らない。だが、何があろうと自分が不幸になるために創られた、なんて。そんなことを許容しながら生きていくことは、俺にはできない。
希々の豊かな感受性は、泣きたくなるほどの悲しみから生まれていた。胸を掻きむしりたくなる嘆きから芽吹いていた。それを今、知った。
「精市さんに出会ったのは、私が大学生になった頃。……私は、神様を殺そうと思ったの」
「……? 神を、殺す?」
希々は頷いた。
「神様を殺す方法って、すごく簡単よ。神、なんて人間が信じなければ存在できない脆いものだから…………人間が、存在しなければいい」
希々が目を閉じて、天井を仰いだ。
「…………あの日は、桜が綺麗だったの。桜吹雪に包まれて、私はこの世界とさよならしようとした。私が不幸になるためにこの世界に生まれたなら、自分の力で不幸を終わらせよう、って」
「――……」
「計画は、完璧だった。遮断機の横で歩みを進めた私は、桜吹雪と一緒に、散る、はずだったのに……」
希々は目を開いて、俺の方に顔を向けた。
「…………精市さんが、私の腕を引っ張ったの」
泣きそうな、顔だった。
「精市さんは、私を幸せにしたいと言ってくれた」
痛そうな、顔だった。
「神様は私一人のことなんかそこまで気にしてない、って。君は不幸になるために生まれてきたわけじゃない、って」
苦しそうな、顔だった。
「そんなに神様は暇じゃない、って。もしもそんな神様がいて、君が不幸になるために生を受けたって言うなら、ぶち壊そう、って」
懐かしそうな、顔だった。
「神が君を不幸にしたかったとしても、俺が君を幸せにする、って……言ってくれたの」
黒曜石の瞳は何も見えていないはずなのに、つう、と涙が零れる。
「……ねぇ、景吾くん。命よりも大切な人、だったの。こんな私のことを、幸せにしてくれた人なの。私に生きる理由を、くれた人なの」
俺はその涙を拭うことさえできず、呼吸すらままならず。
「…………精市さんのことを忘れて誰かを好きになったら、精市さんは許してくれると思う?」
「――――」
その重い問いに答えることは、俺にはできなかった。