ライオンとユニコーン(跡部vs.幸村)
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*四話*
俺は頼まれた通り、彼女に会いに行った。これでいいのかという不安はもちろんあったけれど、せめて彼女が落ち着くまでは力を貸してあげたかった。
義務感だったそれが変化したのは、彼女の病室に通い始めて何週間後だっただろう。明確な時期はわからない。
ただ、俺の声を聞くたび嬉しそうに頬を染める彼女が見たくて。はにかむ姿、優しい声。全身で愛を伝えてくる希々さんに、気付けば俺は本気で恋人のように接していた。
今隠されているその瞳は何色なんだろう。
君のことがもっと知りたい。
君はどんな風に歩く?
君はどんな風に笑う?
君はどんな風に俺を見る?
俺が違う人間だと知ったら、どんな反応をするんだろう。触れてはいけないタブーさえ、ふとした拍子に頭を過る。
これが恋愛感情だと理解したのは、仁王に指摘された時だった。
『幸村、なんでそんな面倒なことしちょるん?』
面倒。
面倒、と、思っていた頃は確かにあった。
一度関わってしまった手前、すぐにただの他人に戻るには罪悪感が邪魔をした。彼女に申し訳ないというより、彼女の両親に申し訳ないという思いだった。
だから一週間だけ、毎日検査の帰りに声をかけることにした。知りもしない年上の女性を、呼び捨てで呼ぶ不思議な感覚。
でも彼女は、名前を呼ぶだけでとても嬉しそうに顔を上げた。俺が口下手でも、彼女の方から沢山のことを話してくれた。彼女の目に映っている世界は、病室の白ばかり見てきた俺にとって新鮮なものだった。
彼女はそこにないものを、まるであるかのように説明してくれた。行ったことのない景色をいとも簡単に、俺の脳裏に映してくれた。そんな感性に触れるうち、一週間は十日に。十日は二週間に。
俺が彼女と関わる時間は延びていった。
今では、面倒どころか彼女に会える時間を心待ちにしている。
彼女に毎日会う、だけじゃなく、時間の許す限りずっと傍にいたい。でも、仕事をしている“精市さん”はそれができないから、俺もできない。
初めて、故人を羨んだ。
“精市さん”はよく彼女の髪を撫でていたらしい。それならば、と俺も彼女の髪を撫でた。10歳も年上の女性なのに、希々さんは嬉しそうに笑う。その笑顔がどこか子供っぽく見えて、何だかほっとした。
「精市さん、手を…………繋いでも、いい?」
「……もちろん」
ベッドの上の小さな左手を包むと、希々さんはそっと指先を絡めてきた。
「!」
俺の一瞬の硬直に、彼女は肩を跳ねさせる。
「ごめんなさい……嫌、だった?」
「……っ嫌なわけ、ないだろう? 君の手が…………思っていたより冷たくて驚いただけだよ」
何とか言い訳をして、俺は自分の指先から意識を逸らした。
見えない彼女は、触れるしかない。わかっていても、初めて触れたその柔らかい肌に少なからず動揺してしまう。
「最初に……手を繋いでくれたのも、精市さんだった。冬に、私の手が冷たくて。一緒にコートのポケットに入れようとしてくれたのに、私の腕の長さが足りなくて」
希々さんは右手で口元を隠すようにして、くすくす笑った。
「私も精市さんと同じくらい背が高かったらよかったのに」
「……俺は、希々の背丈、好きだよ」
「ふふ。あの時と同じこと言うのね」
俺は、希々さんにバレないか冷や冷やしながら、心の何処かでバレてしまうことを望んでいた。
中途半端に俺と同じような思考を持ち合わせていた“精市さん”のせいで、俺は知らない二人の思い出に傷付けられる。
中学生と大人。まるで相手にならない。
なのに君は、俺を呼ぶ。安心しきった声音で、何も知らずに。
この関係を続けたい。壊したい。
何も知らずにいてほしい。俺を知ってほしい。
矛盾した願いが、今日も心を掻き乱す。
「……ねぇ、希々」
「なぁに?」
「頬に……キスしても、いいかな?」
希々さんは微笑んで頷いた。
「……いつもそんなこと、訊かないのに。私が見えないから、よね……。気を遣わせて、ごめんなさい」
見えていたら許容されなかったキスを、少しかさついた頬に落とす。
「あの、精市さん……」
彼女は俺と繋いだ手に少し力を込めて、言った。
「私も、あなたの頬に……キスをしたい」
「――――」
この人がキスを贈りたいのは、俺じゃない。それでもここで拒絶するのは些か不自然だ。
「……気持ちだけで嬉しいよ。希々は無理をしないで」
「嫌。したいんだもの。……精市さんしかできないなんて、ずるい」
頬を膨らませた彼女は、俺の手を解いて両手を伸ばした。今なら逃げられる。
なのに、俺の足は動かない。
「……私の手が痛かったら、教えてね」
細い指先が、壊れ物を扱うように俺の頬に触れる。どこに目があって鼻があるのか、確かめるような動きだった。その指先が耳を掠めて、思わず息を飲む。
「…………爪で、傷付けちゃった?」
「、いや……大丈夫だよ」
希々さんは、ゆっくり手を離した。
「我儘、ばっかり。ごめんなさい。…………危ないことは、しない方がいいわよね。目が治るまで、私は我慢しなきゃ」
瞳は見えなくても、ハの字に寄せられた眉で悲しそうな表情は伝わってしまう。
「精市さんが此処にいる、って感じたくて。私……事故の時の記憶が曖昧だから、今でも時々悪夢を見るの」
今度は俺の方から彼女の手を握った。
「……どんな夢?」
「おかしいわよね。精市さんが、私を庇って死んでしまう夢なの」
希々さんは俺の手を取って、自分の手と重ねる。骨や指の形をなぞり、きゅっと握ったり離したりして遊んでいるみたいだった。
「……だから、こうやって確かめたくなるの。精市さんはちゃんと生きてる、って」
――痛みを感じては、いけない。
これは、俺が選んだ痛みなのだから。
「キスって言えば、私のファーストキスも精市さんなの、知ってた?」
「……知らなかった」
「ふふ。大学の頃だから……20歳が初めてのキスよ。遅すぎよね」
こんなに綺麗な女性のファーストキスがその年齢、ということに若干驚いた。しかし、女子校育ちだとか元から男嫌いだったとか、色々な背景が考えられる。取り立てておかしいことはない。
俺は、そんなことはない、と返すつもりだった。頭の中ではそうシミュレーションしていた。その後の会話の展開まで考えていた。
なのに、俺の口から出て来たのは全く別の言葉だった。
「今……キス、してもいいかな?」
君のファーストキスの相手は“精市さん”らしいけど、俺は生憎病院とテニスしか知らない。俺のファーストキスは、ここまで巻き込んだ君に教えてもらおう。
「だ、誰かに見られ、――――」
かさついた唇を塞ぐ。
「せ、いいちさ……」
柔らかい感覚を忘れないように、彼女の頬を両手で固定してもう一度口づけた。
「――――、」
「幸村…………?」
ノックもなしに病室に入って来た跡部が、俺を見て立ちすくむ。
俺はそっと希々さんを解放して、髪を撫でた。
「じゃあ、俺はもう行くよ。またね、希々」
僅かに赤らめた頬で、彼女は手を振ってくれた。
――ダンッ、
病室を出た瞬間、跡部に襟を捕まれ壁に押し付けられる。
「お前……何のつもりだ!?」
「何って…………俺は“精市さん”だ」
「聞いたぜ、希々の両親にも立海の奴等にも。だがお前の役割に、キスなんか入ってねぇだろう!」
俺は跡部の手を振り払い、襟の皺を直す。
「役割以上のことをしちゃいけない、なんて言われてない」
「……っ女遊びしてぇなら余所でやれ!! 希々を巻き込むな!」
「……跡部は彼女の知り合いなの? まぁ、こんなに遅れてやってきたってことは大した仲じゃないんだろうけど」
俺を睨み付ける跡部に尖った視線を返す。
「君こそ随分モテるらしいじゃないか。女遊びなら余所でやりなよ」
「……ってめぇ!」
「此処は病院だ。静かにしろよ、跡部」
ぐっ、と堪えた跡部が何を考えているのかなんて、俺の知ったことではない。
「俺も病室に戻るよ。……あんまり希々さんに刺激を与えないでね」
何のつもり、か。
好きだからだよ。
理由なんてそれだけだった。