ライオンとユニコーン(跡部vs.幸村)
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*二話*
その日。俺は検査が終わって病室に戻ろうとしていた。何やら騒がしいのはまた急患でも運び込まれて来たからか。いい加減、病院独特の臭いから離れたい。
そう思っているうちに、人の出入りの激しいドアに足を取られてしまった。
きっとこれが、運命の始まりだった。
目の前に広がっていたのは、医師や看護師が叫びながら慌しく走り回る、凡そ日常とはかけ離れた情景だった。家族と思しき見舞い客が、ベッドに向かって叫んでいる。
「希々! 戻って来るんだ!」
「藍田さん、頑張って!!」
「希々!! お願い、こっちへ戻って来て……っ!!」
ベッドには、両目を包帯で巻かれた女性が眠っていた。
「このままでは……!」
「っAIDを!!」
「希々……っ!!」
俺は横で部屋を覗いていた患者に尋ねた。
「急患ですか?」
「いや、運び込まれてからだいぶ経ってはいるが、目覚めないらしい。容態が突然悪化して、この状況だ」
「……そうですか」
あの人も死ぬのか、などと特に感慨もなく考えた刹那。
「せい…………いち、さん…………」
「、……俺……?」
呼吸器の先で、彼女は確かにそう言った。俺の名前だったから、だろうか。騒然とする現場でも、その弱々しい声は俺の耳に届いた。
同時にバイタルの音が正常に戻る。
「! 藍田さん、わかりますか!?」
「希々!!」
「希々、わかる!?」
医師の呼びかけにも答えず、彼女は繰り返す。
「せ……い……ぃち、さん…………」
彼女が求めているのは、“せいいちさん”。俺ではない。なのに、彼女が求めているのは“俺”のような気がした。予感、第六感のようなものだった。俺が病院に長く居るせいで、生死の機微に何かしらを見出していたのかもしれない。
例えばここで、命を大切にしろと怒鳴るとか。例えばここで、甘えるなと一喝するとか。例えばここで、知らぬ存ぜぬを通すとか。例えばここで、関係ない人間の死を見過ごすとか。
0コンマ数秒でいくつも過った選択肢。誰だって厄介事を引き受けるのは御免だ。冷静に考えて、俺が彼女に関わるメリットなど一つもない。
それでも俺は、人間だった。
誰かを救うことができるかもしれないと感じ取っていてなお手を振り解くほど、強くなれなくて。
俺は医師の後ろから彼女のベッドに歩み寄り、告げた。
「……戻っておいで」
彼女は一瞬震えてから、ようやく医師と家族の名前を口にした。
皆が喜び合う中、俺は珍しく面倒事に片足を突っ込んでしまった、と自覚しながらも苦笑していた。
誰かが生きることで誰かが喜ぶその光景を、自分とテニス部に重ねてしまったからだろうか。
それがまさか、こんなことになるとは思っていなかった。
彼女は無事、意識を取り戻した。俺の二つ隣の病室に入院していた彼女の名前は、藍田希々。交通事故で恋人を亡くしたらしい、のだが。
「ねぇ、精市さん。私、あなたの声が聞こえたの。だから、起きなくちゃ、って」
「……そうなんだ」
俺は彼女の両親に、土下座された。
大した長さを生きているわけではないが、大の大人に土下座をされるのは生まれて初めてだった。
彼女は事故で目を損傷していた。が、そもそも今も意識こそ戻ったものの体は衰弱しきっている。目を治すには体力が必要だ。それなのに彼女は、“精市さんはどこ?”と繰り返してばかりで食事をとらないらしい。
そして何の因果か俺の声は、“精市さん”と瓜二つだと言う。
俺が頼まれたのは、いつでもいいから彼女に声をかけることだった。
片倉精市として。
「……精市さんが生きていてくれて、本当によかった……。私、精市さんのいない世界で生きていくことなんてできない」
「そんなこと言うものじゃ、」
「だってあなたは私の、命より大切な人、だもの」
「……、」
別に、毎日検査の帰りに話しかけることくらい、手間ではない。問題は、俺の方が彼女に情が移ってしまったことだった。日を重ねるごとに、会いに行くごとに、“精市さん”への想いを聞くごとに。
俺がいるうちは、彼女の目が見えないうちは、いい。しかし“精市さん”が亡くなっていると知ったら、後を追いかねない危うさが彼女にはあった。
「精市さん……私、あなたを見られないのが辛い。でも、あなたの声を聞けることが、幸せ」
そう言って微笑む彼女に、俺は今日もどうしたらいいのかわからなくなる。胸の隅が軋む。
あまり多く言葉を交わしていたらボロが出そうで、俺はどうしたらいいのかわからなくなった時は彼女の頭を撫でることにしていた。
「ふふ。…………精市さんの優しい手、大好きよ」
痛む心に蓋をして、俺は彼女の髪を撫で続けた。