ソロモン・グランディ(跡部vs.不二)
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*九話*
昔一度だけ、希々に嫌いと言われたことがあった。
『景ちゃんとの繋がりがなきゃ、私なんかと仲良くするわけないって言われた……』
泣きながら、希々は俺の胸を力ない手で叩いた。
『景ちゃんなんか、嫌い…………っ』
あの時初めて、俺に怖いものができた。
希々に拒絶されること。
泣き疲れて眠る希々を抱きしめ、心臓が凍り付くかと思った。次の日には何事もなかったように俺を大好きだと言って抱きつく従妹に、心から安堵した。
――またあんな恐怖を味わうくらいなら。また何よりも大切な存在に拒絶されるくらいなら。
「……」
自分から拒絶することを選んだ俺は、本当に希々のこととなると理性も冷静さも失ってしまうと自覚している。忍足に指摘された通りで、ぐうの音も出ない。
今だって会いたくて会いたくて死にそうだ。
でも希々の口から不二の名前なんて出てみろ。俺はその場であいつを滅茶苦茶にしてしまう。
答えが出るまで会わないなんて、俺の方こそもつのかわからない。しかし、希々を無闇に傷付けるよりはましな選択に思えた。
「……格好悪ぃ…………」
誰にも聞こえないはずの弱音は、夜の闇に溶けて消えた。
***
不二先輩は優しかった。不二先輩のキスは甘くてお菓子みたいにふわふわしていて、怖くない。
だけど私が夜毎思い出してしまうのは、食べられるんじゃないかと思うくらい怖い景ちゃんからのキスだった。それまで優しいお兄ちゃんだった景ちゃんが、知らない男の人に見えた。
思い出すと鼓動が速くなる。私の知らない景ちゃん。
あんなに手が大きかったなんて知らなかった。
あんなに力が強かったなんて知らなかった。
あんなに強引な一面があるなんて知らなかった。
あんなに一緒だったのに、私は景ちゃんの想いを知らなかった。付き合ってくれとか好きだとかを通り越していきなり結婚してくれ、だなんて。
しかも結婚しないならもう会わないなんて、私の選択肢は景ちゃんのお嫁さんか景ちゃんの他人かの二つに一つだ。ずるい。景ちゃんはずるい。
景ちゃんが私に会いたくなかろうが、私は自分の気持ちを確かめるためにもう一度景ちゃんに会うべきだと思った。
だから、此処にいる。
「よいしょ、っと」
小さな頃、勉強ばかりでなかなか遊んでくれない景ちゃんに業を煮やし、私が作った秘密の抜け道だ。ここを使うと、ちょうど跡部邸の庭園に出られる。夜中に不法侵入だなんて知らない。私は今、怒っているのだ。
「あら、希々ちゃん」
……とは言え、まさか茂みから顔を出した瞬間、景ちゃんのお母さんに遭遇するとは思わなかった。
私は数秒迷う。
でも叔母さんは笑って私の手を引いてくれた。
「此処で会うのは久しぶりねぇ。景吾に会いに来たの?」
「……景ちゃんとは、喧嘩中です」
「まあ! だからあの子、最近落ち込んでるの?」
景ちゃんは落ち込んでいる、らしい。
「景吾の言うことなら気にしなくていいわよ。あの子、大人ぶってるだけだから」
叔母さんの言葉に、私は目を丸くする。
「わたし、景吾は希々ちゃんのことを妹みたいに愛してると思ってたの。でも、あの子が18になった日に最初にわたしに言ったのが、希々ちゃんと結婚してもいいか、だったの」
「…………」
その頃、私は16歳だ。現行の民法なら結婚はできる。
「わたし、景吾の頭を引っぱたいたわ」
「……へ?」
目の前の麗人から引っぱたく、などという単語が出たことにまた目を見開く。
「だってそうでしょう? 希々ちゃんはわたしにとっても可愛い娘みたいなものよ。その娘を、世の中に出てもいないぺーぺー男に任せられるわけないじゃない」
「え……」
叔母さんはおかしそうにくすくすと笑う。
「だから、まずはお父さんの会社でもいいから、ちゃんと自分の力でお金を稼ぐってことを学びなさいって言ったわ」
「…………」
そう言えば、2年前から景ちゃんは跡部の会社にアルバイトで入っていた。
「それに、希々ちゃんが未成年のうちは認められない、とも言ったわね。別に付き合うなとは言ってないけれど、希々ちゃんは景吾からそういう話をされたこと、ある?」
「いえ……」
「でしょう? どうせ告白とかお付き合いとかをすっ飛ばして結婚しろ、とか言い出したんじゃない?」
あまりに図星で何も言えない。ぽかんとしている間に、叔母さんはついに声を出して笑い始めた。
「本当にわかりやすいくらい、子供でしょう」
子供、なのはたぶん私なのだけれど。
この人の話を聞いていると、私も景ちゃんもまだまだ子供なんじゃないかと思えてくる。大人とか子供とか一人悩んでいた自分が少し馬鹿らしく思えた。
「……そんな馬鹿息子だけど、2年分のバイト代全部つぎ込んで婚約指輪を買ったの」
「……ゆび、わ…………?」
「精一杯の背伸びよね。指輪、もらった? ……あ、喧嘩中ならもらってないわよね。わたし、ネタばらししちゃったけど……まぁ、何もかも焦りすぎた景吾が悪いんだからいいわよね」
指輪、なんて知らない。
「選ぶ時にアドバイスしたから、悪いものじゃないはずよ。喧嘩が終わったらからかってあげて」
叔母さんは手を振って歩いて行ってしまった。
私はその場に立ち尽くす。
何も、知らなかった。
違う。知ろうとしなかった。
景ちゃんが優しくしてくれる理由を、一度でも考えた?
景ちゃんが傍にいてくれる理由を、一度でも考えた?
「……っ!」
私はそれを、当たり前のように享受していた。どれだけ傲慢だったんだろう。
景ちゃんの想い。
私は、それを知らなきゃいけない。
「……っ景ちゃん…………!」
不二先輩は自分の想いを教えてくれた。私はそれを理解している、と思う。
でも私はきっと、景ちゃんの想いを半分も理解できていない。
『……お前の望みを叶えてきたのも、お前を守ってきたのも、……俺はお前が女として好きだったからだ』
いつから?
幼い頃の約束に縛られているだけじゃないのかと思っていた。意地になっているだけなんじゃないかと。
でも、違う。今知った。
2年分のバイト代全部を、私が受け取るかもわからない指輪に費やしてしまう景ちゃん。
どんなに夜中でもどんな急なピンチでも必ず駆け付けてくれた景ちゃん。
20年間ずっと一緒にいた、景ちゃん。
『他の女なんかいらない。俺はお前だけがいればいい。欲しいものは何でもやる。いくらでも甘えさせてやる』
どんな、想いだったの。
「景ちゃん……っ!」
私は景ちゃんの部屋まで走った。てっきり部屋にいるものだと思ったから。
でも、バルコニーで月明かりに照らされている景ちゃんが見えて。
「……格好悪ぃ…………」
そんな、弱気な声が聞こえて。
「…………っ景ちゃんは格好悪くなんてないよ!!」
私は叫んだ。
「! 希々……」
景ちゃんが目を見開く。
私は走った勢いのまま言い募った。
「景ちゃんは格好良いよ!! でも格好つけだよ!! 景ちゃんはずるいよ!!」
「…………答えが出るまで会いに来るなって、」
「そんなの知らない!! なんで私が景ちゃんの言うこと聞かなきゃいけないの!」
初めての私の反論に、景ちゃんは面食らって黙った。対する私は生き生きと言葉を弾けさせる。
「あんなすごいキス、私知らない! 女遊びしてたんでしょ!」
「違う! 希々に経験がねぇと思われたくなくて、」
「そういうとこが格好つけだって言ってるの! お互い初めてで何がいけないの!?」
広いバルコニーに反響する声は、今まで出したことのないくらい大きな声。いっそ清々しくて面白い。
「……俺は、」
「知らない! 景ちゃんが私の誕生日に言いたいこと言っていなくなっちゃったんだから、今日は私が言いたいこと言うの!」
滅茶苦茶な言い分。でも、気持ちいい。
初めから、ぐだぐだ考えずにこうしていれば良かった。叔母さんは私たち子供のことをどこまでわかっていたんだろう。
私はつかつかと景ちゃんに歩み寄り、シャツの襟を掴んだ。喧嘩を売る女ヤンキーの図だ。
想定外だったのだろう。たたらを踏む景ちゃんの目線を無理矢理私に合わせて、尋ねる。
「……婚約指輪って、なに?」
「!!」
景ちゃんの顔が真っ赤になる。
「か……っ母さんか!?」
「うん。見せてよ」
「……っ、俺と結婚するなら、」
「婚約指輪の前に結婚って何? 付き合う前に結婚って何? 好きだの直後に結婚しろって、何?」
景ちゃんは綺麗な目を何度もぱちくりさせ、口をぽかんと開けている。月明かりに照らされて金色に見える髪も、戸惑う表情も、中途半端に崩れた体勢も格好良いなんて反則だ。
だけど今の私は無敵だ。反則にさえ勝てる気がした。
「……景ちゃん。私、何も聞いてない。景ちゃんが今までどんな想いを抱えてきたのか、景ちゃんにどんな辛い思いさせてきたのか。何も知らないのに結婚するの、おかしいよ。…………だから、教えて。全部。景ちゃんの、全部」
私は景ちゃんの襟から手を離してその背中を抱きしめた。
「景ちゃんの全部見せてくれなきゃ、私、不二先輩になびいちゃうよ」
「…………ここでその名前かよ」
「景ちゃんは私の全部知ってるのに、私だけ何も知らないの不公平だ」
「……、」
景ちゃんは、壊れ物に触れるように私を抱きしめ返して言った。
「…………希々がお嫁さんにして、って言った時から、ずっと好きだった」
「…………うん」
「…………もう、嫌いだなんて言われたくなくて、完璧な兄になろうとした」
「……うん」
「……希々にずっと好きだって言いたくて……言って離れられるのが怖くて、…………結局言えなかった」
初めて聞く、弱気な景ちゃんの声が胸を打つ。
「……希々に彼氏ができた時、すげぇショックだった」
「景ちゃんだって彼女いたでしょ」
「……経験、して、希々をリードしたかった」
「経験者の景ちゃんは私のどこをリードしてくれたの」
景ちゃんは無言になった。初めて従兄をやり込めた達成感に、私は笑う。
「……意地悪してごめんね、景ちゃん。でも、景ちゃんと私のことなのに、景ちゃん一人で全部決めちゃうのはずるいよ」
「…………不二と決めればいいだろ」
「なんでそこで拗ねるの! 私、不二先輩といてわかったの。私と先輩は似た者同士だ、って」
「……不二と希々が?」
不思議そうな景ちゃんの声に、私は身体を離した。景ちゃんと目を合わせて一言一言しっかり告げる。
「私、私のことが嫌いだった。景ちゃんのおまけ、な自分が」
「! それは中学の頃のお前の友達が、」
「うん、わかってる。あの子が景ちゃんのこと好きだっただけ。私が勝手に傷付いただけ。私が勝手に自信を失くしただけ」
友達を作ることが怖くても、踏み出せば良かった。自分の境遇はどうしようもなくても、そんなこと関係なく私を見てくれる人をちゃんと信じれば良かった。
誰かのせいにして、何かのせいにして、そうやって自分の心を守る方が楽だから。私は過去を呪って周りに甘えて傷付いたふりをしてきた。
「私、最低だよ。親友を傷つけて失くしたことも友達を作るのが怖くて踏み出せないことも、全部景ちゃんのせいにしてきた」
「それは俺が、」
「これは本当に私のせい。誰かの心を見るのも誰かに心を見せるのも怖がってた私のせい。だから景ちゃんは私に謝られて。お願い」
昨日までの甘ったれな私を叔母さんに引っぱたいてほしいくらいだ。だけど、気付けたから。気付くことができて、変わりたいと思えた。そのために私は今、一歩踏み出している。
そんな私なら、嫌いじゃない。
「景ちゃん、ごめんね。景ちゃんのせいだって思わせて、ごめんね」
「希々……」
「全部景ちゃんに背負わせてごめんね。でも、これからは私も一緒に考えて悩んで、歩いて行きたい」
景ちゃんは少し寂しそうに、ふっと笑った。
「……強くなった、な」
「うん。だから、景ちゃんを私にちょうだい」
「…………?」
景ちゃんの頬を両手で包んで口づける。
「――――」
呆然とする景ちゃんに笑ってみせた。
「景ちゃんの今までもこれからも、弱いところも強いところも、全部、ちょうだい。欲しいものはくれる、って言ったでしょ?」
「……でも俺は、…………希々を泣かせた、だろ」
「泣かされた! 不二先輩に慰めてもらった。だから、わかった」
私が嫌いな私を好きだと言ってくれる人。
私が好きな私を好きだと言ってくれる人。
どちらも大切でかけがえのない存在だけれど。
「不二先輩を選んだら、私、強くなれなかったと思う」
「……じゃあ、」
「でも景ちゃんと結婚はしないよ」
こんなにも困惑する景ちゃんは、きっと後にも先にも見られない。私しか知らない、景ちゃん。
「……景ちゃん。結婚を前提のお付き合いなら、してあげる」
景ちゃんが僅かに目を見開いた。
「婚約指輪、するからちょうだい。左手の薬指に、するから」
結婚を前提に。
ちゃんと心の全部を話し合って、見せ合って、一緒の歩幅で歩けるようになったら。
「結婚は、私からプロポーズするね」
景ちゃんは、子供の頃のように破顔した。
「……っ言うじゃねぇの」
「でしょ?」
「……格好良くなりやがって」
景ちゃんの大きな手が、頭を撫でる。私は胸を張って微笑んだ。
「だって私は、景ちゃんの従妹兼婚約者だもん!」